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高崎市歴史民俗資料館 [ぐんま]

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○高崎市歴史民俗資料館
 高崎市上滝町1058番地、電話:027-352-1261

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○将軍塚伝説・東山道十五の都督 彦狭嶋王
 『日本書紀』によれば、第10代崇神天皇の子の豊城入彦命(豊城命)の孫で八綱田命の子の彦狭嶋王は、景行天皇55年に豊城命の孫として東山道十五国(各国については未詳)の都督(中国の『晋音職官志』に出てくる官名。ここでは東国の支配を委任任された意か)に任命され、赴任の途中に春日(鋳みなど諸説あり不明)で死亡し、その後東国の百姓が悲しんで亡骸を運んでよ野国に葬ったとあります。 しかし上野園がなぜ埋葬する場所になったのかは不明です。 これらの記事から後世の人々が元島名将軍塚古墳に由来を求めたと考えられています。

○元島名将軍塚古墳の歴史
 古くから王山と呼ばれた将軍塚は彦狭嶋王の墓と考えられ、嶋名明神が祀られていました。 老杉や古松が数株あり、古墳の東南にあった大きな池は将軍渕とよばれも、古墳を造るため土を取った穴とも、井野川によってできたともいわれています。 江戸時代、高崎城主大河内氏が代々参拝の際は仮の小屋を構え休息所にあてました。 この頃は将軍の名を避けて「将言塚」と称しました。 現在でも付近の人々め氏神様として尊ばれ、 現在でも付近の人々め氏神様として尊ばれ、桜の小名所でもある。


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