北里柴三郎 メモ [さいたま]
明治二十五年十一月大日本私立衛生会が伝染病研究所を設置、明治三十二年四月国立伝染病研究所設立・私立衛生会を併合、大正三年十月文部大臣管理下となり、大隈内閣が内務省所管から文部省に移管し、大正五年三月東京帝国大学内(白金台)に附置された。
一方、移管に反対した北里柴三郎は、大正三年十一月五日官職を辞め・新たに北里研究所(白金三光町)を設立し私立伝染病研究所の後身となった。 大正七年北里研究所は社団法人となり、荏原郡碑衾村に血清製造用飼畜場を設けた。
※福沢諭吉が敷地内に私財で研究室を設け・北里柴三郎に提供し・大日本私立衛生会となった。
泉山醤油合名会社 [さいたま]
泉山家は幕末から明治初期にかけては呉服屋として活躍、その後、銀行・醤油醸造業・起毛工場等を経営し泉山財閥として東北有数の豪商に発展した。 泉山醤油合名会社日出セメント等の事業を通じて八戸の発展の基礎を作った。
(作成途中)
かいな坂 [さいたま]
〇かいな坂、海老名市上今泉1丁目
かつて、中世の武将の娘とその家来が敵方の兵に追われこの坂あたりで討たれ、家来たちの不甲斐なさから「不甲斐ない坂」となり、これがつまって「かいな坂」となったともいわれる。
彦成小学校講堂記念館 [さいたま]
〇彦成小学校講堂記念館、三郷市彦倉1-133
開館日:毎週火・木・土・日の10時~16時
☆大正十四年十一月着工・大正十五年三月落成、当時の彦成村立尋常高等小学校講堂として建築、地区の公会堂を兼ねていたらしい。
明治四十一年彦成村尋常小学校(前身は明治六年寺子屋)、大正十五年三月彦成村尋常小学校附属講堂。