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膝子塚

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〇膝子塚、さいたま市見沼区膝子785

 村人が「膝のような形をした赤子」を産んだので、これを埋めたともいわれる。

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Minuma_hizako8〇筆塚(森田久蔵)

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 膝子塚は古墳、赤子伝説は後から付け加えられた。 古くこの地は広大な沼(湿地帯)が広がり、膝までもぐるほど地盤が弱かったので「膝子沼」とよばれた。 元々見沼は湿地帯だったので、沼に由来する地名が多く「深作」などもその一例。
※膝小僧→膝っ子→膝子
※膝子塚は、大宮台地に多く残る古墳と形状・規模が同じ。 
※一村民が作る赤子塚の..

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慈恩寺

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○慈恩寺・坂東三十三観音霊場第十二番
 さいたま市岩槻139、048-794-1354

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☆慈恩寺文書
 平安時代初期の創建と伝えられる慈恩寺所蔵の文書。 天文十八年の岩槻城主太田資正寄進状を初見に、総計500点余りにのぼる。

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 慈恩寺は、天長元年慈覚大師(円仁)により開かれた寺院です。慈覚大師は、天台宗山門派の祖として名高い平安時代の僧です。 大師の出身は下野国の豪族壬生氏であると言われ、九歳から都賀郡小野の大慈寺の住職広智について修行を積み、十五歳で比叡山..

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蕨と渋川公

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 ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。  しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。

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○榛名神社
 榛名神社の祭神は火産霊神・埴山姫神で、五穀豊穣を祈願する講による参拝がさかんだった。 特..

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大黒院

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○大黒院・黒塚
 さいたま市大宮区堀の内町3-314、048-641-8788

☆黒塚の鬼婆
 足立ヶ原に棲む鬼婆を、東光坊祐慶阿闍梨が鎮めた。 祐慶上人が東国足立ヶ原にて黒塚の悪鬼を呪伏して東光坊と号した。 その後東光寺は移転、黒塚大黒院が残る。 足立ヶ原には女盗賊もいたといわれる。

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☆黒塚の大黒天
 大正時代道路建設のさい、地中より出土したものを祀った。 
※人皇七十代後冷泉天皇の御代永承六年、陸奥の土豪安倍頼時が叛乱を起こした..

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霧吹きの井戸跡

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○霧吹きの井戸跡
 所沢市城

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☆霧吹きの井戸跡
 滝の城跡 西側の七曲坂を下りきった所に残る井戸跡です。 昔、井戸に竜が棲んでおり・たびたび悪さをしことから、村人たちは竜を退治するめ柳瀬川の対岸に舞台を作り・お祭騒ぎして竜びき出して弓で射いたという伝説があります。  弘化三年建立の大峯権現と刻まれた石造物があります。

※城が攻められた折この井戸から霧が吹き出して城を守った、という伝説もある。

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足立姫の古墳

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○足立姫の古墳
 北区堀船4-13-28・船方神社

 荒川に身を投げた足立姫、堀船に流れ着いた遺体を祀った。

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 神亀二年の創設とも伝えられていますが、嘉永六年の火災により、 すべての記録が失われました。 古くは本殿の右脇十二天塚があることから、「十二社」と呼ばれていました。  明治十二年に今の名称に改名されました。
 言い伝えでは、この地域の荘園主 豊島清元(清光)が、熊野権現に祈願して授かった一人の姫が、成人して足立少輔に嫁いだのですが、 そこで心ない仕打ちを受け、..

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埼玉伝説 メモ

Omiya_kurozuka9黒塚・潮田出羽守城跡

埼玉県伝説集成(主に県南版)

○馬蹄寺、上尾市平方・馬蹄寺
 吾妻左衛門是好の叔父三輪荘司が死んで馬に生まれ変わった、といわれる。

○片目の氏神、上尾市平方・
 氏子の目は片方が小さいとか…

○平方のお獅子、上尾市平方・
 伊草村の獅子頭が大水で上尾平方に流れ着いた。

○疱瘡石、朝霞市岡・東円寺
 疱瘡に罹ったら枕元にこの石を置くと治る。

○弘法大師掘抜の滝、朝霞市岡・東丹寺付近
 弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。

○片目の魚、朝霞市岡・広沢の池..

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さきたま伝説

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☆調神社の七不思議・さいたま市中央区
 神社に鳥居がない・境内に松の木がない(門松もたてない)・兎が神の使いである・日蓮上人が駒を繋いだ欅がある・池に片目の魚がいる・蝿がいない・蛟(みずち)がいない。

調神社 の画像を検索 )

※神が降臨や出陣のさい、誤って転び・松葉や胡麻などで目を突いたので、神は片目だったという信仰がある。 このため、片目の生物は神の眷属として祀られた。 神に供える魚を池に放つさい目印とした、との説もある。
※眼を患った人が願掛けに放ったという説..

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とうきょう伝説

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東京伝説

☆スッテクリョウ、秋川市菅生・
 兄弟の太郎と二郎、太郎の白馬を二郎が代掻きに使い喧嘩となり・太郎は殺されてしまった。 太郎は埋葬のさい頭を剃ってなかったので今尚「剃ってくれ」…

☆足立姫と六阿弥陀、足立区扇2・性翁寺
 豊島氏に嫁いだ宮城宰相の娘足立姫、不縁となり川に身を投げた。 父は姫の霊を弔うため紀州熊野にて霊木を得、行基が六体の阿弥陀仏と木余如来を彫った。

☆猿仏塚、足立区栗原1・島根小学校前
 むかしむくれて農家には利口な猿、ある日家人の留守に赤ん坊を風呂に入れ..

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興照寺

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○興照寺
 川口市差間2-13-5

弘法大師 について

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鯖大師(弘法大師) 

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○興照寺
 明全和尚、越後高田藩主側室の子として生まれるも母親と共に城を追い出され、そしては母を失い僧侶になり・修行の後、興照寺住職となった。 四国霊場を巡るおり鯖大師の伝説を聞き、鯖大師建立となった。 身の丈六尺・目方四十貫といわれる。
 弘法大師が大阪巡礼のおり、金子なく宿に泊まれなかったので川の土手で野宿をすると、行儀菩薩の夢を見た。 朝起きて歩き始めると馬の背に魚を..

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お御前様

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○お御前様・栃谷立石(高篠村)

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☆御前社・将門伝説
 頃は天慶年間平将門は破れ その后妃は御厨(屋)三郎(平定延期)につれられて 下総の古河より秩父の城峰山に移ったが 程なく城峰の砦も落ちてしまった。
 主従合わせて百余人は敵の大軍に追われつつ三峰方面に向って逃げたのである。 然し此分ではとても逃のびる事は不可能であると悟った家来の五人は如何にして我が主だけは刃にかけたくないと思って一策を案じ 敵の大軍が雪崩を打って押し寄せてくるのに乗じ意を含めて味方の大部隊は..

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伝説の秩父

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☆御前様・高篠立石
 天正十八年北条氏邦戦いに破れ鉢形城開城、徳川氏代官の支配下となった。 家臣御前但馬守と家来椿兵左衛門は立石に落ちのぴ、小さな小屋を建て・農耕し・子供達に学問を教えた。 村人達に信頼されるようになったころ、武士達がやってきて・御前らを殺害してしまった。 これを哀れんだ村人達は 小屋跡に祠を建て御前様を奉り・廻りに椿を植えた。
※武士達に桔梗紋だったともいわれる。

☆天狗たん譚・槻川村坂本琴平神社
 近くの山には天狗が住み、この天狗をからかった男の家が飛ん..

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秩父定峰山里の道

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秩父市定峰

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○定峰神社
 社伝によれば、天正十一年武田信玄の家臣・島田左近大夫定峰村に土着帰農に際し、加賀総社白山神社の分霊を勧請、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を本村字権現堂宮城の地に鎮座し・白山権現と称し・村の総鎮守とす。 境内に愛宕社・天神社・白鳥社・山神社を祀る。 明治四年村社に列せられ、明治四十年七月、高篠村中心地字七曲り無格社八坂神社に合祀し、さらに無格社・妙見社・稲荷社を合祀して定峰神社と改称す。

☆古くは権現様ともよばれ、安産を願う産泰講があった。

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鉢形城歴史館・鉢形城跡

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○鉢形城歴史館・鉢形城公園
 大里郡寄居町大字鉢形2496-2、月休、048-586-0315

城跡 について

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Shiro_hachigata1○武州鉢方古城

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☆万年山少林寺
 少林寺に長く飼われた猫一匹、数珠を置いて寺を去った。 数日後、鉢形城主が亡くなり、葬式の最中棺が天高く舞い上がった。 このとき、少林寺僧侶「万年山少林寺住職ここにあり」と唱え・数珠を天に投げ上げると、棺は元の場所に収まった。
※江戸時代、少林寺は幕府から十五石の朱印を受けた..

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蕨城跡

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○蕨城跡
 蕨市中央5-20

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☆蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたのに始まり、戦国時代の永禄十年、上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。 江戸時代の始めには、鷹狩り用の休憩地の「御殿」として蕨城の跡地が利用されました。

城跡 について

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○蕨城
 和樂備神社南方に渋川氏居館の跡とも伝えられる。

☆蕨
 古くは「藁火の里」ともいわれたらしい。 ただ城を造るに際して「火」は良くないので「蕨」としたともいわれる。

☆蕨
 古く..

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館林伝説

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○城沼に住む竜が女に身を変え、七日間上人の説教を聴いた後飛び込んだのが善導寺「竜の井」。 それ以降、井戸使用禁止。

○須賀沼の南沼の主は大蛇・北沼の主は大亀、宝光寺・とみ坊主が魚取りをしたに怒り懲らしめてからは魚取りをする者はいなくなった。

○昔から洪水に見舞われた大沼を埋め立てたさい、沼の主夫婦の二匹のウナギを祀ったのが「須賀弁天祠」。

○赤岩にあった沼の主は大蛇、村の娘が次々と消えた。 そこで、藤原長良の御殿女中「おさよ殿」が弓で退治し、頭を瀬戸井・切り刻んだ胴体を舞木などに祀..

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宮城村伝説(現前橋市の一部)

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○「後閑・朝倉、女のよばい、男ごしよらくしてまちる」

○「重兵衛膏」は、くるまやに伝わる家伝薬。 酒で飲む内服薬もあった。

○「大前田の獅子は火事よりこわい、栗の強飯、むね(胸と棟の意)がやける」といわれた。 

○「盆のぼたもち、芯から米だ」といわれた。

○いたかそば:大根を沢山入れたソバ、「ここにソバがいたか!」。
 (だいこんそば・大根蕎麦は、ダイコンの量が多いので別名「蕎麦大根」)

○イモデンガク:芋をゆで・串にさし・焼いて・味噌をつける。 イモグシともよばれた。 

○うどんはぶつ..

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東村(勢多郡)伝説

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○草木八景
 タツノ口(竜が口を開けた形)・タツ石・トウロウ石(姫様が灯明をつけたとも)・四十八か石(穴が48あった)・メガマ石・オガマ石・弘法の割り石・オボシ石

○小中鉱泉

○万太郎淵
 万太郎が魚釣りをしていたらクモに糸をかけられた。

○カリガケの滝
 カッパが出たらしい。

○天狗の森

○袈裟丸山
 弘法大師が寺を建てようとしたら、天狗が一谷隠したので九十九谷しかないのであきらめ、自分の袈裟を丸めてぶちゃった。

○坂東太郎の大石
 割ると血が出るといわれる。

○坂東太郎の大岩
 伊勢参りをしたとさ..

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グンマの昔:老神温泉

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老神温泉(1959年)

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 ある昔「上野国赤城山の神」と「下野国二荒山の神」との間に、日光中禅寺湖をめぐって領有権争いが生じた。  話し合いでは合致に至らず、両神はそれぞれ大蛇と大ムカデに変身し、戦闘が勃発した。(両神がどちらに変身したかは諸説あるが、百足より蛇を自国の神としたいのが本音のようだ)
 この戦闘で流れた血で山が赤く染まり、「赤き山」すなわち「赤城山」となった。

※二荒山神社には大蛇が祭られてるのに対し、老神温泉には大蛇関連の歴史的資料は無い。

※老神温泉では「赤城の..

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長野原伝説

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(石梨の木)

○「おきゃくまんま」とは米の飯。 お客専用だった。

○「三杯汁は馬鹿がする」といわれた。

○「女のもつべき穴一つ ささんとすれば毛がもじゃもじゃ つばきをつけてねじりこめ」、は針のこと。

○お供えを射ったら中から白い鳥が飛びだし・その家は貧乏になったので、「お供えを射てはいけない」。

○お熊野様の洞窟に鶏を放したら、鶏は越後へ出たといわれる。

○カッパが法印さんに教えたのが「骨接薬」、女人だけが作れたらしい。

○ダイダラボッチが高くしたのが浅間山・残った一もっこ分の土が小..

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松井田伝説

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○碓氷貞光
 碓氷の荒太郎・荒童子ともよばれ、怪力だった。 これを土産としたのが、碓氷峠の「力餅」。 貞光梨というのもあった。

○十九夜様・十九夜念仏
 お産の神様、三月十九日が祭日だが、農繁期を避け二月十九日に行うことが多い。

○天狗
 目撃情報多数。 谷急山ケゲンが穴・角内山・オヤン沢、など。

○狐
 狐に化かされた人も多数。

○丸目蔵人
 剣客丸目蔵人が、坂本町城山頂上に道場を建てたとされる。

○山賊
 灘の佐太夫なる山賊がいたといわれる。 怪力で殿様の駕籠を一人で担ぎ峠を越えたといわれる..

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地名伝説(赤城山西麓)

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○北橘(ほっきつ)
 日本武尊命が山頂で、弟橘姫を偲んで「あづまはや」と入ったので、この山を「橘山」。 が、植物の橘が由来との説、急崖が立っているので「立ちバナ」との説もある。 

○岩鼻
 烏川に臨んだ所が岩石になっている。

○板鼻
 碓氷川に平板が臨んだ大地。

○十二様
 十二人の神々・十二人の子供を持つ神・一年を守護する神、など言われるが本当のところは判っていない。 女の山の神様である。
※女房を「山の神」というのは、十二様が源。

○溝呂木
 オオミ堂のミゾロガ池の主大蛇が大きくなり池が小さ..

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グンマ地名伝説

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○地名伝説、あくまで伝説

○明戸坂(あけとさか)
 小倉季氏がこの坂を通ると日輪が輝いたとか、鹿島・香取の神がこの坂を通ると夜が明け始めた、ともいわれる。 ※アクト・アクツが源らしい。

○稲含山
 神が唐から種籾を口の中に隠して持ち込んだとされる。

○入の湯
 猟師が山中深く犬が傷を癒している湯をみつけたので「犬の湯」が源。

○歌川町
 藤原定家と藤原家隆が、烏川を渡れず歌を詠み合ったとされる。

○姥が懐(うばがふところ)
 平井落城で上杉憲政の嫡男竜芳君が姥もろとも自害した。

○海老瀬(えびせ)..

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高崎の地名 (2)

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○高崎市町名由来

○あら町:和田城時代、金井宿・馬上宿に次いでできたので新町。 あら町と本町と田町で三伝馬といわれた。

○引間町:千葉常将が船尾山焼き討ちのさい寺側の僧兵の抵抗にあい、兵を引いたのが引間(引馬)。

○堰代町:熊野神社を挟んで北側は堰方役人屋敷、南側は城代の組屋敷があったので、堰代町。(1973年)

○煙草横町:舘たばこ・光台寺たばこ、を売っていた。

○嘉多町:1774年、本町から片町が独立し嘉多町と改称した。

○歌川町:藤原定家と藤原家隆が「歌の橋」で出会い、互いに歌を詠..

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高崎市歴史民俗資料館

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○高崎市歴史民俗資料館
 高崎市上滝町1058番地、電話:027-352-1261

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○将軍塚伝説・東山道十五の都督 彦狭嶋王
 『日本書紀』によれば、第10代崇神天皇の子の豊城入彦命(豊城命)の孫で八綱田命の子の彦狭嶋王は、景行天皇55年に豊城命の孫として東山道十五国(各国については未詳)の都督(中国の『晋音職官志』に出てくる官名。ここでは東国の支配を委任任された意か)に任命され、赴任の途中に春日(鋳みなど諸説あり不明)で死亡し、その後東国の百姓が悲しんで亡骸を運んでよ野..

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一之宮貫前神社

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○貫前神社(富岡市一ノ宮1535)
 県内に分社が多いのが「赤城神社」、大元は三夜沢にある。 しかし、上州一の宮は「貫前神社」、二の宮が「赤城神社」、三の宮が「伊香保神社」である。  貫前神社は社殿が表門より低い「下り参道」、水的神事・巫射祭・筒粥神事・鹿占神事・オミトウなど古風神事が続けられている。
※伝説では、「赤城神社」の神が織物の神様である「貫前神社」の神に織物を織るの手伝ってもらったので「一の宮」の地位を譲ったともいわれる。(神道集@室町時代)
※貫前神社は、1625..

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グンマの神々(1)

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 グンマの主な山は、アカギサマ・ハルナサマ・コモッチャマ・ホタカサマ・シラネサマ、などみなタケ山的性格を持っている。  また、井戸などの水資源は共同利用だったので、清浄に保つため数多くの俗信があった。

カッパはグンマ各地でみられた。 嫌われることが多かったが、六合村湯本家にはカッパに教えられた秘伝薬がある。
○グンマの川・池・淵の底には多くの竜宮が存在し、そのほとんどが椀・膳の貸し出しをおこなっていた。
○メカゴ(メッパ)ができたら、井戸の上にふるい(ショウギ・スイノウ)を半..

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渋川伝説(2)

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○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

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○雙林寺の七不思議
 ・開山堂の一本の拍子木、悪いことが起こりそうになると鳴る。
 ・月江和尚が持っていた数珠が大木となったのが「開山のつなぎカヤ」。 その実は針で通したよう..

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邑楽伝説(邑楽郡、現板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町)

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○玉取姫
 秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。  しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。

○万寿二年、宝日向なる者が来て、沼の辺に居を構え・釜の鋳造(鋳物)を始めた。 なので地名「日向」、鋳物につかうフイゴ(タタラ)から「多々良沼」とよ..

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グンマの昔:竜源寺(前橋)

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○竜源寺
 竜仙和尚が、悪さをするムジナを戒めた伝説がある。  また赤城小沼の竜が夫婦で座禅に来て、「春竜上座」・「春香大姉」なる法名を与えられたともいわれる。

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勢多の伝説(勢多郡、現前橋市・渋川市・桐生市・みどり市の一部)

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○かつて相輪塔は沢入にあったが、天狗が女人が上がるのを嫌がり、奥の塔の沢に一晩で移した。 このとき、石を一個ずつ移したので上下逆になった。 それでも倒れないのは、中に白蛇を封じ込めているからである。  さらには、勝道上人が作ったとされる寝釈迦がある。(ただし、4月8日より前は白蛇がでる)  「白蛇の塔(層輪塔or沢入塔)」というのもある。

○旅人となり伊勢参りをしたのが「坂東太郎の大岩」、宿銭を借りたがちゃんと返した。

○沢入春場見・渡良瀬川にあるのが「夫婦岩(雄岩と雌岩)」..

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桐生・金山城伝説

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○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

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○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入っ..

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館林・館林城(尾曳き城)伝説

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○赤井但馬守照康が助けた子狐の親白狐が城の地割りをして築いたのが「館林城・尾曳き城」。

○永禄六年の北条勢が攻め行ったとき、白狐が七千の軍馬に化けて援軍した。

(上州館林城図)

○天正十八年石田光成勢の攻撃には、堀に生えた葦が多数の城兵に姿を変え敵を後退させた。 そのときから、葦はみな方葉となった。

○正保年間の城主松平和泉守乗寿の元へ、江戸表から早馬が来た。 書状は「若君家綱公御疱瘡重体」。 城主は取るものも取りあえず・大慌てで江戸へ上ると、何事もなく平穏。 書状を老大臣に..

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群馬町伝説(現高崎市)

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○ある夜、天空の北斗七星が一塊となり群馬町冷水の小祝池に落ちた。 翌日、池を探ると金色の亀がでてきたので、妙見社本殿下に神井が掘られ・深く埋められ、本尊となった。 それっきり、本尊を見た人はいない。
※年号が、和銅から霊亀に変わったのはこのせいだといわれる。

○妙見様が火事となったとき、力持ちの力庄右衛門が仁王像を担ぎだし・境内の弁天池に放り投げた。 池では、田螺が降りかかる火の粉から仁王像を守ったので、田螺の尻は黒くなった。 それからは、この村では田螺を食べてはいけないことと..

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高崎伝説(2/3)

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○1793年、岩鼻陣屋創設、現日本化薬地。

○1616年、下小鳥にて高崎藩検見あるもその厳しさに村人が役人を殺害。 藩主松平丹波守が激怒・出兵し、部落皆殺しにしたのが「首塚」。

○高崎はたばこの産地、「館たばこ」で有名だった。

○田嶋元七が蛇場見の谷川で水に石油気が含まれているのを見て、乗附山に石炭があるのを確信した。(1874年) 後にこの亜炭がも富岡製糸場・新町紡績所でも使われた。

○京ヶ島にある井戸が「七つ井戸」or「いろは井戸」。 弘法大師が掘ったといわれている。 
※実..

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榛名伝説

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○榛名湖女人入水
 榛名湖に入水した木部姫については伝説上、その正体は木部宮内輔弾正室・同室竜田の前・同実一室・貞朝室・木部駿河守範虎・長野業政室などいろいろ、その時期は箕輪落城の1563年・神流川合戦の1582年・山名対木部の1585年などいろいろ。 人身御供との見方もある。

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○木部井戸(木部の神井・長年寺)は榛名湖に通じている、ともいわれた。

○右京のむだ堀(右京の馬鹿堀・泣き穴)
 宝永六年左京太夫輝貞が、溜堤から取水・榛名北を通り・スルス岩の下にトンネルを堀り..

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竜宮伝説

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○宮子の竜宮(伊勢崎・広瀬川)
 竜宮橋の北・竜宮の森の岩塊につながる水底に竜宮があったと伝えられている。


◇卯の木大明神
 第十七代履中天皇の御代、高野辺左大将家成りが、竜宮淵の岩上に現れた竜宮姫のお告げにより竜宮として敬うようになった。   また、雄略天皇の御子岩城皇子が竜宮姫に願われ「土産神」として祀ったとされる。

◇竜宮の農太鼓
 半夏が近づくと、川瀬の音が淵底から鳴り響き・太鼓の音のように聞こえ、これを合図に田植えに取りかかった。 また村におめでたいことがあると、竜..

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新田伝説(新田郡、現太田市・みどり市・伊勢崎市)

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○笠懸桜塚・園田屋敷の地蔵様は、賭事の地蔵様だった。 そのため賭博人が「かけら」を求めたため、頭・手が無くなってしまった。 その後、復元されたらしい。

○岩宿の天王様は、疫病が流行った時に担ぎ出されて、疫病を追い払った。(1962年)

○平安時代、新田荘では鹿に田畑を荒らされたので、領主園田太郎家茂が「鹿専用畑」を作らせ・通常の畑と分離したので、この地を「鹿田」とよんだ。 
※山田郡小倉村の鹿田との説もある。

○葬式が家から出る時坊さんが鐘を「ジャラン・ボーン」と鳴らしたので、葬式を..

YAMADA

太田伝説(2)

Nittayoshisada

○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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宮城村伝説(勢多郡宮城村、現前橋市)

Hanageishi

○弘法大師が大石にで梵字を書いたのが「爪引き不動」。
○八幡宮・鼻石、鼻の穴をかき回すと雨が降る。 雨乞い用。
○赤城の空滝、昔は滝があった。 亀井新十郎が大天狗から飛び切りの術を修行した場。
○日限地蔵は、期日指定で病気を治してくれる。
○源義家に捕らえられた安部宗任が黒川郷で解放され、この地に留まり築いたのが桃井城。

○乳飲み子の母親が病に倒れ、子を思う執念で成仏できずに石になったのが「夜泣き石」。 夜な夜な赤ん坊の泣き声が聞こえる…
○山鳥が傷を癒していたのが「脚ひきの湯」。
○..

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富士見村伝説(勢多郡富士見村、現前橋市)

Akagi

○大沼の主は大きな緋鯉、五十年毎に人身御供が必要。

○覚満法師が、法華経力をもって赤城沼に入水した赤城姫を竜神の座に上げた。(覚満淵)

○唐人が船でやってきたがもう上流に行かれないので引き返したのが、石井の船返し。 一休みしたところが、漆窪の唐人貝戸。

○弘法大師が鉈で薬師如来を彫ったのが穴薬師。

○小沢・金剛寺が火事になったとき、不動様が庭の木に登って避難したが、魂は石井に行ってしまい抜け殻だった。

○漆窪の薬師様を、馬に乗ったまま通ると落馬し・帽子をかぶったまま通ると飛ばされた。

○..

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グンマの昔:水牢

Mizurou11

○水牢(中之条町横尾字桃瀬ほか東毛に多い)
 江戸時代年貢米を滞納した者を寒中水の中に入れた(本人ではなくて家族を入れた)とされ、沼田城主真田伊賀守信利が利用したのが有名だそうだ。 水牢で死ぬ者も多く、数々の伝説・伝承が残っている。

Mizurou

(東村)

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赤城村伝説(勢多郡赤城村、現渋川市赤城町)

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○湧玉には白蛇が住んでいる、汚したり・不浄物を洗うと祟りがある。 雨乞いだけはきいてもらえる。

○勝保沢の清水側に住んでいた「お哲」は超美人だったので、弁天様とよばれた。 その地では、女の子が産まれると「お哲」と名付けるのが流行った。

○おとうか久保には、オトウカが出た。

○上三原田・三島山の大松の木には天狗が住んでいた。 音を聞いた人も多い。

○戦の時、内出城内の松に登り情勢を眺めたので「物見の松」。

○二城主見立権太郎が仲井の田のくろを枕に切腹したので「枕田」となった。 田には..

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前橋伝説(2)

Maebashijyou2

○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

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道祖神:吾妻

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○吾妻町原町須郷


○お釜神社・吾妻町原町
 昔は、吾妻太郎行盛が使った産湯の釜があった。 ある時盗人がこの釜を盗み持って逃げたが、途中で「ウォーン・ウォーン」と唸りだしたので捨てて逃げたといわれる。
※釜があった所が釜谷戸、捨てた所が保成といわれている。
※「吾妻太郎」は吾妻地方を支配した吾妻氏の総領であるが、伝説上は岩櫃城主であり里見氏に攻められ立石河原で自害したとされる。

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お菊伝説

Kunimine

《グンマを話そう》
○お菊伝説
 甘楽郡小幡国峯城・城主小幡上総介信貞に仕える侍女「お菊」は美人で働き者だったので、殿様から可愛がられた。 これをねたんだ侍女仲間が、ある日殿様の御膳に針を入れた。 針を見つけた殿様は、お菊が自分を殺そうとしたと思い、お菊を蛇や百足と一緒に桶に入れ宝積寺裏山の池に投げ込んだ。  お菊が息も絶え絶えとなった時、日野の小柏源六なる武士が通りかかりお菊を助けた。 この時助けられた蛇や百足も、恩返しとして「小柏家には害を加えない」と約束した。 こうして蛇除..

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お艶伝説

Otsuyagafychi

○お艶伝説(前橋)
 敷島公園北にあるのが「お艶が岩」、その西の利根川右岸に総社城があった。  総社城主秋元侯が連れてきた「大橋の局お艶殿」は美貌であり、長朝侯をもさげすんだため、牢に入れられ・ついには大瓶に蛇とともに入れられ利根川の淵に沈められてしまった。  その怨念に、なお艶が岩に鬼火とともに現れ・総社城は年々川に欠け落ち・秋元家は男子が絶えた。  そこで、元景寺にお艶の墓を建てて供養したとされる。

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酒の出た清水

Gunma_sakemizu

《グンマを話そう》
○酒の出た清水(前橋市荒砥村・村主の清水)
 赤城山へ毎日薪とりに行っている男がいた。 ある夏の晩、のどがかええて道ばたの湧水を飲んだ。 それは水ではなくて酒であった。 男は独り占めしようと木の枝で隠し、毎日飲み続けた。
 薪を取ってこなくなったので困ったおかみさんが後をつけ、酒浸りになっている男を見つけると、怒り狂い道ばたの[馬糞]を清水にぶち込んだ。 すると、瞬く間に酒は水に変わった。

☆群馬にとって文字通り「馬」は大切であり、信仰・伝説・禁句・諺・俗信・..

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グンマの昔:子持村

Komochi23

○子持山
《グンマを話そう》
 子持山には千谷あるが、ある昔唐から帰った空海がこの地に寺を営もうとしたので、子持様は一谷隠してしまった。 やって来た空海が数えると九百九十九谷しかないので、寺をあきらめ帰っていった。 このとき空海が爪で岩にかいたのが「爪書不動」といわれている。

※同様な伝説に、袈裟丸山(弘法大師)・赤城山・榛名山・太田金山にもある。 ただし谷を隠すことはしなかった。

Komochi21屏風岩

Komochi22獅子岩

 

Komochi25綾戸渓谷

Komochi26島田家

Komochi27横堀宿本陣 佐藤家

Komochi26c

Komochi27c

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妙全の逆さ杉

Gunma_myouzenji

○妙全の逆さ杉(龍澤寺)
 六合村・日影竜沢寺門前に「竜沢寺の大杉・妙全の逆さ杉」がある。 樹齢八百年余、尼僧妙全の杉の杖が逆さのまま根付いたといわれている。

☆グンマでは木が逆さに生える。 たとえば、逆さ杉 ・逆さ桜 ・逆さ梅 ・逆さ柳 ・逆さウツギ、などある。






○逆さ杉(嬬恋村門貝熊野神社)
 弘法大師巡錫のとき、過ぎの枝を逆さにして杖としたものが根付いた。

○逆さ桜(新治村赤谷湖畔)
 上杉謙信が出陣しこの地を通ったとき、馬の鞭に使ったサクラを地にさして、軍勢を占った。 ..





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白米城伝説・桐生市城山

Iwabitsuyama

○白米城伝説・桐生市城山
 上杉勢が渋川城を攻め水路を断ったところ、渋川方は計略をもって山頂より白米を滝のごとく流し落とした。 遠目には水に見えたので、これを見た上杉方は、山上には水がたくさん残ってのいるので落城をあきらめたとされる。
 この白米城伝説は、いたるところに見受けられる。 

※写真は岩櫃山・東吾妻




○岩櫃山
 ある昔、武田信玄勢力が岩櫃城(城主・吾妻太郎行盛)を攻め水路を断ったところ、吾妻方は計略をもって山頂より白米を滝のごとく流し落とした。 遠目には水に見..



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郷土玩具:山名八幡獅子頭

Gunma_shishi

○山名八幡獅子頭
 上信電鉄山名駅近くの山名八幡宮は830年前、山名城主新田義範が宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営したと伝わる。 この神社では、古くから子育てと虫封じの縁起物として張り子の獅子頭が授与され人気がある。 全国でも珍しい頭にかぶる様式で、神功皇后が幼い息子(応神天皇)に唐獅子を与えたところ、獅子をかわいがり、思いやりのある元気な子供に成長したとの伝説に由来する。 

Shishikashira

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グンマの昔:春駒

Gunma_harukoma1

春駒
 新年に、鈴を鳴らし太鼓を叩き各戸を訪れた。 門口から「サーサ 乗り込めはね込め蚕飼いの三吉 のったらはなすなしっかと飼い込め」との口上ではじまる。(かつては母娘だったが、もはや無い)

※養蚕の神を「オシラ様」とよび、そのご神体は「女性神」とされている。 

横線540透明

[春駒唄]
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春のほじめの春駒なんぞ
夢にみてさえよいとや申す
せめてうつつほ良女の駒よ
年もよし日もよしおかいこもあたる
蚕飼にとりてほ美濃の国の
桑名の郡は小野山里で
とりたる種子はさ..

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群馬での暮らし:津久田村の人形芝居

Tsukuda

《グンマを話そう》

○津久田村の人形芝居
 津久田村は人形を大切にする伝統の村として平和な日々を過ごしてきました。

こんな伝説があります。
 上杉・竹田の争覇時代、上杉勢が密かに津久田の要塞を陥れ、大胡城を攻めようと企てました。 そして津久田村に近づくと、山頂には沢山の旗が立ち・鐘や太鼓が勇ましく鳴り響いていました。 これを見た上杉勢は、計画が漏れたようだ・不利な戦いは避けようと、兵を引きました。 それは、八幡様の例祭で人形芝居の日だったのです。



Tsukuda38

○津久田人形
 上ノ杜・桜..


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群馬での暮らし:竜宮の椀

Karuta_fukiwari

《グンマを話そう》
○利根村:竜宮の椀
 吹割の滝の底は竜宮に続いていると言われていました。 ある昔、利根村追貝の若者が嫁をもらうことになりましたが、貧しくて客用の膳と椀がありません。 そこで竜宮にお願いしようと、滝の上手から手紙を流しました。 翌日滝へ行くと、お願いした膳と椀が岩の上に置いてありました。 嫁迎えを無事すませた若者は、膳と椀をきれいに洗って返しました。 やがてこの話が広がり、多くの村人が膳や椀を借りることが出来ました。
 ただ、ある村人が返し忘れたことがありました..

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群馬での暮らし:赤城山

Karuta_akagi

《グンマを話そう》
 赤城山は、標高1828m(黒檜山)・裾野面積は富士山に次ぐ広さだ。  この「あかぎやま」、古代は富士山と高さそしてその美しさを競いあっていた。  しかしながら「赤城山の神」と「二荒山の神」が大蛇と大百足に変身して戦った際に上半分を蹴散らかされ、今のギザギザ山になった。 という伝説は………ない

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榛名湖

山田君の世界

《グンマを話そう》
 ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。   しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです。」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。(龍という説もある)

※榛名湖の主は十尺もある緋鯉だとの伝説もある。
※..


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参考文献

下記文献などを参考にしています。

100年前の日本、 1億人の昭和史、 20世紀おもちゃ博物館、 365日乗物なぜなぜ事典 自動車・船・飛行機からスペースシャトルまで日本と世界の乗物事始めと記録、 47都道府県・こなもの食文化百科、 47都道府県地名由来百科、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 60年代街角で見たクルマたち アメリカ車編、 60年代街角で見たクルマたち ヨーロッパ車編、 60年代街角で見たクルマたち 日本車・珍車編、 70年のあゆみ 日本車輛製造株式会社..

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