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グンマの昔:藪塚石材軌道 [ぐんま]

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○藪塚石材軌道
 1909年藪塚石材鉄道設立(東武鉄道太田停車場~両毛線大間々停車場を藪塚石運送計画)、1911年太田~藪塚工事開始、当初は馬車鉄道を計画したが「軽便鉄道法」による敷設に変更し人車鉄道で旅客も運んだ。 同年、太田軽便鉄道に改称、設立当初から東武鉄道資本であったため1912年東武鉄道に線路敷設権を譲渡し太田~藪塚本町で蒸気化・軌間変更、1913年東武鉄道として蒸気鉄道線(太田~相老)となった。

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○藪塚石材鉄道
 1903年藪塚石材株式会社設立、1908年藪塚石材軌道株式会社設立、1911年軽便鉄道認可(太田岩宿まで)太田軽便鉄道株式会社に改称、1912年足尾鉄道相老停車場まで延長計画し蒸気機関車導入、1912年竣工(東武鉄道出資)。
 太田~藪塚間にトロッコ専用レール敷設し、藪塚本町・西長岡村の石材を運搬した人車軌道、単線ただし現治良門橋・西慶寺付近のみ交換線あり。 
※呑竜様開山忌には女性・子供を運んだらしい。

○藪塚石
 東京市電の敷石・竃・家の土台や堀に利用された。  1913年東武鉄道が桐生まで開通すると、藪塚鉱泉は、湯治客でにぎわった。

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《グンマを話そう》

○温泉伝説(藪塚鉱泉)
 ある昔藪塚の地に湯の湧き出る泉があり、傷ついた鳥たちが身を休めては飛び立っていった。 これを見た里人が薬師如来のお告げとみて温泉を引いた。 すると足腰の痛みや中風が治り、やがては評判となり近隣近在から大勢の人々がやってきた。 
 ある日、あし毛の馬が飛来し・一声いななくと、雲を呼び雨を起こして天空高く舞い上っていった。 そして温泉は、たちまち冷泉となってしまった。
 時が流れ、薬師如来の「この冷泉を温めよ」とのお告げがあり、さっそく温めて入浴したところ、さまざまな病は治ってしまった。 こうして藪塚鉱泉は冷泉ながらも薬湯として知られるようになった。


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