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鬼子母神 [さいたま]

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鬼子母神
 (豊島区雑司ヶ谷3-15-20)

横線540透明

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 鬼子母神は500人(100人説もある)もの我子供を育てるため、人間の子供をさらって食べていた。 これを知ったお釈迦様が鬼子母神の一番下の子を隠したところ、鬼子母神が改心し「子供の守り神・安産の神」となったといわれる。

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 祭神は鬼子母神、なのでここでは鬼という字には上部のノが無い。(つの・角のつかない鬼の字)

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横線540

Ohji_mimizuku

○すすきみみずく
 貧しい娘が母の病を治そうと鬼子母神に日参すると「ススキの穂でミミズクをつくるべし」とのお告げあり。 作ると飛ぶように売れ、そのお金で薬を買い・母の病は治った。

Edo_zoushigaya雑司ヶ谷(江戸高名会亭尽)

横線540

Kishibojin39

Kawaguchiya

☆雑司ヶ谷鬼子母神・小鳥料理
 欅並木の両側に小鳥料理の料亭(蝶屋・千歳屋・武蔵屋・狸屋・開仙閣・嬉野など)があった。
※小鳥料理とは雀焼(雀のつけ焼)のこと、鷹の餌となる雀が穫れすぎたらしい。
※境内にあったのが飴屋「川口屋忠治」。

☆小鳥焼
 雑司ヶ谷鬼子母神名物の雀焼。 宮内庁に雀(鷹の餌)を納めていた「蝶屋」、余りに雀が捕れすぎたので焼鳥屋を始めたのが明治十一年。  明治二十七年頃には焼鳥の屋台が人気を呼び、やがて鶏肉(筋や臓腑)が主流となった。
※鶏肉と偽り犬の肉を売る屋台もあったらしい。
※江戸時代以前は獣肉食禁忌だったので、焼鳥は鳥を焼いたものだった。 一番人気は雉子、その他に鴨・雁・鶉・雀など。 鶏を食べるようになったのは安土桃山時代といわれる。

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