二七の市 [さいたま]
○二七の市
浦和宿二・七市場跡 付市場定杭
さいたま市浦和区常盤1-5-19・慈恵稲荷社
浦和宿 について
○慈恵稲荷神社・成就院持
※浦和宿は上町・仲町・下町に分かれており、「上のお稲荷さん」とよばれていた。
※成就院は玉蔵院の末寺、明治四年廃寺、平成二年復興された。
中山道に面した慈恵稲荷神社の社頭に「市神様」と「市場定杭」が建てられています。ここは、浦和宿で市(いち)が開催された場所です。浦和の市は、毎月2と7の日に開かれており、月6回行われていました。始まりは定かではありませんが、戦国時代に発達した六斎市の形態を受け継いでいます。市神と定杭を残す市場跡は、全国的にも例が少なく、近世の商業史を知る上で貴重なものです。
☆慈恵稲荷社
室町時代中頃に浦和宿に市が設けられたといわれる。 天正十八年七月、豊臣秀吉武将浅野長吉が浦和宿に禁制を発し・市を立てることを公認した。 元禄十年頃には、上市場・中市場 ・下市場の三つに分かれていた。
2016-10-07 00:00
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0