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万年時計 [さいたま]

Kagaku_mannen2

万年自鳴鐘@国立科学博物館

横線540透明

Kagaku_mannen1

Kagaku_mannen3

○万年自鳴鐘〈田中久重作)
江戸/1851
 幕末・明治前期における先駆的な機械工作技術者田中久重【ひさしげ】(一七九九~一八八一)が嘉永四年に製作した天文や暦の表示を含む多機能時計である。
 田中久重は久留米藩の鼈甲師の家に生まれた。幼少時から発明の才にたけ、久留米絣の改良に貢献したり、からくり人形の興業を行い、「からくり儀【ぎ】右衛門【えもん】」の名を博した。技術修練の旅に出た後大坂に居を構え、懐中燭台【しょくだい】や無尽灯【むじんとう】の製作販売を手がけている。また、大坂から伏見、京都へと居を移す間に修学にも努め、弘化四年(一八四七)には土御門【つちみかど】家に入門して天文や暦学を学び、嘉永二年(一八四九)には嵯峨御所【さがごしょ】から近江大掾【おうみのだいじょう】の名の使用を許す永宣旨を受けた。蘭学者広瀬元恭【げんきょう】のもとで洋学の知識も吸収している。  久重がこれらの知識・技術を結集して製作し、京都四条烏丸に設けた機巧堂で公表したのが万年自鳴鐘である。当時季節によって一時【とき】の長さが変わる不定時法を表示する和時計は、頻繁な微調整が欠かせなかったが、久重は一度ゼンマイを巻き上げることによって一年間自動的に動くことを企図してこの製作にあたった。六角柱の各面に不定時法により時刻を表示する割駒【わりこま】式の和時計表示盤、二十四節気の表示盤、七曜および時打ち表示盤、十干十二支表示盤、月齢および旧暦日表示盤、定時法による輸入の洋時計の表示盤を配し、天頂部に京都から見た太陽と月の運行を示す天球儀を設け、これらを真鍮製のゼンマイを動力として連動して自動的に駆動させ、鐘を打って時を知らせた。

Seiko_tenkyu1

○須弥山儀
 太陽・月・潮干満・月齢など天体運行を示す天象時計。


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