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すえぼ薬師 [さいたま]

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〇薬師堂跡、すえぼ薬師・すくぼ薬師跡
 志木市幸町3-12

 天文年間柏ノ城攻防戦にて本堂崩壊、農地となり取得した尾崎仁兵衛が石仏の薬師造立、円瑞・虎岩らが住職となったが元文年間宝幢寺持ちとなり薬師堂は消滅した。

※「すくぼ」は穂をすくうの意

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横線540

 昔、田面長者藤原長勝屋敷に信仰心の厚い一人の下女がいた。 彼女は思うところがあってか、脱穀後の籾殻を念入りにより分けては幾粒かの米粒を拾い出し・それをためては売って銭に換え、長年かかって薬師如来像を彫ってもらった。 下女の心根にうたれた長者はお堂を建て、籾殻の中からの誕生仏だからと「すくぼ薬師」と名付けたという。 西原の一隅に残る墓地はその薬師堂の跡だと伝えられている。


☆すくも薬師・すへぼ薬師
 古く田面長者館の下働きの女が、籾を脱穀した後のすくもを片づける際に残った米粒を拾い集め・ためては幾らかの銭に替えていた。 こうして貯めた銭で、仏師に頼み一寸二尺の薬師如来像を造った。 これに感動した長者は、屋敷内にお堂を建て・すくも薬師として祀った。 こうして周辺村々の人々から厚く信仰されたが、ある日この釈迦如来像が盗まれ、嘆き悲しんだ村人たちは石の薬師如来像を造り祀った。
 その後柏城落城のさい、お堂も焼け落ちた。 元禄十二年に麻布禅宗竜潭寺竹堂和尚弟子円端がこの地を訪れたさい、村人から話を聞き・この地に止まり「大塚のすくも薬師堂」を建立した。
※盗まれた薬師如来は甲州十日市場近くの寺の本尊として祀らた、ともいわれる。


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