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日本語源

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[日本語源]メモ



○アイガモ
 カモ×アヒルでアイガモ、鴨のいない季節の意。

○あこう鯛
 カサゴの一種、赤魚鯛。

○あこぎ・阿漕
 三重阿漕浦のこと、伊勢神宮献上用の神聖な海で、平治(平次)が病気の母親に食べさせようと密漁を繰り返した。

○あべかわ餅
 徳川家康が「安倍川餅」と命名したとも。
※慶長年間徳川家康が笹山金山を訪れたおり出された「安倍川の金な粉もち」が気に入り、安倍川地方の名物となった。

○あみだくじ
 阿弥陀くじ、古くは後光のごとく放射状の線だった。
※平等な..

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霧積温泉の昔

Hanamagari61

○霧積川
 金洞の滝を中心に三十軒ほどの宿があったが、明治末期の台風土砂崩れでほとんどの宿が流された。

※鼻曲山より浅間山
 鼻曲山(天狗山)には天狗が住んでおり、四月十五日には天狗が湯入りにくるといわれ、この日の風呂は天狗様専用となり一般客は締め出された。

グンマの伝説 について

Kintoukan63

金湯館

Kintoukan62

Kintoukan61

Kirizumikan63

霧積館(2012年4月閉館) 

Kirizumikan61

Kirizumikan62

Kirizumi61c☆霧積温泉

Kirizumi62c☆霧積温泉

Kirizumi63c☆霧積温泉


○霧積温泉
 古くは「犬の湯」「入の湯..

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竜宮伝説

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○グンマには竜宮伝説が数多くある。

グンマの伝説 について

○伊勢崎市宮子
 雨乞い・日和乞い、阿感坊三日間滞在するも領主に龍宮の様子を話したため狂死。 椀貸し伝説あり、浦島太郎の石碑あり。

○桐生市梅田町
 鍾乳洞奥が龍宮に通じている。椀貸し伝説あり。

○千代田村
 五軒屋敷の井戸は龍宮に通じ、水が尽きない井戸といわれる。

○上野村
 龍宮洞(不二洞)、罪人が洞窟中に織姫っを見たが役人に話したため狂死。
※白鰍を見たものは死ぬといわれる。

○吹割の滝
 滝壺は龍宮への..

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小野小町

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○小野小町像(内山永久寺蔵)
 平安期の食通として、鯉・鱸・鮒・鶉汁・熊の掌・鵞鳥の咽喉・兎の唇など何でも食べたらしい。 その結果晩年がコレともいわれる。

☆徳川将軍家では、嘉例として元旦に「兎の吸物」を食したらしい。
☆鶴料理
 江戸城には、正月祝膳に将軍より重臣に「鶴の吸物」が振る舞われたらしい。(豊臣秀吉が朝廷に献進したといわれる)
長寿を願って、年始の嘉例に鶴を調理した。

Ononokomachi61

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Ononokomachi39

妙齢期

☆グンマを話そう:小野小町
 歳とった小町が故郷へ帰る途中で病気(疱)になり、上野国..

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藤岡伝説

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○弘法大師が杖を地に突き刺したところ水が湧きだしたのが「弘法井戸」。 高山・上の谷戸、根岸に三カ所、庚申山、三本木などにある。

○高山下組の「又平だいら」には酒が湧く泉があった。(樽湧き)

神流川は天正年間前は名もない狭い川であったが、ある年の大洪水で堤防でも防ぎきれず「火の神社・水の神社・木の神社・金の神社・土の神社」を祭った。

○平塚の沼は「大蛇の沼」とよばれた。 

○高山下組は「白塩」とよばれ、塩が湧いたとされる。

○十八町坂の途中の市衛門の洞穴には古狐が住んでい..

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厳島神社(白蛇弁天)

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○厳島神社(白蛇弁天)

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 グンマには白蛇に纏わる話が多く、白蛇を祀った神社や伝説も多い。

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グンマ地名伝説

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○地名伝説、あくまで伝説

○明戸坂(あけとさか)
 小倉季氏がこの坂を通ると日輪が輝いたとか、鹿島・香取の神がこの坂を通ると夜が明け始めた、ともいわれる。 ※アクト・アクツが源らしい。

○稲含山
 神が唐から種籾を口の中に隠して持ち込んだとされる。

○入の湯
 猟師が山中深く犬が傷を癒している湯をみつけたので「犬の湯」が源。

○歌川町
 藤原定家と藤原家隆が、烏川を渡れず歌を詠み合ったとされる。

○姥が懐(うばがふところ)
 平井落城で上杉憲政の嫡男竜芳君が姥もろとも自害した。

○海老瀬(えびせ)..

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グンマの伝説:上州気質(ノンフィクション版)

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上州気質

○京都の街で、グンマの修学旅行生が立ち話をしていたら、110番通報されたor仲裁が飛んで来た。 
※周りの人々は「けんかをしている」と思った。
※グンマ邦内においても、二人で話をしているのを聞いて「ケンカしている」と思う県外者は多々いる。 特に、女性同士の話は要注意!

○伊勢崎の高校が関西旅行に行き、生徒が自由時間の相談をしていた ら、警官がケンカと間違え飛んできた。

○全国大会会場で、「声が大きく・荒い」集団がいたらそれは「グンマ団」。

○大阪商人は石橋を叩いて渡る。
..

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グンマの伝説:上州人

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【われら上州人】
 ことばが荒い、熱しやすく・さめやすい、感情に走りやすい、義理・人情に厚い、短気、感激しやすい、新しいものが好き、根気がない、気がよい、気前がよい、一本気、世話ずき、見栄っばり、情があつい、正義感が強い、保守因襲的、正直、選挙好き、だまきれやすい、きっばり、付和雷同的、荒々しい、かかあ天下、パクチ好き、単純、自己に厳しさが欠ける、話し下手、妥協が早い、独創性に欠ける、親切、権威に弱い、素朴、楽天的、活動的、負けずぎらい、気が強い、信仰心がうすい、自主性・自発性..

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グンマの伝説:氣象編

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【山田郡誌】
 川内村・相生村・廣澤村・境野村の一部は居民主に機織を業とし、概して機敏にして進取の氣象あれども、堅忍持久の力に乏し、且つ一般に華美を喜ぶ傾向あり、蓋し産業上新奇を競い、流行に後れんことを恐るるに因り、自ら此の風を成せるものなるべし、其の他の地方は多く耕作養蠶に徒事し、氣質純朴にして習俗極めて質素なり。





【昭和時代懸民性の長所短所】
  群馬懸聯合教育會第一號議案「懸民性ノ暢揚練成ニ關スル件」調査報告書(1936.6.27)

○長所
 忠節勇武の念に厚し 義気仁侠..

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グンマの神々(1)

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 グンマの主な山は、アカギサマ・ハルナサマ・コモッチャマ・ホタカサマ・シラネサマ、などみなタケ山的性格を持っている。  また、井戸などの水資源は共同利用だったので、清浄に保つため数多くの俗信があった。

カッパはグンマ各地でみられた。 嫌われることが多かったが、六合村湯本家にはカッパに教えられた秘伝薬がある。
○グンマの川・池・淵の底には多くの竜宮が存在し、そのほとんどが椀・膳の貸し出しをおこなっていた。
○メカゴ(メッパ)ができたら、井戸の上にふるい(ショウギ・スイノウ)を半..

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渋川伝説(2)

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○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

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○雙林寺の七不思議
 ・開山堂の一本の拍子木、悪いことが起こりそうになると鳴る。
 ・月江和尚が持っていた数珠が大木となったのが「開山のつなぎカヤ」。 その実は針で通したよう..

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榛名伝説

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○榛名湖女人入水
 榛名湖に入水した木部姫については伝説上、その正体は木部宮内輔弾正室・同室竜田の前・同実一室・貞朝室・木部駿河守範虎・長野業政室などいろいろ、その時期は箕輪落城の1563年・神流川合戦の1582年・山名対木部の1585年などいろいろ。 人身御供との見方もある。

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○木部井戸(木部の神井・長年寺)は榛名湖に通じている、ともいわれた。

○右京のむだ堀(右京の馬鹿堀・泣き穴)
 宝永六年左京太夫輝貞が、溜堤から取水・榛名北を通り・スルス岩の下にトンネルを堀り..

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新田伝説(新田郡、現太田市・みどり市・伊勢崎市)

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○笠懸桜塚・園田屋敷の地蔵様は、賭事の地蔵様だった。 そのため賭博人が「かけら」を求めたため、頭・手が無くなってしまった。 その後、復元されたらしい。

○岩宿の天王様は、疫病が流行った時に担ぎ出されて、疫病を追い払った。(1962年)

○平安時代、新田荘では鹿に田畑を荒らされたので、領主園田太郎家茂が「鹿専用畑」を作らせ・通常の畑と分離したので、この地を「鹿田」とよんだ。 
※山田郡小倉村の鹿田との説もある。

○葬式が家から出る時坊さんが鐘を「ジャラン・ボーン」と鳴らしたので、葬式を..

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太田伝説(2)

Nittayoshisada

○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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富士見村伝説(勢多郡富士見村、現前橋市)

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○大沼の主は大きな緋鯉、五十年毎に人身御供が必要。

○覚満法師が、法華経力をもって赤城沼に入水した赤城姫を竜神の座に上げた。(覚満淵)

○唐人が船でやってきたがもう上流に行かれないので引き返したのが、石井の船返し。 一休みしたところが、漆窪の唐人貝戸。

○弘法大師が鉈で薬師如来を彫ったのが穴薬師。

○小沢・金剛寺が火事になったとき、不動様が庭の木に登って避難したが、魂は石井に行ってしまい抜け殻だった。

○漆窪の薬師様を、馬に乗ったまま通ると落馬し・帽子をかぶったまま通ると飛ばされた。

○..

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グンマの昔:吾妻七つ岩

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○産岩・生岩
 赤子に乳をやっていた母親が、落ちてきた大石の下敷きになって二人とも死んだ。
○囀岩
 いろいろなことをしゃべったが、ある時、旅の剣術修行者が太刀でこの石を二つに切ってからしゃべらなくなった。 切られた一片は、中之条蟻川に落ち割石とよばれ・鹿島明神として祀られている。
○割り岩
○立岩
○亀岩
○箕岩
○七尋岩
※うぶ岩は、昭和村橡久保・中之条町五反田・沼田氏新田上、にもある。(伝説はみな異なる)
※しゃべり岩は、高山村中山・中之条町大道新田・月夜野町石倉、に..

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玉村伝説(佐波郡玉村町)

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連載[グンマの伝説]は、まじめに読み続けると脳崩壊のおそれがあります。
○源頼朝がヤナギの箸を地に刺したのが生えて逆さ柳になった。
○源頼朝がこの地で飯を食べ「うまい米だ、この村を飯塚(めしづか)と名付けよ」。
○百足丸と呼ばれる名刀は刃こぼれが百足のように見えたので、こう呼ばれた。
○昔疫病が流行ったとき煤炭が顔に付いた少女だけが病にかからなかった、のが「すみつけ祭り」の始まり。 【顔に泥を塗る】とはこの事。
○清和天皇がオンベ(御幣)を立てて四万の神々を祀ったのがオンベ山。(軍配山..

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グンマの昔:鹿沢温泉

Kazawaonsen

○鹿沢の湯
 白雉元年頃、貞保親王なる者が眼疾でなかなか治らないでいると「信濃国浅間山裏にある温泉で眼を洗え」と夢の中でお告げをうけた。 そして現地におもむき沸々と湧く湯を見つけた。 これが「鹿沢の湯」である。 病の治った親王は、近傍の弥津村に永住したとされる。
 また、鹿を追って狩人が深山に入ると、手負の鹿が湯に入り疵を治しているのを見て、「鹿沢の湯」と名付けたとの説もある。

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鹿沢温泉(昭和初期)

○鹿沢温泉
 1918年鹿沢温泉で大火となりほとんどの旅館が焼けた、6km下流に..

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お菊伝説

Kunimine

《グンマを話そう》
○お菊伝説
 甘楽郡小幡国峯城・城主小幡上総介信貞に仕える侍女「お菊」は美人で働き者だったので、殿様から可愛がられた。 これをねたんだ侍女仲間が、ある日殿様の御膳に針を入れた。 針を見つけた殿様は、お菊が自分を殺そうとしたと思い、お菊を蛇や百足と一緒に桶に入れ宝積寺裏山の池に投げ込んだ。  お菊が息も絶え絶えとなった時、日野の小柏源六なる武士が通りかかりお菊を助けた。 この時助けられた蛇や百足も、恩返しとして「小柏家には害を加えない」と約束した。 こうして蛇除..

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酒の出た清水

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《グンマを話そう》
○酒の出た清水(前橋市荒砥村・村主の清水)
 赤城山へ毎日薪とりに行っている男がいた。 ある夏の晩、のどがかええて道ばたの湧水を飲んだ。 それは水ではなくて酒であった。 男は独り占めしようと木の枝で隠し、毎日飲み続けた。
 薪を取ってこなくなったので困ったおかみさんが後をつけ、酒浸りになっている男を見つけると、怒り狂い道ばたの[馬糞]を清水にぶち込んだ。 すると、瞬く間に酒は水に変わった。

☆群馬にとって文字通り「馬」は大切であり、信仰・伝説・禁句・諺・俗信・..

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グンマの昔:オサキ

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○オサキ
 グンマに伝わる憑き物。 名前の由来は、オサキ狐・御前・ミサキ・オサキ・オオサキ・尾先(狐)・おふさ紀・カンザキ・コウザキ・ゴンゼン、など数々あるがはっきりしない。  どうも、信仰上の動物であり、山で正体不明の小動物を見たときに「オサキ」とよぶようだ。

 オコジョは「山オオサキ」とよばれ、山の神様の召いとされている。
※夏は背側が茶色で腹側が白、冬は全身が白になる。

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Osakikitsune

☆尾崎狐・尾先狐・尾裂狐
 狐より小さく・鼠と鼬が混ざったような姿・体色は様々。 尾崎狐が憑いた..

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グンマの昔:藪塚石材軌道

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○藪塚石材軌道
 1909年藪塚石材鉄道設立(東武鉄道太田停車場~両毛線大間々停車場を藪塚石運送計画)、1911年太田~藪塚工事開始、当初は馬車鉄道を計画したが「軽便鉄道法」による敷設に変更し人車鉄道で旅客も運んだ。 同年、太田軽便鉄道に改称、設立当初から東武鉄道資本であったため1912年東武鉄道に線路敷設権を譲渡し太田~藪塚本町で蒸気化・軌間変更、1913年東武鉄道として蒸気鉄道線(太田~相老)となった。

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○藪塚石材鉄道
 1903年藪塚石材株式会社設立、1908年藪塚石材..

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群馬探検隊 vs. 群馬探研倶楽部

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○群馬県企画部企画課による 【群馬探検隊】 ができた。

○やまだくんのせかい 【群馬探研倶楽部】 はマケナイ。

※グンマは 伝説の邦 でもある

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グンマの昔:子持村

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○子持山
《グンマを話そう》
 子持山には千谷あるが、ある昔唐から帰った空海がこの地に寺を営もうとしたので、子持様は一谷隠してしまった。 やって来た空海が数えると九百九十九谷しかないので、寺をあきらめ帰っていった。 このとき空海が爪で岩にかいたのが「爪書不動」といわれている。

※同様な伝説に、袈裟丸山(弘法大師)・赤城山・榛名山・太田金山にもある。 ただし谷を隠すことはしなかった。

Komochi21屏風岩

Komochi22獅子岩

 

Komochi25綾戸渓谷

Komochi26島田家

Komochi27横堀宿本陣 佐藤家

Komochi26c

Komochi27c

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グンマの昔:春駒

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春駒
 新年に、鈴を鳴らし太鼓を叩き各戸を訪れた。 門口から「サーサ 乗り込めはね込め蚕飼いの三吉 のったらはなすなしっかと飼い込め」との口上ではじまる。(かつては母娘だったが、もはや無い)

※養蚕の神を「オシラ様」とよび、そのご神体は「女性神」とされている。 

横線540透明

[春駒唄]
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春のほじめの春駒なんぞ
夢にみてさえよいとや申す
せめてうつつほ良女の駒よ
年もよし日もよしおかいこもあたる
蚕飼にとりてほ美濃の国の
桑名の郡は小野山里で
とりたる種子はさ..

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群馬での暮らし:姥の皮

Ubanokawa

《グンマを話そう》

○姥の皮(姥皮伝説)
 ある昔、田んぼで蛙が蛇に飲み込まれているのを見たおじいさんが可哀想にに思い「蛙を放したら娘をあげる」と蛇に言うと、蛙を放して山へ帰っていった。 やがて蛇が迎えに来ると、末娘が嫁入り道具に「瓢箪10個と針千本」持って蛇についていった。 住みかの沼まで来ると、蛇に「嫁入り道具の瓢箪を沈めて下さい」と言い、蛇がアタフタしている間に針を刺して蛇を退治した。

 帰り道に迷いたずねた小屋でおばあさんから「ここは鬼が出るから、この姥の皮(かぶると婆さん..


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群馬での暮らし:津久田村の人形芝居

Tsukuda

《グンマを話そう》

○津久田村の人形芝居
 津久田村は人形を大切にする伝統の村として平和な日々を過ごしてきました。

こんな伝説があります。
 上杉・竹田の争覇時代、上杉勢が密かに津久田の要塞を陥れ、大胡城を攻めようと企てました。 そして津久田村に近づくと、山頂には沢山の旗が立ち・鐘や太鼓が勇ましく鳴り響いていました。 これを見た上杉勢は、計画が漏れたようだ・不利な戦いは避けようと、兵を引きました。 それは、八幡様の例祭で人形芝居の日だったのです。



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○津久田人形
 上ノ杜・桜..


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群馬での暮らし:デーラボウ

Derabo

《グンマを話そう》
○デーラボウ
 ある昔、日野山奥にデーラボウという大男がおった。 ある時、富士山と榛名山が背比べすることになった。 助っ人を頼まれたデーラボウは、御荷鉾山から山を一つ持ってきて榛名山に乗せようと、山を背負って歩き出した。 印地の朝谷まで来たら疲れたので山をぶちゃった。 これが子王山である。 そして歩き続けた、この時の足跡に水が貯まり緑埜の竹沼・七輿山の池・南八幡の木部の池などができた。
 またある時、大神山に腰をかけて新田川原で足をあらったので大神山は頂上が..

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群馬での暮らし:竜宮の椀

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《グンマを話そう》
○利根村:竜宮の椀
 吹割の滝の底は竜宮に続いていると言われていました。 ある昔、利根村追貝の若者が嫁をもらうことになりましたが、貧しくて客用の膳と椀がありません。 そこで竜宮にお願いしようと、滝の上手から手紙を流しました。 翌日滝へ行くと、お願いした膳と椀が岩の上に置いてありました。 嫁迎えを無事すませた若者は、膳と椀をきれいに洗って返しました。 やがてこの話が広がり、多くの村人が膳や椀を借りることが出来ました。
 ただ、ある村人が返し忘れたことがありました..

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群馬での暮らし:三峰山

Mitsumine

《グンマを話そう》
月夜野町(現みなかみ町月夜野)には伝説がいっぱいあります。

○雨ごい石
 河内神社近くに三つの石があり、火を燃やして竜神に雨乞いすると雨が降ると言われています。

○石神峠の泣き石
 峠の「泣きい」が濡れると雨が降ると言われていました。

○からしな姫の石
 後閑佑房の側室「からしな姫」が奥方毒殺を図ったが見つかり生き埋めにされ、その上に置かれた石が日に日に大きくなり「毒石」と呼ばれるようになり、「加良志奈神」として祭り納めたと言われています。(寛政中頃)

○げえろ石と..

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群馬での暮らし:川場の湯

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《グンマを話そう》
○川場の湯
 ある昔、川場湯村は遠い沢まで水を汲みにいかなければならない「水の不便なさびしい村」でした。 そこへ旅の坊さんが疲れ歩いてきました。 一軒の百姓家の前まで来ると、おばあさんに「喉が渇いた、水をめぐんでください。」と頼みました。 おばあさんは『気のどくだがもう水がないのじゃ。 この里には水がないので、沢まで水を汲みに行かねばならぬ。 ちょっと待っててくんろ。」 と遠い沢まで水を汲みに行きました。
 その水をおいしく飲んだ坊さんは、持っていた杖をい..

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群馬での暮らし:赤城山

Karuta_akagi

《グンマを話そう》
 赤城山は、標高1828m(黒檜山)・裾野面積は富士山に次ぐ広さだ。  この「あかぎやま」、古代は富士山と高さそしてその美しさを競いあっていた。  しかしながら「赤城山の神」と「二荒山の神」が大蛇と大百足に変身して戦った際に上半分を蹴散らかされ、今のギザギザ山になった。 という伝説は………ない

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群馬での暮らし:錦野伝説(玉村伝説)

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《グンマを話そう》
○錦野伝説(玉村伝説)
 千年ほど前上野の土豪たちは、平将門の攻めから逃れようと、沼田の庄(現玉村町芝根)の地頭の娘を差し出すことにしました。 しかしながらこの娘には、許婚がいました。 親子ともども悩んだあげく、娘は錦野(現玉村)にいる許婚のもとへと走りました。 ところが、矢川まで逃げた所で追い詰められ川に身を投げてしまいました。 このことを知った許婚はたいへん嘆き悲しみ、後を追ってこの矢川に身を投げてしまいました。 その後この二人は竜となり、それぞれに玉を抱..

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群馬での暮らし:龍の鱗

Zendouji

《グンマを話そう》

○龍の鱗
 吾妻町・善導寺の円光上人(道阿上人の説もある)の母(娘の説もある)が榛名湖に身を投げ龍(大蛇の説もある)になった伝説があり、その「龍の鱗」が残されている。

○大蛇になった寺のばあさん
 ある昔、寺の婆さんがあまりにも「榛名湖へ連れて行け」というので、家の者が榛名湖の畔へと連れて行った。 すると榛名湖の中から大蛇が現れ、おばあさんが湖に飛び込むと大蛇と一体になり湖底へと消えてしまった。  それからというもの、毎年5月25日の命日には、赤飯を重箱に入れ..

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榛名湖

山田君の世界

《グンマを話そう》
 ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。   しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです。」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。(龍という説もある)

※榛名湖の主は十尺もある緋鯉だとの伝説もある。
※..


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参考文献

下記文献などを参考にしています。

100年前の日本、 1億人の昭和史、 20世紀おもちゃ博物館、 365日乗物なぜなぜ事典 自動車・船・飛行機からスペースシャトルまで日本と世界の乗物事始めと記録、 47都道府県・こなもの食文化百科、 47都道府県地名由来百科、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 60年代街角で見たクルマたち アメリカ車編、 60年代街角で見たクルマたち ヨーロッパ車編、 60年代街角で見たクルマたち 日本車・珍車編、 70年のあゆみ 日本車輛製造株式会社..

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