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節句は女の祭りだった(女の日) [ぐんま]

Syoubuyu39

○節句
 ショウブとヨモギを軒に下げて厄除けとした。(昔、鬼に追われた人がショウブとヨモギの間に隠れ、その香により鬼が人を見失ったとされる)  子供に菖蒲をつけ・こいて腹をむぐし、腹の虫除けとした。  地域によっては、菖蒲が育つのを待って一ヶ月遅れで節句をした。

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○節句・菖蒲と蓬
 強い香気を発するので魔性のものを退けるとされた。 これらで、屋根を葺き(屋根に挿すor軒先に挿す)・菖蒲湯に入り・菖蒲酒を飲み・菖蒲で打ち合い・地面をたたき・女の尻を打ち・枕辺にしき・鉢巻にする、これで完璧。  

○女の家(女の日・女の大将の日・女の夜、ともいう)・五月四日の晩or五月五日の晩
 五月五日は男の節句なので、男どもは挨拶廻り・夜祭りなどに出かけ、女だけが家に籠もることになる。 そこでグンマでは、女が威張ってもよい日・おんなが優先の日・四日の晩は男衆に盛り出てもらって女は食べる・女衆が先に菖蒲湯に入る・女が上座に座る、などといわれた。

○五月節句
 地域によっては、神棚には節句飾り、赤飯・お茶・煮しめ(干瓢・椎茸・里芋・人参・蓮根・するめ・蒲鉾など)を供え、干鱈を食べた。

○地域によっては、藤の葉を軒先にさすと蛇が来ないといわれた。(四月八日頃)
※藤の花をとろうとした蛇が、高い梢から落ちて死んだとされる。

☆菖蒲
 鎌倉武士は菖蒲の葉を刀の見立て「尚武」とした。

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☆五節供
 五節供は、人日1月7日・上巳3月3日・端午5月5日・七夕7月7日・重陽9月9日、だった。
※もともとの端午の節供は女の祭りだったといわれる。 後に節句となった。
※明治六年一月一日、五節句が廃止された。 その後いつとはなく端午と重陽は復活したらしい。


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