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石垣と段々畑(南牧村) [ぐんま]

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○南牧村の石垣
 1875年ごろ、千原慈眼寺住職工藤膽師が大仁田集落の石垣を見て、毎朝南牧川に顔を洗いに行く度に石を一つずつ積み上げて寺裏山に石垣を作った。 やがては、耕地の拡大から石垣が見直されるようになった。  このようにして大切にされた石垣には数々の俗信があった。(石垣信仰)

☆石垣の間には割れた瀬戸物などを突っ込んだ。(危険物の廃棄・再利用・供養の意味がある)

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 かつての南牧村は、沢水が冷たくて米を作ることができなかった。 そのため、山仕事が重要な生業であり、その他には紙漉・養蚕・蒟蒻栽培などであった。

 西上州山村は谷間が多いため山の傾斜地を耕地にした段々畑が見られる。 また、家を構えるには傾斜地に石垣を築いて平地とするため、石垣の技術が発達した。 鬼石では、石垣を「ツージ」・「チイジ」ともよぶ。(築地の意)

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