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富山の売薬 [むかしむくれて]

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○富山の売薬
 天和三年備前岡山の醫師萬代浄閑が富山城下にて藩主前田正甫に、家伝秘宝・反魂丹の調剤を伝えたにはじまるとされる。

※千金丹は、明治十三年頃。

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☆配置薬
 奈良で寺の薬園から作った薬を領布・出張販売したのがはじまりともいわれる(大和売薬)。 後に江戸に伝わり、寛永年間富山広貫堂が富山売薬の中心となった。

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○広貫堂(廣貫堂)・富山市梅沢町2-9-1
 反魂丹・實母散・如神丸・熊膽圓

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☆前田正甫公
 富山藩祖、前田利次公の次男として誕生した正甫公は、延宝二年に二代富山藩主となる。 仁慈の心に厚く、自ら医薬の研究に励み・薬の調製を行うなど、領民救済にあたったといわれています。 江戸城内で三春藩の富山藩二代藩主前田正甫公が腹痛に襲われたとき、備前岡山藩の医師・万代常閑がつくった「反魂丹」を飲んだところたちまち痛みが収まり、以来常備薬としました。 後に、富山藩を訪れた万代常閑に製法を学び、領内でも反魂丹の薬効が広まっていくこととなりました。

☆先用後利
 「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴せざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ」という正甫公の理念は、現代まで受け継がれ、富山の売薬業の基本理念となっています。 富山のくすりが全国に広まるに従い、富山藩は配置員の保護と育成にも力を注ぎます。 明和二年六代藩主利與公が反魂丹役所を設立し、配置員の身分証明・製薬の指導・懸場帳の整備など行い、富山の売薬業の発展に努めました。

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○熊膽丸(軟膏)
 熊の油薬を貝殻に入れて販売、打身・切庇・腫物に効用あり。

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○反魂丹売り
 江戸に販売店三軒あり

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