岩鼻軽便鉄道 [ぐんま]
○岩鼻軽便鉄道
当初、岩鼻火薬製造所(1880年~1945年)の製造品(黒色火薬・ダイナマイト・無煙火薬など)は船(陸軍御用船)で運ばれていたが、やがて倉賀野駅まで荷車・荷馬車で運ばれるようになった。
1915年、倉賀野駅から岩鼻火薬製造所間(上州岩鼻)に鉄道敷設計画、翌年岩鼻軽便鉄道株式会社が設立された。 軽便鉄道となったの免許手続き等が簡単なためで、規格は国鉄と同じで倉賀野駅で国鉄に直結し管理は鉄道省に委託された。 その後は火薬の原材料・製品を輸送し、1945年陸軍省に買収(廃止)された。 跡地は、日本原子力研究所・群馬の森公園・日本化薬株式会社に三分割された。
※沼田市上川田に、地下工場があった。
2013-12-01 00:00
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0