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境町伝説(佐波郡境町、現伊勢崎市) [ぐんま]

Itakura

○東新井村と花香塚村の境界争いで死んだ村人二人を葬ったのが二つ塚。

○十日夜には、カエルにあげる餅を供える。(蛙が鳴くのは稲を守っているのだ、ごくろうさま)

○七母女天には子供が七人おりその一人はスサリオノ命、お願いは一言「おばあさんたのむよ」。

○アンナシヅカは「あんな静かな所は無い」から始まった。

○淵名神社には、皮を煎じると乳が出るようになるイチョウの木があった、その地は銀杏と呼ばれた。

○境町木島には、皮を煎じると乳が出るようになる松木があつり「乳松」とよばれた。

○下淵名には別れ橋(嫁入りが親から別れた所)があった。

○西馬場・竜昌院境内のノラボーズ薬師は丁寧に扱ってはいけない、テキトーにすべし。

○雷電神社の杉木の皮は雷から身を守る「お守り」。(落雷により杉から黄金像が生まれた)

○「蒔初の原」とは初めて農作物の種を蒔いた地。

○和銅年間穂積親王が休んだ地が「穂積(保泉)」。

○いぼ地蔵にお願いするときは、泥ダンゴを供える。

○北向地蔵は北を向いている、物見のは戦国時代敵の様子を見た場所。

○火伏せの観音様は、1837年の大火の延焼を防いだ。

○友庵地蔵に願掛けするときは、金鳥居を供える。(縫い針で鳥居の形を作っても可)

○真福寺の千手観音は、火事のさい自ら観音橋へ避難した。

○倒れた三ツ木の方向で、上江田・中江田・下江田と決めた。

○竜頭堀の火は、戦国時代の戦死者の魂であった。

○塚畑は罪人の首を斬った所、畑を作ると祟りがある。

○女塚・法楽寺の重英法印和尚はキトボウ様(祈祷坊様)として親しまれていた。

○米岡のアテノ木は、昔利根川の洪水を防いだ跡。(木を当てた)

○昔筏を作った時に使った縄(藤つる)の残り根付いて大木となったのでこの地を「藤の木」と呼ぶようになった。

○日本武尊が小此木で休んだ時、朝日輝く景色に見とれ「朝日の里」と名づけた。

○うっかり渡しでは、しばしば狐や狸に化かされた。

○板倉町の雷電様と境町の雷電様と伊与久の雷電様はみな兄弟。

(板倉・雷電神社)


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