川甚 [さいたま]
☆川甚・葛飾区柴又7-19-14、03-3657-5151
寛政年間甚左衛門が柴又渡舟場下流に茶屋開店、明治中期には川魚料亭となるも・明治末焼失し柴又に移転。
※江戸川+甚左衛門→川甚
※明治時代は船から座敷に上がれた。
武蔵屋 [むかしむくれて]
〇武蔵屋・麦斗庵
向島で最も高名であったのが武蔵屋権三郎の店、特に鯉濃など鯉の料理で有名であった。 天明四年に烏亭焉馬が噺の会を催し、後の落語が盛んとなる契機ともなった料理屋としても有名。 一階の座敷は広い庭に面しており、縁側が張り出していた。
コアップガラナ [駄菓子]
☆コアップガラナ
1932年カルピス製造が「567(ゴロナ)」発売するも売れず。 アメリカよりコカ・コーラ来襲し1957年国産化、これに対抗すべく国内中小メーカが団結し1960年「コアップガラナ」発売。
コカ・コーラの瓶デザインが「ポップルスカート」ならばと、コアップガラナの瓶は京都舞子さんを表現した。 しかしながらコカ・コーラ軍に攻められ、北海道に退却した。
※キリンガラナ(メッツガラナ)・タカラガラナ・チェリオガラナ・スワンガラナ・マルゼンガラナ・リボンガラナ、などがあった。
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八百善 [むかしむくれて]
☆八百善・浅草
元禄天正年間、神田福田村の善四郎(~宝永五年)が米を作るかたわら野菜・乾物を売り歩いた。 明暦耐火後浅草新鳥越に移店。 初代屋号は「福田屋善四郎」・後に「八百屋善四郎」、二代目から八百善。 このころ江戸料理茶屋が高級料理茶屋へと変貌した。 寛政年間、四代目全盛期、公儀御用しばしばあり。 その後、休業・消失などあるも、明治九年上野公園に支店(明治十四年閉店)。 大正十二年震災で店焼失後、1927年築地にて開店、戦争により閉店、1951年永田町で再開、その後江戸東京博物館内にも出店した。