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渋川伝説(1) [ぐんま]

Onogami11

○小野上名石
 ・夫婦石:七社神社そばにあるのが女石、粗末に扱うと祟りがある。 男石は上流にいる。
 ・牛の屎石:牛の糞に似ている、でも高さ6m幅9m。
 ・むしば神:虫歯に見えないこともない、おがらの箸を供えると虫歯が治る。
 ・弘法の腰掛石:弘法大師が腰掛けた、足跡二つとお尻の跡がある。
 ・白丁石:弘法大師が「白丁」と書いたといわれる。
 ・蟹石:川辺の蟹に見えた。
 ・かえる石と硯石:雨乞い祈願用。

横線540透明

Onogami11c

○有馬五石ほか
 ・子種石:石に手を触れて祈願すると子種が授かる。(若伊香保神社)
 ・獅子石:形が獅子に似ていた。
 ・大石:1870年頃午王沢の氾濫で流れてきた。
 ・夫婦石:有馬五輪平の上にあった。
 ・カンカン石:釜石古墳跡にあった葺石、たたくとカンカン鳴った。
 ・夫婦石:昔は離れていたが気がついたら寄り添っていた。(渋川市石原) 
  ※半田築地前にも「夫婦石」がある。
 ・カブト石:雨乞い祈願用。(川島)
 ・にらめ石:伊香保町と川島の境を睨んでいるといわれる。
 ・神足石:神様が遊びに行った時の足跡なので、踏んではいけない。(石原・大山祇神社)
 ・天狗の足跡:天狗が中村・早尾神社と半田・早尾神社をまたいだときの足跡、その上に足を乗せると足が腐る。
 ・天狗の足跡:榛名の天狗が赤城山をひとまたぎしようとしてコケた跡が「般若石」、杖の跡も残っていた。

○渋川の八名石
 ・雄石:黒沢奥の夫婦石が洪水で流れ着いた。(南小学校) 雌石は黒沢にとどまり、蛇神を祭り洪水を防いでいる。
 ・巽石:武田信玄が白井城攻めのおり石碑を建てたが、一夜のうちに巽の方向を向いたとされる。(真光寺)
 ・剣磨石:竜が雲を起こして昇天するさい、尾の先を入れてえぐったので穴が開いた。 
  ※剣の擦跡があるとの説もある。
 ・夜泣き石:石工が石材にしようとしたら、夜毎泣いたといわれた。
 ・巾着石:弘法大師が諸国行脚のさい持ってきた。(駒形神社)
 ・蚕種石:蚕がよくあたるといわれた。(渋川八幡宮)
 ・寸白石:臼形の石、婦人病に効く。(観音堂)

○長松寺(吉岡町)
 ・境内にあった松の木は、熊谷の堤防からも見えたので、「長松寺」。  鴻など様々な鳥が住み着いていたのが「鴻降る坂」。
 ・漆原打出には怪力「鬼の又三郎」がいた。
  ※渋川元町にも怪力「角田清右衛門」の話がある。
 ・船尾山の天狗が千葉左衛門常将の子「相馬若」をさらったのを怒り、寺に火を放った。 この時、観音様御神体を結びつけた矢を放ったところ、漆原新田で桑を摘んでいる少女のざるに入ったので「ざる観音」。 
  ※「相馬若」は天狗が授けた子との説もある。 天狗の仕業と知った常将が責任をとって自害したのが「自害沢」、御台所達が自害したのが船尾山「比丘比沢」、そしてよばれたのが「思い川」と「相満獄」。
  ※船尾山・柳沢寺にも「月寒童子」なる同じような話がある。
  ※常将が陣を張ったのが吉岡「陣馬」。
  ※常将が不入(船尾)を焼いたとき、武将が自害したのが「ジゲエ沢」。

○長岡八景
 ・くもいの桜(こしかけ桜):年をとると腰掛けるようになるのが「くもい坂」。
 ・立道の風:三国山脈からの冷たい風。
 ・庚申の井戸
 ・三ツ家の裏木戸:三軒の家の裏木戸を開けると、この地一帯の里が見える。
 ・四ツ谷の稲荷(草壁稲荷):迷人が、東京・四ツ谷の稲荷で道を教わったらしい。
 ・東光寺の月:月夜の晩の関東の眺めが良いらしい。
 ・台の雲:眺めが良いらしい。
 ・不動の滝:雨期になると滝が現れるらしい。

○天明の浅間山焼けで登った人々が助かったのが「人助けのへだまの木」。 カヤの大木だが、屁の臭いかするといわれる。 
※後に、賑貸感恩の碑を建てた。
※浅間焼けから家を守った「サイカチの木」という話もある。(渋川川島)

○有馬左剣不動
 赤子を預けたのち引き取りに来た六部を斬ってしまったのを弔い造ったのが「有馬左剣地蔵」、石屋は右手に剣を持たせたといったが、なぜか剣を左手に持っていた。

○子持神社
 子持山の御神体は軍神、伊勢国の戦に敗れて海を逃げるとき鮗の大群に守られ・鮗を焼いて追手をかわしたので、氏子は鮗を食べてはいけない。  和里人殿の奥方が姿を消したのを悲しみ名付けたのが「吾妻県」、涙を流したのが「涙川」(訛ってナブタ川)、伊勢国出身だったので「伊勢町」。

○児持山縁起
 伊勢国・阿野権守広明の姫(児持御前)が国司から逃れようと、鮗を焼いて葬儀を装い姫を死んだことにしたので「子の代(コノシロ)」。 その後、児持御前と夫加若次郎和利は子持山まで逃げ延びた。

○毎夜、菅笠をかぶった妖怪が出るというので斬りてたところ、ひもじい子供何とか食べさせようとした母であった。 その供養としたのが、小野上村「笠切り地蔵」。

○七曜の矢(金善七社明神)
 夫布施大臣小野金善に化けた古狐に気づきいた、田野長者の娘「染葉前」が吾妻川に身を投げたさい、七人の息子を前に七本の矢を放ったところが「矢矧坂」・矢が落ちたところが「金善子七社明神」・身を投げたところが「歯黒渕」・亡骸が流れ着いたのが「歯黒川原」・葬ったのが「歯黒稲荷」。
※子持ち様が姿をくらますために歯を黒く染めたので「歯黒」との説もある。

○めくらっ渕(岩井堂観音堂)
 市城境に目が不自由な母と子が暮らしていたが、ある雪深い日吾妻川に落ちて、母親は死亡・娘は助けられた。 そして、村人達ら に育まれた娘は、いつしか村から消えた。 いつしか経ったとき、岩井堂観音様須弥壇に大金が供えられた。 壁には「大慈悲のめぐみも深きいわい堂 親子はめぐりあうとこそきけ」。


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