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グンマの昔:ジラート事件 [ぐんま]

Soumhara

○ジラート事件
 1957年1月30日、相馬ケ原演習場(相馬原)で弾拾いをしていた主婦が米兵ウィリアムSジラートに射殺された。(声をかけて弾拾いにおびき寄せ、逃げる主婦を背後からカラカイ半分に撃ったとされる)  国内世論に押され国内での裁判となり、11月19日「懲役三年執行猶予三年」となった。 12月6日、ジラートは横浜から米軍用船で帰ってしまった。 これを伝えたのは、「上毛新聞」だけだったといわれる。
※弾拾いは、土地を接収された農家の収入源でもあった。

横線540透明

○ジラート事件
 米軍接収により副業の炭俵用カヤが穫れなくなったので弾拾いを生業とするようになった、その数400名。 一日に2~3貫拾うと月に約二万円。 演習日前には米軍から「立ち入り禁止」通告があるが、これが逆効果で弾拾い競争のスタートとなった。 すでに死傷者29名、砲弾の破片で即死する者もいた。
 


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