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山王祭 [むかしむくれて]

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〇日枝神社
 千代田区永田町2丁目10番5号

☆山王祭
 元和元年六月十五日にはじまった。 道路の両側ませ垣を作り・高張り提灯を立て、軒先に提灯を並べ・造花をさし・幕をかけ・軒下に青い丸竹の欄干を作り、囃子台では組神楽・手踊りを催した。 町家では、つくり庭・酒樽・菓子・蒸篭・魚の番台桶を積み上げ、さらに茶船・荷足船・天満船をのせ造花で飾り、たくさんの提灯をともした。 なお、十四日から十五日夜まで武家は外出禁止。
※神田社の祭りと隔年ごとに行われた。

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☆神幸祭(上覧祭)
 神幸祭が初めて見えるのは、二代将軍秀忠公の元和二年からといわれています。 また寛永十二年家光公が城の楼上にて神幸行列を御覧になり、これが「徳川実紀」における将軍上覧の初見です。 以後、将軍の上覧は江戸時代を通じて恒例となり、神輿の城内渡御は百六回を数えました。

☆神幸行列
 山王祭の神幸行列は「神輿行列」と「山車行列」で構成されています。 山車行列は氏子の町々(百六十余町)が単独或いは類で参加し、山車の数45台と決められたが、附祭である踊屋台・練り物に趣向が凝らされ・華美に亘るとしてしばしば禁制をもって取締りがありました。

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