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郷土玩具:沼田天狗面 [ぐんま]

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○沼田天狗面
 沼田市北部の迦葉山龍華院弥勤寺は853年、天台宗比叡山座主の慈覚大師を招き、創建したと伝わる。 その後、室町時代に曹洞宗に改宗された。 さらには1451年、禅問答で天巽禅師を破り曹洞宗を確立した。 寺には日本一の天狗面が安置され、古くから天狗の寺として有名だ。 同寺に入山した僧侶が天狗になって昇天したとの伝説があり、参詣者は最初の年に天狗面を寺から借り受け、願いが叶うと門前の店で新しい天狗面を買い求めて二つを奉納し、さらに別の天狗面を借りるという風習が今も続いている。 

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 鎮守の中峰尊は「お天狗さま」と呼ばれ、五穀豊穣・商売繁昌の開運の神として養蚕農家の信仰があつかった。 

※山椒の擂粉木も売っていたそうだ。
※山の神と天狗は表裏一体の神で、山の神が進化して特定な姿を与えられたのが天狗とされている。 そのため、顔は怖いが忌避される存在ではないとされる。


○迦葉山の天狗
 迦葉山龍華院弥勒寺は天台宗の寺として開かれたが、中峰尊が「我こそ迦葉の化身である」と残して昇天した後、曹洞宗に改宗し中峰尊を「天狗様」として祀ったとされる。 その後は、養蚕の神・開運の神として広く信仰されるようになった。


※昔、中国で流星や彗星の姿が狗(犬)や狐に似ているのことから、「天の狗(いぬ)」で「天狗」と呼ばれるようになった。  その後平安時代、天狗の棲む世界は「天狗道」と呼ばれ、傲慢な僧が死んだ後に転生する魔界と考えられるようになった。 そしては傲慢さの象徴として鼻が高くイメージされるようになった。


○迦葉山
 交通便利なので、釈葉山への信仰登山として栄えた。  1456年小田原最乗寺第十五世天巽慶順が巡錫中随従していた弟子の「中峯」が、天巽没後ら天狗に化生し中峯尊者となった。  その後、沼田城主真田伊賀守信済が、聖地釈葉山で山狩りしたのが天狗の怒りに触れ、命からがら逃げ帰った。 こうして釈葉山の天狗が有名になった。


Kasyousan○迦葉山弥勒寺山門(沼田市)
 1938年建築。


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