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グンマの昔:堅王鐵道株式会社

Kenoutetsudou31

堅王鐵道株式会社計画路線図

※詳細不明

YAMADA

グンマの昔:謄写版

Edison29

謄写版(新型)

ロータリーミメオグラフ(謄写版):1898年~1940年
Oscillating principle model

Edison25

謄写版(旧型)

ミメオグラフ(謄写版):1876年~
Mimeograph

YAMADA

グンマの昔:蓄音機

Edison28

蓄音機(メカ部)

蓄音機部品・フォノグラフ 上部メカ:1901年~1905年
photograph mechanism

Edison21

増幅部(旧型)

EDISON AMPLIFIER MODEL72500:1930年
THOMAS A. EDISON. INC. ORANGE.N.J.

YAMADA

グンマの昔:ラジオ

Edison23

ラジオ受信機(新型)

Edison22

ラジオ受信機(初期型)

ラジオ7R型受信機・電気部品:1930年
EDISON RECEIVER UNIT TYPE 7R
THOMAS A. EDISON. INCORPORATED ORANGE.N.J.

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グンマの昔:朝食

Edison31

ラジオトグルトースター:1910~1930年
手を触れずにパンを裏返しできる。

Edison28

奥には、蓄音機「ファイアサイドB型」:1912~1915年

Alit_breakfast

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グンマの昔:根利事業所

Neri99

○足尾鉱山・根利事業所
 1898年、皇海山西麓の根利山(練山)・赤城村砥沢に根利林業所開設、銅山事業・銅精錬には多大な木材(木炭)を必要とし、足尾付近の山林を伐採しつくして、細尾・沢入・座間・発光路を無立木地とし、隣接する根利山地へ及んだ。 根利林業所からの伐採材は、索道で小滝・銀山平製材所へ運ばれた。 根利林業所最盛期には従業員1500人以上・家族を含めると2000人以上が、砥沢と平滝に暮らしていた。 1938年根利山での伐採が終わり、40年の歴史は終わった。

※砥沢集落(1..

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グンマの昔:足尾温泉

Ashioonsen

○足尾温泉
 坑内から湧出した温泉を小滝抗へ経由で「かじか荘」と「かめむら別館」に引湯した。(1977年7月)

足尾町 について

Ashio_ningen

1962年、足尾町遠下地区で「人間の条件」のロケが行われた。


Ashio_kotaki

○足尾銅山・小滝抗

Ashio1920足尾銅山・1920年頃

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グンマの昔:足尾銅山

Ashio98

Ashio99

通洞

Ashio97

Ashio96

Ashio_meiji1

Ashio_meiji2

Ashio81

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グンマの昔:足利織物

Tochisen

トチセン(旧足利織物)・赤煉瓦捺染工場(1913年)

Ashikaga_meisen86

足利本銘仙・1932年

横線540

Ashikaga_tobuc

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グンマの昔:川中温泉

Kawanaka_onsen11

○川中温泉(吾妻)
 川中温泉は「日本三大美人湯」といわれ、建久四年(1193年)源頼朝の家臣重田四郎がこの地に留まり療治に努めたともいわれる。
※川中温泉の中性低温浴(1~2時間の入浴)が多くの慢性病に効くのを聞いたベルツが、草津からの帰路「鳴鳳館」に泊まりその効力を確かめたといわれる。

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グンマの昔:ノルデンシェルド

Vega51

○ヴェガ号航海誌・ノルデンシェルド
 1879年9月28日浅間山行き、馬車でナカセンドーをタカサキへ向かう。 タカサキでは何処も泊めてくれず、警官の紹介でやっと一泊できた。 翌日人力車で伊香保へ向かう(5時間)、伊香保でスウェーデン製マッチ発見・ニセモノも多し。
 籠で沢渡へ向かう(10時間)、座れないので足を投げ出す。
 草津へは籠や馬を乗り継いだ、混浴に驚く。
 10月3日浅間山へ向かう、六里カ原で野宿し4日浅間山頂を目指す。 その後追分村に泊まり、馬車でタカサキへ帰路。

横線540透明

..

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グンマの昔:山小屋

Kunimura39

○山小屋・六合村入山
 入山では、山小屋に寝泊まりして山仕事をした。

横線540透明

Iriyama97入山学校

Iriyama97c

Kunimura39c

Iriyama_k1

横線540

《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行..

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グンマの昔:高崎

C0007234b

木曽海道六拾九次 高崎
画像番号: C0007234
作者: 歌川広重
時代: 江戸時代

E0036055b

中山道分間延絵図 熊谷・深谷・本庄・新町・倉賀野
画像番号: E0036055
時代: 江戸時代

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グンマの昔:ミミットウ

Miminotou

○耳の塔(高崎市上大類・安楽寺)
 耳の病のとき祈願する。

Mimitto1

Mimitto2

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グンマの昔:とっこ

Tokko91

○とっこ(とっこう・むき・もんづけ)
 中央の6枚の絵の上にお菓子など景品を置き、両脇にある小片をはがすと、その小片裏に描いてある絵の所にあるお菓子がもらえる。
※「とっこ」は、絵中の「獨鈷(独鈷)」からきている。
※紋づけは、若人の間でも酒宴の余興として行われた。

Tokko1

紋合せあそび

Tokko92

動物園子供絵合

Tokko71

Tokko72

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グンマの昔:榛名山

Haruna_hokusai2

上州・榛名山

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グンマの昔:上野国図

E0024405b

上野国図
画像番号: E0024405
時代: 江戸時代

C0095207b

上野国図
画像番号: C0095207
時代: 江戸時代

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グンマの昔:史蹟名勝

Gunma_map17

グンマの史蹟名勝

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グンマの昔:正月

Gunma_syougatsu

Tsukurimono

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グンマの昔:川原湯温泉

Kawarayu31

Kawarayu36

Kawarayu37

Kawarayu38

Kawarayu39

Gunma_kawayu01

Gunma_kawayu02

Gunma_kawayu03

Gunma_kawayu11

Gunma_kawayu12

Gunma_kawayu13

Gunma_kawayu14

Kawayuonsen36

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グンマの昔:伊香保

Ikaho_onsen61

伊香保温泉

Ikaho_jinjya61

伊香保神社

Mizusawa61

水沢観音

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グンマの昔:川場村

Kawabaikushina

川場村・生品分教場

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グンマの昔:高瀬舟

Takasebunw38

高瀬舟(板倉町

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グンマの昔:清水鉱泉

Takasaki_kannon71

清水鉱泉(高崎観音山)

Takasaki_kannon72

観音山鉱泉・錦山荘

Takasaki_kannon72c

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グンマの昔:わらび縄

Warabinawa11

○わらび縄(高山村)
 ワラビを乾燥して縄を綯った。 飢餓になったら水で戻して食べる、代用食であった。

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グンマの昔:八塩温泉

Yashioonsen31

八塩温泉

Yashioonsen32

Gunma_tomiokayashio01

Gunma_tomiokayashio02

Gunma_tomiokayashio02c

Yashioonsen31c

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グンマの昔:亜炭鉱

Takasaki_atan12

○亜炭鉱
 明治時代に舘の亜炭採掘始まる・水平に掘る岡堀り(狸堀り)、大正時代に廃坑となった。  昭和時代になると高崎炭鉱で亜炭採掘、斜抗による採掘となった。 1939年群馬亜炭、1946年金井炭礦株式会社、抗口は左近屋敷と大畑。 この他に青木炭鉱があった。

※炭鉱坑口跡

Takasaki_atan11

炭鉱坑口

Takasaki_atan12c

Takasaki_atan11c

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グンマの昔:草津温泉

Kusatsu71

Kusatsu39

○草津温泉
 将軍吉宗が江戸へ運ばせたといわれる。

Meiji_kusazu

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グンマの昔:伊香保

Haruna71

榛名湖

Ikaho71

伊香保温泉

Ikaho72

伊香保温泉古久屋旅館

Mizusawa71

水沢観音

Ikaho_meiji88明治時代

Meiji_ikaho

Meiji_haruna1

Meiji_haruna2

Meiji_haruna3

Ikaho96伊香保・1880年頃

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グンマの昔:板鼻城

Itahanashoro21

板鼻城(安中市板鼻)

城の郭取りは螺旋状構造をしている。
※下仁田・鷹の巣城とは別城

板鼻 について

Itahanashiro23

チョット前の板鼻城址

Itahanashoro22

今の板鼻城址

Itahanashiro23c

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グンマの昔:養血散

Kusuri39

○養血散
 癩病の薬ともいわれたらしい。

Kusuri38

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グンマの昔:前橋

Maebashi71

Shibukawa71

渋川駅

Meiji_maebashi前橋・明治時代

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グンマの昔:新鹿沢温泉

Shinkazawa31

○新鹿沢温泉(大正末)

Shinkazawa32

○宮崎旅館(昭和初)

Shinkazawa71

Shinkazawa31c

Shinkazawa32c

Shinkazawa71c

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グンマの昔:桐生第壹物品賣買所

Kiryu_baubau

桐生第壹物品賣買所

桐生市 について

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グンマの昔:中山道

Nakasendo_oiwake

追分

Nakasendo_nagakubo

長久保

Nakasendo_wadatouge

和田峠

Nakasendo_sakamoto

坂本宿

Nakasendo_asama

浅間山

Meiji_oiwake2

Meiji_sakamoto2

Meiji_karuizawa2

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グンマの昔:沢渡温泉

Sawatari31

沢渡温泉(大正時代)

 まるほん旅館・龍鳴館・共同湯などあった。

Sawatari31c

Saweatari_fukudac☆福田旅館・沢渡

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グンマの昔:四万温泉

Shima_yamaguchi

 四万温泉は、山口地区・新湯地区・日向見地区、に分かれていた。
※四万カ所ともいわれるほど数多くの温泉湧出口があったといわれる。

(山口地区・昭和初期)

Shima_niyu

(新湯地区・昭和初期)

Shima36

日向見・酢酸工場

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グンマの昔:古語父

Kokobu33

○古語父(ここぶ)の一本松
 塩原太助が愛馬青と別れた所とも、八尾比丘尼が植えたとも、いわれる。

Kokobu35

○十二杉
 分かれ分かれて十三本といわれる。

横線540

Kokobu33c

Kokobu35c

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グンマの昔:戸鹿野橋

Togano33

○戸鹿野橋
 江戸時代沼田藩領内で利根川に架かっていたのは銚子橋と戸鹿野橋のみ、戸鹿野橋は沼田への玄関口であった。 寛文八年(1668年)真田伊賀守時代に架けられてから15回ほど架け替えられ、明治二十二年に戸鹿野新道ができるまでズ~と有料橋であった。 大正十三年鉄道連隊により鉄橋に架け替えられた。

Togano35

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グンマの昔:足尾銅山山中銅穴

Ashio_yamanaka

足尾銅山山中銅穴の図

Asiomura☆足尾郷

Asio_dozan☆足尾銅山

Ashiofudouzawa

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グンマの昔:利根川

Tonegawa

 昔から水源を究めようとした人は多かったが、一度行った者は再び帰った例しがなかった。 それは水源の神秘を守る鬼女が、近寄る人を取って食うと伝えられていた。(藤原村)

Okutone61

○文珠菩薩の岩
 利根川水源と考えられていた。 

※岩が刀の形に見えることから「刀根川」と呼ばれるようになったともいわれる。

※利根川のトネはアイヌ語で(tanne)長いという意

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グンマの昔:東武バス

Gunmabus11

中之条~大岩線

Gunmabus11c

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グンマの昔:藤岡絹市

Fujioka_kinu

藤岡絹市(藤岡双六)

横線540

Onishi_kc緑埜郡浄法寺村 中畝根政太郎

横線540

☆サヤエンドウ
 サヤ同士がすれ合う音が、絹ずれの音に似ているので「絹サヤ」。

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グンマの昔:大場七景由来七不思議

Ohba11

○大柏木大場七景由来七不思議(吾妻郡東吾妻町 )
 いずれも蒔田左大弁豊春郷にちなむものである。

①かじかが京
 大柏木大場に住み着いた姫が、ほとりの池から清水をくんで産湯をつかわせた。 この池には白い魚が棲み、捕らえると大雨になるといわれていた。

②大柏木大場(大場のまがり松)
 大場三郎豊秋が剣修行に使ったとされ、蝉がたくさん鳴くと豊作になると言われていた。

③土﨟が平
 母君が七日七夜法華経を唱え眠るがごとくなくなったとされる。  
 花ちりて紅葉の後の雪の山  詠もあかん上..

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グンマの昔:前橋市街図

Maebashi_meiji

○前橋市街図(1911年)

横線540

Maebashi_k2下大渡村舟橋

Maebashi_k1新船橋

Maebashi_k3立岩神社

Kuragano_k倉賀野 烏川

Funagashi_shiebold1c

Funagashi_shiebold2c

Funagashi_shiebold3c

Funahashi6

Funahashi7塩名田

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グンマの昔:アイスキャンデー

Icecandy62

Icecream_m36

家庭用アイスクリーマー

横線540

Icecandyc

YAMADA

グンマの昔:ミネシックス

Minesix61

○ミネシックス
 1952年井沢製作所創立、後に高嶺光学(高崎浜尻町)となり1953年「ダイドーシックス」製作、1955年「ミネシックス」製作当時の最新式カメラであったが、35ミリカメラ「ミネルバ」製品化を待たずして1957年取引先の倒産により解散した。

※群馬県立歴史博物館

カメラ について

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グンマの昔:元禄上野国絵図

Oura35

○邑楽

Kouzuke1702○元禄上野国絵図(1702年)

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グンマの昔:焼芋

Edo_imo

○焼芋
 寛政時代は蒸芋(大蒸し)、やがて神田弁慶橋に「原の焼芋」が開店したのきっかけに江戸は焼芋全盛となった。 この焼芋は庶民の食物であったため大奥・大名家奥向などは食べたくても食べられず、密かに上菓子と交換したらしい。
※「八里半」は栗ほど旨いが安いの意、「十三里」は栗より(より)旨いの意。
※藁の熱灰に埋めたと思われる。 輪切りにし・塩をふり・遠火で焼いた焼芋もあったらしい。

Edo_imo

☆女護ケ島、通言では大奥のこと。

Edo_yakiimo51明治時代やきいも屋の図

Edo_yakiimo81

Edo_yakiomo

横線540

Boston_imo1

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グンマの昔:中山宿

Gunma_nakayama1

Gunma_nakayama2

Gunma_nakayama3

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グンマの昔:西牧関所

Nishimaki35

○西牧関所・藤井関所(1704年)

※現下仁田町東野牧

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グンマの昔:湯の平温泉

Yunodaira31

○湯の平温泉(1975年)・吾妻郡中之条町入山

Yunodaira31c

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グンマの昔:小豆粥

Azukigayu31

○けいばしら(小豆
 米粉で作った団子が入る。

※地方により、桜粥ともいう。

☆小豆
 古くは、小豆の粉を洗顔用洗い粉にもちいたこともあった。

☆煮た小豆に餅を入れると、小豆餅。

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グンマの昔:温泉の引札

Kusatsu39

○温泉の引札
 文化9年に改訂された上州草津温泉の案内図で、薬師堂参詣の手引きともなっている。 諸国の主要な温泉地ではこうした摺物を都市部で配布し、湯治に対する人々の期待と関心を高めた。

引札 について

Kusatsu39

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グンマの昔:碓氷峠

Usuitouge35

碓氷峠

○坂本宿
 天保十四年、家162軒・人口732人・本陣2・脇本陣2・旅籠40軒。

Usuitouge35

Usui38_2

Nakasendou29

○新町宿・坂本宿

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グンマの昔:疱瘡棚

Housou31

○疱瘡棚(疱瘡神送り・ユナガシ)
 ウツギで棚を作り、赤い御幣と赤飯をのせて神社境内や辻に出し、疱瘡神を送り出す。

横線540透明

Rekishi_housou

疱瘡地蔵

横線540

Hosomajinai麻疹を軽くする傳

横線540

☆あばた
 古くは、疱瘡の跡。

☆ふくろ持ち・ふくろ担ぎ
 疱瘡に罹らない者の意。

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グンマの昔:旅行用心集

Ryokouyoujin11

○白澤之図

横線540透明

Ryokouyoujin12

○携行薬
熊肝・奇応丸・反魂丹→癪・腹痛・食傷・霍乱
五苓散・胡椒→水かわり・喉乾き
延齢丹・蘇香円→気付
三黄湯→便秘
もぐさ→
備急円→食当り
油薬・白龍膏・梅花香→切傷・腫物・毒虫

○携行品
矢立・扇子・糸車・懐中鏡・日記手帳・櫛・髪付油
提灯・ろうそく・火打道具・懐中付け木
麻綱
印板(三文判)

横線540

Edo_shirosawa51

○白沢・莫
 中国架空の霊獣、白沢の図を懐中にすれば「善事をすすめて悪事を退け、山海の災難・病気を免れ、開運昇進の祥瑞がある」。

Edo_shirosawanozu

..

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グンマの昔:川浦山御林

Kawaura31

○川浦山御林での伐木作業
 天保5年、幕府は上野国碓氷郡川浦村(群馬県倉測村)にある川浦山の御林より、公儀御用材として大量の樺を伐り出させた。 伐採した木は「御山厘」という台木の上で角材に加工され、鳥川・利根川の流れを利用して江戸まで運ばれた。

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グンマの昔:片原饅頭

Katahara62

○片原饅頭
 味噌附饅頭の書解にありし即ち元祖片原饅頭の図なり元は住吉屋宮内方にて明治の初年にこれを賣り出し非常に繁昌し遠近に其評判高し後ち住吉屋は旅人宿専一となり野村氏その餘業を継ぎ盛に繁昌し東京にもこの種の饅頭を開業せし人あるに至る。

Katahara_manjyu2

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グンマの昔:吾妻鉱山

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○吾妻鉱山
 1911年発見、1917年精錬開始・我妻硫黄株式会社、1971年閉山。

Agatsumakouzan32

Agatsumakouzan33

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グンマの昔:農民剣法

Maniwa22

○農民剣法
 戦国時代から多くの剣豪が住んでいた上州では、江戸時代には農民のあいだで剣術を修行することが盛んであった。
※賭博・無宿人あふれる上州では治安が悪かったので、自分の身を守るために道場に入門したのが実状だったらしい。
※剣道に限らず、グンマには空手・合気道などの武道場が多く、たいていの男の子は習ったことがある。

Maniwa22

馬庭念流道場(@高崎市吉井町馬庭80)

Maniwa22bc

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グンマの昔:味噌つけ饅頭

Misozuke62

○味噌つけ饅頭
 前橋の名物として人口に膾炙する味噌つけ饅頭なり片原の饅頭繁昌して味噌付漸々衰退す然れども今尚ほ街上に賣るあり。

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グンマの昔:伊香保温泉

Ikaho61

上野国伊香保温泉遊宴之図

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伊香保温泉・木暮旅館

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グンマの昔:草津温泉

kusatsu61

上州草津温泉観望


○平九塚
 ある昔の草津温泉に、本多平九というみすぼらしい旅の僧がやってきた。 村中の家や旅館をまわり・念仏を唱え・托鉢をし、その日その日を暮らしていた。 やがて平九も歳をとり、外へ出ることが少なくなった。 そんなある日「大往生を遂げる時がきた。生きながら土に入り・念仏を唱えながらあの世に行く」と言い残し、町入口の運動茶屋のほとりに土穴を掘り・中で鉦をたたき・念仏を唱え始めた。 七日あまり経つと鉦の音も止まった。 
 里人は誰言うとなく「平九の塚を作ってやん..

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グンマの昔:スパゲッティ

Gunmapasta12

○スパゲッティ
 古くは三本の指(親指・人差指・中指)を使いてづかみで食べた。 ここからフォークが生まれたという説もある。


(高崎パスタとの関係調査中)

Gunmapasta12_2(WEB 転載)

Gunmapasta13(WEB 転載)


☆フォーク
 11世紀のフォークもどき、歯の数は二本。 でも、手づかみやナイフに突き刺してたべていた。 13世紀になると3本歯のフォークが現れるも、悪魔の尻尾に似ていると嫌われた。 17世紀イタリア・ナポリで4本歯のフォーク登場、スパゲティを食べるに便利となった。

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グンマの昔:天狗の宿り木

Jinsouji

 吉井・仁叟寺境内のカヤの木「天狗の宿り木」、榛名山の天狗達もよく集まった。 寺の上空は、白倉金光寺の天狗が日光山に行く時の飛行路となっているので、天狗との取り決めで「火伏せのお札」の発行が認めらた。

○小幡・宝積寺にあるのが「天狗の腹切岩」。 箕輪城主長野業政の婿小幡彦三郎が宝積寺に逃げ、奥方の兄小幡図書が攻め入ったさい、止宿していた天狗が一丈の棍棒でなぎ倒したが衆寡敵せずこの岩の上で切腹した。  かくまった魯岳和尚は責任をとり、鐘とともに寺東の谷川に身を沈めたのが「鐘が淵」..

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グンマの昔:天狗

Tengu21

 背に羽を有し空を飛び・衣装は修験者や山伏から借用・多くは鳶の姿、室町末期までは鴉天狗、江戸後期になると背が高く・鼻も高くなった(鞍馬天狗など)、日本にのみ生息する。 乱世好きともいわれる。

横線540透明

Tengu22

○日光・古峯神社
 古くは天狗信仰の神社であった。 1824年徳川家斉日光社参に際しての蠢動を恐れ、日光山の天狗全員に「一時退去命令」が出された。
※ここの天狗は山芋大好きといわれている。

Tengu23

○大天狗番付

横線540

☆天狗騒動
 明和の助郷一揆。 1965年に行われる日光東照宮15..

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グンマの昔:飴売り

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○飴売り
 室町時代になると糖粽売や地黄煎売が現れ、江戸時代には、念仏飴売・土平飴売・鎌倉節飴売・笠飴売・孝行糖売・おまんが飴売・下り飴売・狐飴売・よかよか飴売、など多種多様になった。(屋台の飴屋もあった)
 明治になると、チャルメラなど異国の笛を吹く「唐人飴売」が主となり、日本各地にはカラミ飴屋・たぐり飴売・チータラ飴売などあった。
※よかよか飴売、ここでは頭に提灯をさしている。

Edo_ame13

地黄煎飴売

☆地黄煎
 米と麦から作った固く粘着力のある飴で、包丁などで荒削りにし・杉棒につけて売ったら..

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グンマの昔:旅籠飯

Warabi_minzoku15

○一般食
 玉子、菜の汁、芋・蒟蒻・揚豆腐・菜・椎茸の煮物、一膳飯。

@桶川・脇本陣内田喜三郎(升屋平右衛門山片重芳・文化十年仙台下向日記)
朝飯は、菜の汁・きざみするめ・八杯豆腐。
※飯については記載なし。

横線540透明

Warabi_minzoku16

○大名食
 若魚子としょうが、いかといんげんのあんかけ、長芋・椎茸・いんげん・あわび・玉子焼、沢庵、飯、里芋の汁、蓮根の木の芽和え、白瓜の酢和えといなご。

横線540

Menba12

黍飯・粟飯・稗飯

横線540

Nakasendo_tsumago

○中山道妻籠宿
 飯・菜っ葉のみそ汁・八杯とうふ・塩さばの酒がけ・ほ..

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グンマの昔:街道一覧

Kaidou_nakasendou31

中山道脇往還

Kaidou_tone31

利根郡脇往還

Kaidou_agatsuma31

吾妻郡脇往還

Kaidou_higashijyoushu31

東上州

Kaidou_nishijyousyu31

西上州


○日陰道
 渋川~金井~祖母島~箱島~新巻~植栗~岩井~原町~中之条へ、吾妻川の南側を通る道。

☆街道
 古くは海沿いにつくられていたので「海道(東海道など)」。 やがて山越えの道もつくられるようになり、読みはそのままの「街道」とした。

YAMADA

グンマの昔:関所一覧

Kaidou_sekisyo31

○関所一覧
戸倉関所:会津街道・片品戸倉
湯桧曽番所:原則通行禁止・水上湯桧曽
入山番所:六合村入山
伊香保関所:伊香保 榛名関所:榛名神社内
祖母島関所:渋川市祖母島
大笹関所:原則通行禁止(毛無峠道もあった)・嬬恋大笹
 ※非常時は「くさび」をはずすと橋が吾妻川に落下する仕組だった。(刎橋)
狩宿関所:長野原応桑
大戸関所:吾妻大笹
本宿関所:信州街道(中山道脇往還)・下仁田町本宿
藤井関所:女街道(西牧関所)・下仁田町藤井
砥沢関所:中山道脇往還(南牧関所)・南牧村砥沢
白..

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グンマの昔:ニシン漬け

Kirikomi31

ニシン漬け
 身欠きニシンのきりこみ、大根が入る。

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グンマの昔:かどふぢ薬局

Kadofuji_numata

○旧生方家住宅・かどふぢ薬局
 沼田市西倉内町 沼田公園内

 1973年、沼田市が生方家より譲り受けて沼田公園に復元移築。

沼田市 について

Kadofuchi21

○かどふじ薬局
 江戸時代から続いた薬種商の藤屋(生片薬局)、藤屋横町とよばれた通りの角にあったので通称「かど藤」。

Kadofudi22

Kadofudi22c

Kadofuchi21c

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グンマの昔:毛無峠道

Kenashi1c

○毛無峠道
 六百年以上前は碓氷峠に匹敵する上信を結ぶ道であったが、江戸時代初めには抜け道となるとの理由で停止された。  しかし、何者かが御停止道を切開き・堀割のないところに新道を作ったのが、幕府に伝わり元禄十四年封鎖された。

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グンマの昔:上信鉱山

Rouseki21

○上信鉱山
 1940年蝋石鉱床発見、アルミナ・ジュラルミンの原料として軍需産業指定、終戦で閉山。 1954年光山電化上信鉱業所として再開、窯業用耐火煉瓦原料として出荷、露天掘りから柱房式採鉱になり日本鋼管に出荷。 その後元山に焼成炉2基により水分を除いたシャモットとして出荷した。 1963年休山・撤退。

鉱山 について

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グンマの昔:群馬鉄山

Gunmakouzan2

群馬鉄山
 1929年富士塗料が採掘、王様クレヨンの原料となった。  1943年日本鋼管(裏に陸軍あり)が採掘権取得、1944年太子まで鉄道敷設、1945年出荷開始。
 1950年元山で硫黄分を取り除く目的で焼結工場建設、この後公害問題続出し1965年閉鎖(大鉄鉱山閉鎖)。

Osamacrayons

○ガラン沢鉱床
 1932年猟師がガラン沢にて射止めた熊が褐色に染まっていたことから鉄鉱床発見、1950年群馬鉄山の支鉱になる、1956年終山。

○入山銀山
 江戸時代に金銀っを掘ったと伝えられる。 昭和..

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グンマの昔:浦倉鉄山

Urakura

○関東興産・浦倉鉱山
 赤川周辺には古くから鉄鉱床があったが品質が悪く見放されていた。
 猟師らが「豚の口」で良質の鉄鋼石発見、1953年関東興産浦倉鉱山発足し赤川第一鉱床・1956年猪の口鉱床・1959年土鍋鉱床・1962年赤川第二鉱床、露天掘り・二田沢まで森林鉄道。 1964年休山・1965年閉山。

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○猪の口鉱床
 認可をうけるのには、豚の口ではマズイというので猪の口としたらしい。

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Inoshishinokuchi69c

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グンマの昔:白根鉱山

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○白根鉱山(硫黄)  昭和初期霜田善造が露頭発見、1933年本格的に開発開始、1936年大雪崩、1971年休山、1974年撤退。

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○万座鉱山(硫黄)
 1939年本格的に採掘開始、鉱床が少なく1963年撤収。

※他にも、殺生川原・入道沢白峰鉱区(日窒鉱業)・万代鉱などあった。

Nyudousawa69

○入道沢原動所跡


○湯釜
 古くは白根山火口湖湯釜(大池)から硫黄が採掘されていたが、1890年の噴火で雨水が貯まり・だんだん大きくなった。 昭和に入ると富山化学が関東硫黄から採掘権を得て本..

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グンマの昔:吾妻鉱山

Agatsuma_kouzan

○吾妻鉱山
 1908年猟師が露頭発見、1914年群馬硫黄開発開始その後吾妻硫黄が買収、1928年落盤事故も順調に発展、1971年閉山。

○石津鉱山(硫黄)
 1932年北海道硫黄が本格的に探鉱(小串鉱山の支抗)、1941年石津鉱山として独立したが企業整備令で休山、終戦後再開するも1968年米無鉱床を堀尽くし1971年閉山。


○硫黄採掘鉱区(大正l4年)
嬬恋・白根鉱山:15.270坪、箱根土地株式会社
嬬恋・万座鉱山:61,672坪、西郷勘三郎外
嬬恋・吾妻鉱山:12..

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グンマの昔:五料

Goryou61

○五料の茶屋本陣(中山道松井田宿)
 「お東」と「お西」と称し東西に二軒あり、村名主の中島本家と分家が務めた。
 宿と宿の間の街道筋に、参勤交代の大名などの昼食・休憩用に茶屋本陣が置かれた。 上野国内は、上富岡(高崎~飯鼻)・五料(安中~松井田)・横川(碓氷関所)・羽根石(坂本宿~碓氷峠)・山中(坂本宿~碓氷峠碓氷関所)、ほとんどが村名主の旧家であった。
※街道の茶屋・大名行列時の宿場では、一度の大勢に対応できないので茶漬けの一汁一菜が普通であった。(武士・庶民も中食は茶漬けだ..

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グンマの昔:揚舟

Itakura62

○揚げ船(板倉町)
 利根川と渡良瀬川に挟まれた邑楽郡板倉町は、川や沼が多く低地であるため大雨が降る度に洪水にみまわれてきた。 いったん洪水になるとなかなか水は引かず、いろいろな洪水対策が施されてきた。 そのひとつに「揚げ船」があり、軒先や納屋にそこを上にして吊るしていた。 洪水については、「蛙が小便をしても水が出る」とさえ言われていた。 
※西長尾は船底が下、東長尾は船底が上に吊るされたとされる。

洪水 について

Itakura_watashic板倉の渡し・渡良瀬川

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グンマの昔:小串鉱山

Kogushikouzan

○小串鉱山
 明治時代に鹿島組・東洋硫黄が採掘、1916年高井鉱山(長野県側)となるも堀り尽くし、1923年群馬県側採掘、1929年北海道硫黄小串鉱山となる。 1937年落盤爆発事故、再開後日本第二の大鉱山となる、2000人以上の大鉱山町となったが回収硫黄に負け1971年閉山。

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※1960年に群馬県側道路ができるまでは、町の生活は長野県であった。
 
※毛無峠は日本海からの風の吹き抜け道であったので、峠の下300mに長さ1300mの毛無隧道(長大抗)を掘った。 この工事中に大鉱脈..

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グンマの昔:下仁田森林鉄道

Ueno_hontani

○本谷事業所(営林署)・上野村
 1933年開設、20年ほどで閉鎖(廃村)。 本谷は、営林署従業員らの生活の場であった。(ランプ生活だったらしい)  木材搬出はトロッコをガソリンカーが三岐まで牽き、トラックで輸送した。 また「トロッコ道」もよばれ生活路でもあった。

Shimonitashinrin69

○下仁田森林鉄道
 1920年度磐戸~塩ノ沢峠工事着手、1921年度塩ノ沢峠~坂下~本谷国有林工事着手、1927年度磐戸~本谷国有林34.92km開業、下仁田~磐戸は上信電鉄が計画していた。
 1934年磐戸~塩ノ沢峠~坂..

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グンマの昔:水塚

Itakura61

○水塚(板倉町)
 一階は食料保存倉庫、二階は避難場所となる。 一階は、麦俵の上に米俵・大豆を積み、味噌や醤油は樽に詰め縄で柱につないでおいた。

伝説①
 この地に来た弘法大師が水が漲った沼を渡ることができなかった。 通りかかった老婆は杖でやすやすと通ったので、その杖を借りようとしたが懐に隠して貸してくれなかった。 やがて水がひけ、弘法大師は沼を渡り、老婆は杖とともに石となった。 この地を「姥が懐」。

伝説②
 弘法大師がある水塚に一泊したところ蚊が多くて眠れなかった。 そこで加持し..

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グンマの昔:三洋博物館

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○三洋博物館(沼田市)
 沼田城関連品を集めた私設博物館。
※現状不明

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グンマの昔:十石犬

Jukkokuken

○十石犬
 上野村だけにいた猟犬、絶滅した。

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グンマの昔:葬式と赤飯

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○葬式と赤飯
 長寿者の、通夜・年忌法要・最後の年忌などに赤飯を食べる習俗がみられた。 これは、天寿をまっとうした人だけが出すことができるものであり、参列者にも長寿の幸運を分配する意味があった。(葬式も人生におけるハレと考える)
 小豆で赤飯・小豆飯とする地域と、白小豆や白インゲンで色のつかないおこわ飯にする地域と、黒大豆を入れた強飯があった。(インゲン豆をいれた強飯もあった)
※グンマでは、かつて赤飯おにぎり「念仏玉」が出されたことがあったが、後に饅頭やお菓子に代わった。

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グンマの昔:尾曳稲荷・館林城

Tatebayashi31

○尾曳稲荷・館林城
 戦国時代、大袋城主赤井照光が子狐を助けたところ、その晩稲荷様の使いの親狐が夢枕に現れ、そしては狐が尾で築城図を地面に描いたのが「館林城・別名尾曳城」。 狐が尾を曳き始めたのが谷越町「宵稲荷神社(初曳神社)」、城の守り神が城内の「尾曳神社」、尾を曳き終えたのが加法師「夜明稲荷神社」。
※太田道灌が前橋城を築くさい、赤亀が現れ尾を曳いて築城図を描いたのが「赤亀稲荷(尾曳稲荷)」。

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グンマの昔:伊香保温泉

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Gunma_ikaho1

Gunma_ikaho2

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グンマの昔:藤原秀郷

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○藤原秀郷
 1916年8月、近江国田原郷に移住していた藤原秀郷は、罪を蒙り下野国佐野へ遠流となりそのまま土着した。 その後、平将門が下野国の国衛を占領・新皇を称するにおよんでは、朝廷が秀郷に追補使を命じ、1940年将門を降ろし首級を上げた。

下野国 について

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グンマの昔:生品神社

Gunma_ikushina

新田義貞

○生品
 「生科」が変化したもの。 シナの木の茂る所とされる。
※シナの皮をさき布を織ったといわれる。

Ikushina1

Ikushina2

Ohta33新田義貞墓

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グンマの昔:室田宿

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グンマの昔:中之条

YAMADA

グンマの昔:ジラート事件

Soumhara

○ジラート事件
 1957年1月30日、相馬ケ原演習場(相馬原)で弾拾いをしていた主婦が米兵ウィリアムSジラートに射殺された。(声をかけて弾拾いにおびき寄せ、逃げる主婦を背後からカラカイ半分に撃ったとされる)  国内世論に押され国内での裁判となり、11月19日「懲役三年執行猶予三年」となった。 12月6日、ジラートは横浜から米軍用船で帰ってしまった。 これを伝えたのは、「上毛新聞」だけだったといわれる。
※弾拾いは、土地を接収された農家の収入源でもあった。

横線540透明

○ジラート事件..

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グンマの昔:青山村

Gunma_aoyama1

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グンマの昔:金山城

Kanayama21

○金山城
 標高239mの金山山頂の実城を中心に、四方に延びる尾根上を造成・曲輪とし、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城。 石垣や石敷きが多用されていることで、従来戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆されました。  主な曲輪群は実城・西城・北城(坂中・北曲輪)・八王子山の砦の4箇所ですが、山麓にも城主や家臣団の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していたと見られる。

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グンマの昔:金井宿

Gunma_kanai1

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グンマの昔:門付唄

Mamezou11

○豆蔵
 豆と徳利を手玉にとる芸・小刀呑みなどを見せた大道芸人。 滑稽な口上と物真似を交えて演じ、人々の足を停めた。

Edo_mamezo81

横線540

○豆蔵
トコトコ出ました豆蔵が
粟の餅より米の餅
豆蔵小僧は餅が好き
たとえネズミの食いかけでも
坊っちゃん嬢っちゃんの食いかけでも
粟の餅より米の餅
※餅をあげると唄を、あげないと念仏となる。

○豆蔵
とことこ出ました豆蔵が
入れもん小鉢が小さけりゃ
たわらかますでくれてやれ
だんなのおてては豆だらけ
豆蔵の頭はこぶだらけ
少々ネズミの食いかけでも
坊っちゃん嬢っちゃんの食い..

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グンマの昔:四万温泉

Gunma_shima1

○四万温泉
 多数の温泉湧出口がり、向見・新湯・山口・温泉口の四地区にわかれていた。(古くは四万山口温泉・次いで新湯)

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Gunma_shima5

Gunma_shima2

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グンマの昔:奥田村

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グンマの昔:三国街道

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室田宿

街道 について

Mikuni12

金井宿

Mikuni13

渋川上町

Mikuni14

金古澤

Mikuni15

奥田村


Kaidou_mikuni31三国街道

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グンマの昔:軍事特別大演習

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○軍事特別大演習・昭和天皇誤導
 1934年11月10日~14日、群馬県山麓(栃木県佐野市~藤岡北部まで)で軍事特別大演習(総勢十五万名)が行われた。 10日群馬入りした天皇は15日から地方巡幸となり、16日桐生高等工業学校へ向かう際、先導が道順を誤り西小学校・織機展覧場と天覧順序が逆になってしまった。
 1934年11月16日、末広町一丁目を左折し西小学校・機織実演に向かうところ、直進してしまったので桐生高等工業学校へと進み、順番を変えて対応した。 後、先導役の本多重平警部が割..

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グンマの昔:河原湯

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Gunma_kawarayu2

Gunma_kawarayu3

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グンマの昔:一之宮貫前神社

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○貫前神社(富岡市一ノ宮1535)
 県内に分社が多いのが「赤城神社」、大元は三夜沢にある。 しかし、上州一の宮は「貫前神社」、二の宮が「赤城神社」、三の宮が「伊香保神社」である。  貫前神社は社殿が表門より低い「下り参道」、水的神事・巫射祭・筒粥神事・鹿占神事・オミトウなど古風神事が続けられている。
※貫前神社は、1625年徳川家光により再建された。

Nukisaki13

貫前神社祭礼

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グンマの昔:和宮親子内親王

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○皇女和宮
 1861年11月9日、和宮親子内親王の嫁入り行列は、京都より一万人+江戸からの迎え一万五千人+人足四千人=約三万人の大行列であった。 坂本宿だけでは泊まりきれず、準備・後片づけにも数年かかり大変だったそうだ。

Naishinnou35


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今の坂本宿

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グンマの昔:渋川

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渋川 について

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グンマの昔:金古宿

Gunma_kaneko2

Gunma_kaneko3

Gunma_kaneko1

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グンマの昔:桐生羽子板

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○桐生羽子板
 根本山神社参詣者の土産品の一つだったらしい。 その後復元され、明治中期に花芳玩具店で売られたが、大正十年頃に廃絶した。


☆羽子板
 不幸をはね返す板の意。 羽根の黒い部分は無黒子で「子が患わ無い」、羽根はトンボで「蚊を食べる益虫」。

☆コマ
 奈良時代に高麗を通り伝わった。 音が悪霊を払うとされた。(鳴りゴマ)

☆羽つき・羽子つき
 足利時代の「胡鬼板(こきいた)」が源。 蚊よけにトンボの形に似せた羽(樫の実に鳥の羽をつけた)を、胡鬼板で飛ばした。  

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グンマの昔:坂本宿

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○坂本宿
 古くからの交通の要所であり、700年ころには開通されていたとされる。  その後1630年ころ、中山道の宿駅として別の場所に新たな坂本宿が設けられた。(集落の無い碓氷川沿いの台地を町割りしたとされる)
※古代は仲仙道とよんでいたが、1716年以降は中山道と書くようになった。

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グンマの昔:松井田宿

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○松井田宿
 室町時代に松井田城が築かれ、碓氷峠を扼する要衝であった。  1603年五街道の一つとして中山道が制定され松井田に宿場町が開かれたが、宿場町として整ったのは1700年頃とされる。

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Gunma_honjin1

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グンマの昔:妙義山

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横線540透明

Myougi_meiji88明治時代

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Myougi1880妙義・1880年頃

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Myogi_siebold1c

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Myogi51c

Myogi52c

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Myogi61

Myogi62

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Myogi71

Myogi72

Myogi73

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Myogi75

Myogi76

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グンマの昔:高﨑

Gunma_takasaki3

Gunma_takasaki2

Gunma_takasaki1

Gunma_takasaki4

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グンマの昔:吾妻鉱山

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○吾妻鉱山
 1908年発見、その後数人の手を経て1914年群馬硫黄株式会社、その後順調に発展したが1935年落盤事故、1940年帝国硫黄工業株式会社、朝鮮動乱特需もあったが需要が減り1971年閉山。

Agatsuma_kouzan61

 1911年発見、1917年精錬開始・我妻硫黄株式会社。


○上信鉱山(ろうせき山)
 1940年頃鉱床発見され大阪窯業の鉱区となる、1943年頃日窒鉱業上信鉱山となる、鉄道敷設の予定もあったが1945年閉山。 一時期は、小淵山電化として耐火煉瓦資材用に再開されたこともあった..

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グンマの昔:倉賀野宿

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倉賀野 について

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グンマの昔:新町宿

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中山道新町宿

Gunma_shinmach1

中山道新町宿

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グンマの昔:高崎城・三階櫓

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高崎城・三階櫓

☆高崎城
 明治五年県庁を前橋に移し、高崎城を兵部省の軍事拠点とした。

横線540透明

Takasaki_shiro11

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○高崎城
 天正十八年井伊直政が和田城跡に築城開始。

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Takasakishiro_meijic

Takasakieishoc高崎営所

Takasakirenpeic

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グンマの昔:瞽女・六部

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○瞽女
 姉さんかぶりの手ぬぐいに・肩に三味線山・手には杖。
○六部
 六十六部、法華経を六十六部書き写し・全国六十六の観音霊場に一部ずつ納めてまわった。
※観音菩薩が三十三の身に姿を変えて衆生きを救いにくるとされた。(三十三身・三十三体観音)

横線540透明

Goze22

○瞽女(俗に五是)
 箏・三弦を鼓き曲を歌って女子の姆となる。

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○訳人(つうじ:通事)
 四方の夷および鳥獣の語を伝える。 牛・鳥・馬・雀・ 蟻などの語を解したとされる。

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Rokube88六部

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グンマの昔:館煙草

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○館煙草
 高崎市館の煙草「高崎煙草」、「沼田煙草」と並んで有名であった。

※高崎では、周辺農家で栽培した「たばこ」を製造・販売し、たばこ商人・刻みたばこ職人が多数いた。 特に寄合町東小路は「烟草横町」ともいわれ、街道往来の旅人は高崎のたばこを土産用に買い求めた。
 1875年「煙草税則」により、高崎は吉井煙草専売所の所轄の下におかれ葉たばこは専売となったが、刻みたばこは民間で製造が続けられた。 1904年1月、製造煙草専売法により八島町に高崎煙草製造所が設けられ、民営たばこは消..

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グンマの昔:吾妻川中和

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○吾妻川
 草津温泉の湯はpH2の強酸性であり、流れ込む白砂川・吾妻川には魚が棲めず・農業用水にもならず・コンクリートを溶かすため吊り橋しか作れなかった。  1974年、石灰を流し込む中和事業がはじまった。 この課程で中和生成物を沈殿・堆積させるために六合村に「品木ダム」が造られた。

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グンマの昔:銅鏡

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十鈴鏡@玉村町小泉


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一般銅鏡の鏡面

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グンマの昔:坂東橋

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○旧坂東橋(北橘村)1903年開通

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グンマの昔:カンカン踊り(藪塚本町三島神社)

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○三島神社
 神楽奉納の際、余興として「ねんねこ踊り」と「カンカン踊り」が行われていた。 ここの神官はひょっとこ踊りが上手だったので「ひょっとこ神官」ともよばれていた。

※かつては、片品村・太田市周辺でも「かんかん踊り」が行われたともいわれる。

①カンカン踊り唄
カンカンノー
キューノデス コリヤ
キュワキュデス
サンジョナライーサーハーミカンサコリヤ
テッペンタイコデヤーハーノハ コリヤ
ヤーハーノハー
メンコノオサイデツンツラツンノツ
オヤマカフーリン
ヒックリケチャバッキンダ
ピーピーピット..

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グンマの昔:老神温泉

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老神温泉(1959年)

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 ある昔「上野国赤城山の神」と「下野国二荒山の神」との間に、日光中禅寺湖をめぐって領有権争いが生じた。  話し合いでは合致に至らず、両神はそれぞれ大蛇と大ムカデに変身し、戦闘が勃発した。(両神がどちらに変身したかは諸説あるが、百足より蛇を自国の神としたいのが本音のようだ)
 この戦闘で流れた血で山が赤く染まり、「赤き山」すなわち「赤城山」となった。

※二荒山神社には大蛇が祭られてるのに対し、老神温泉には大蛇関連の歴史的資料は無い。

※老神温泉では「赤城の..

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グンマの昔:赤城山ケーブルカー

Akagicable61

○赤城登山鉄道(ケーブルカー)

赤城山

Akagicable62

Akagi_cable1

Akagicable63

Akagi_cable1

○赤城登山鉄道(ケーブルカー):1957年利平茶屋駅~赤城山頂駅開通・1967年11月5日休止・1968年6月1日廃止

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横線540

Akagi_cable2

○赤城山ロープウェイ(リフトとロープウェイ):1957年7月27日開業・1998年廃止

※1956年「赤城登山鉄道株式会社」免許取得、1957年赤城平~地蔵岳山頂開業、1968年「赤城山ロープウェイ株式会社」に改称、1998年廃止。

※赤城平まではリフトに乗らねばならず敬遠さ..

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グンマの昔:日光白根山

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○日光白根山
 標高2578mは北関東以北最高峰、噴出した溶岩の粘りが強かったので溶岩ドームを造った。

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Nikkoshirane☆日光白根山

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グンマの昔:箱膳

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○箱膳(御前茶碗・汁椀・お手塩・箸)
 昭和初期まで続いた。  食事が済むと、ご飯茶碗に湯茶がそそがれ・それを各器を通して飲み(洗うことになる)・器を納めて・膳棚に納める。  男はあぐらか立膝、女は正座して食べる。


☆箱膳と鍋料理
 江戸時代末まで、食事の基本箱膳であり、みんなで鍋をつつくのは下種といわれた。 明治になると、牛鍋の美味さに負けた。

☆手塩にかける
 昔、各自の食膳に少量の塩を添え・自分で味を調節した。

☆塩梅
 塩と梅酢からの転訛、「えんばい」と読んだ。 室町時..

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松茸ごはん折詰

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松茸ごはん折詰(大増)

○グンマの昔:金山産献上松茸(太田市)
 寛永六年館林城主松平忠次が将軍家光に金山・松茸を献上、以降慶応年間まで続いた。  明治維新以降も皇室に献上されたが、1965年ころ中絶された。
※将軍献上は、年六回前後・年300~3000本と変動激しかった。

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グンマの昔:群馬鉄山

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群馬鉄山
 1941年六合村入山で発見された鉄鉱石は群馬鉄山として採掘が計画され、搬出用に渋川~長野原間(44.7km)に鉄道が敷設され、三か月で完成した。 
*当時の戦況下で商工省では地下資源を欲しがっていた。

Gunmakouzan33

 鉄鉱石は空中ケーブルで太子駅に運ばれ貯鉄されたが、採掘量が輸送量を上回り鉄鉱石の山となった。(太子鉱山ともよばれた) さらには、水分・不純物を取除き純度の高い鉱石を送り出そうと、焼結工場か建設された。 この焼結工場の煙突から出た赤黒い煤煙・亜硫酸ガスは、地上を赤く染..

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グンマの昔:八幡宮

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○板鼻八幡八幡宮・山名八幡宮
 源氏の信仰が厚かったのが「板鼻八幡」と「山名八幡宮」。

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グンマの昔:太田

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金山実城

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大光院

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芭蕉屋旅館

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グンマの昔:時計商

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○大瀧金次郎商店
 このほか時計商は、結城屋平三郎商店・長谷川竹太郎商店・小堀弥寿次商店、があった。

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○西洋時計師
 前橋本町・井倉蔵吉が、初めて西洋時計(懐中時計)を組み立てたといわれる。

※明治17年1月、前橋紺屋町・井倉蔵吉が、初めて懐中時計の製造を始めた。(後の曲輪町・井倉時計店)

YAMADA

グンマの昔:薬師井戸

Numata19

○白井宿

※夜盗道→白井城遠構の跡と推定される。
※気勝久保→食物が採れない土地の意(飢渇)

薬師 について

Shirai_shiro22

白井城

Shiraijyou61

白井城跡

YAMADA

グンマの昔:養蚕

Kaiko59

○蚕の一生(産卵からまゆまで)

横線540透明

①通常、蚕の蛾が卵をうむのは六月ですが、人エ的に秋に産卵する蛾も育てています。

②ふ化したばかりの蚕です。 桑を食べる前の蚕を毛蚕といいます。 度調節や薬品液を使うことによって、いつでもふ化させることができます。

③桑を食べると一齢の蚕とされ、三~四日で休眠して、皮をぬぐごとに二齢・三齢・四齢と大きくなります。 三齢か四齢で稚蚕共同飼育所から各農家に配られます。

④五齢になった蚕は、一週間で熟蚕となり、糸をはいてまゆをつくりはじめます。

その..

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グンマの昔:へそくり

Jyousyu0

○女衆の小遣い
 「針箱をさがすと女房とんで出る」ともいわれた。 地域により下記のようによばれた。
 ヘソクリ(隠して貯める、悪い意味もある)、ホマチ(小遣い銭、ちょっとした大金のこともある)、 ホマチガイコ(二番蚕・三番蚕による特別収入)、、 ヨロク(予定外の収入) コデ、 キューデ(収入が無い人の小遣い銭)、 コガネ、 コセクリ、 コセガネ、 クスガネ、 ククントク、 ククシガネ、 カクシガネ、 フンドシゼネ、 ヘソガネ、 ホマチダ、 ホッタ、 インキョメン、 など。
※ホ..

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グンマの昔:養蚕

Kaiko36

○養蚕
 1859年6月横浜開港により生糸輸出が脚光を浴び、養蚕国上州は大発展し蚕糸王国となった。 そしては、新技術・新知識の取得に意欲的になった。

※養蚕中は、ねずみは「ヨメゴ・ヨモノ・ヨムシ」といった。 ネズミというと、蚕にかみつくといわれた。
※シジ・タケ・フナ・ニワ:シジには獅子の口になり・タケには竹を切ったようになり・フナには船のようになり・ニワには忙しいから庭で休ませろ、といわれた。
※カイコは大きくなるまでに四回脱皮し、順番に、シジ(一眠)・タケ(二眠)・フナ(三..

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グンマの昔:お茶講

Ochakou11

○お茶講(中之条・白久保、伊参)
 天満宮のお祭り二月二十四日に、お茶を飲み比べ・飲み当てする一種の遊び(闘茶)。
※甘茶・渋茶・チンピを適度に混ぜ四種のお茶を当てるらしい。

Ochakou23

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グンマの昔:吾妻

Agatsuma_map

○吾妻郡全図

Kazawa_eki

○新鹿沢温泉口駅(草津電気鉄道)

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グンマの昔:水上町

Minakamimap11

Minakami_s

○水上温泉(昭和初期)

Minakami_sd

○上牧・道木温泉辰巳館(昭和初期)

Anaharayu○東村・穴原温泉湯元(昭和初期)

Tanigawaonsen

○谷川温泉(1929年)

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グンマの昔:渋川

Shibukawa_map

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グンマの昔:妙義基地

Takaiwa

○妙義基地
 1953年4月3日、妙義山・浅間山一帯(八風平・高岩中心)をアメリカ軍演習場にする計画が発表された。 これには、坂本町・臼井町・松井田町・九十九村・細野村・西横野村・妙義町・小坂村・西牧村・嬬恋村・軽井沢町が含まれ、各地で反対運動が起き全県的運動となった。  その後、政府側から数々の好条件が示され、受入派と強行派と別れ、土地収用法発動かと思われたが、1955年1月19日強制測量が行われた。 そして三月一日、突然「妙義演習場の接収解除」となった。
※坂本町恩賀・高岩..

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グンマの昔:埴輪

Haniwa11

○保渡田八幡塚古墳
水鳥形埴輪:鵜飼を表すとされる(鵜飼は戦前まで碓氷川で見られた)
力士埴輪:五~六世紀に作られたとされる
いすに座る女:椅子は王権の象徴であり、祭儀用といわれる(中国より椅子に座る習慣が入ってきたが、ほどなく衰退したらしい)

Haniwa12

Haniwa13

Haniwa15

Kofun38

八幡塚古墳

Kofun39

保渡田町はにわの郷

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吾妻・郷原遺跡

Haniwa16

Kofun38c

Kofun39c


Minano_dogu1山形土偶(皆野・駒形遺跡)

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グンマの昔:古墳

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○八幡観音塚古墳
五鈴鏡:鈴鏡・古代人が鈴の音を好んだとされる。
内行花文鏡:花模様
獣帯鏡:神話上の獣を示す
画文帯神獣鏡:五世紀頃中国で作られ、呪い的な道具とされる。

Gunma_kofun12

Gunma_kofun13


○4世紀の上毛野
 上毛野地域では古墳時代の初めから、強く安定した勢力を持つ拠点が二つありました。 一つは高崎市東部から前橋市東南部にかけでの地域、もう一つは県東部の太田市周辺地域です。
 元島将軍塚古墳の近くには、住居やお墓の跡がある鈴ノ宮遺跡・元島名遺跡があり、また水田が営まれて..

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グンマの昔:給食

YAMADA

グンマの昔:レジスター

Takasaki_rekishi5

 レジスターに見えるが、実は形だけの飾り物。 店先に置いておくと立派な店に見える。 

Souka23

横線540

Register1910ナショナル・キャッシュレジスタ・カンパニー、1910年

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グンマの昔:猿ヶ京温泉

Sarugakyou11

○猿ヶ京温泉


☆猿ケ京
 サルは崖・キョウは狭、の意。

Sarugakyou12

○猿ヶ京温泉
 1956年相俣ダム完成、生井(古くは温井)部落が赤谷湖底に沈み、湯島温泉から猿ヶ京温泉に変わった。  当初の湯島温泉は湯島河原とよばれ、交通不便な地で子どもの湯遊び場程度であった。
 1869年関所が廃止され、1889年頃に湯を1kmほど木管で 引き生井鉱泉(生井林温泉・笹の湯)が誕生した。  明治末になり小学校建設資金を得ようと村で県道工事を請け負ったが、難工事で赤字となり村所有の温泉湯権が民間へ渡ってしま..

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グンマの昔:榛名神社

Gunma_haruna22

○榛名神社
 榛名神社の祭神は火産霊神・埴山姫神で、五穀豊穣を祈願する講による参拝がさかんだった。 特に埼玉南部では榛名講が盛んに行われ、榛名神社に関する伝説(戸田のお水もらいとわらびさま・龍體院伝説渋川氏の夫人・滑川町二宮山八大龍神、など)も多く残っている。  これは、榛名山からの雷雲が埼玉南部に恵みの雨を降らせたことによると考えられている。

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妙義惣門

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グンマの昔:坂本宿

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○坂本宿
 古くからの交通の要所であり、700年ころには開通されていたとされる。  その後1630年ころ、中山道の宿駅として別の場所に新たな坂本宿が設けられた。(集落の無い碓氷川沿いの台地を町割りしたとされる)
※古代は仲仙道とよんでいたが、1716年以降は中山道と書くようになった。

宿 について

Kaidou22

 東山道は和銅年間~宝亀五年までは碓氷廻りだったが、1603年中仙道の建設が始まった。 碓氷峠を越えるには下記街道があった。
○吾妻街道(上代東山道):萩生峠越え、日本武尊..

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グンマの昔:松井田宿

Gunma_nakasendou5

○松井田宿
 室町時代に松井田城が築かれ、碓氷峠を扼する要衝であった。  1603年五街道の一つとして中山道が制定され松井田に宿場町が開かれたが、宿場町として整ったのは1700年頃とされる。


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グンマの昔:安中宿

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○安中宿
 1559年安中城築城、その後1591年井伊直政支配下になると伝馬使用禁止となった。(碓氷峠警備で手がまわらなかったともいわれる)  
※実際の安中宿は規模が小さく、藩からの助成金でやっと運営していたらしい。

安中 について

YAMADA

グンマの昔:中之条天王宮

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○中之条天王宮
 戦国時代、吾妻を支配していた伊能新左エ門は越後六日町の天王祭の賑わいを見て、天王宮のご神体を盗み出した。
 これに気づいた六日町人々に追われた新左エ門は必死に逃げ、伊能一族にバトンタッチすると三国峠を越え中之条古町の一族家まで一目散に逃げ帰った。 時は七月一日「釜蓋の日」であり、ご神体をセイロの中に隠した。 セイロの中は赤飯であった。
 これ以来、中之条天王宮のご神体はセイロの中に安置されることとなった。  その後天皇宮は焼失し、ご神体は天王石の上に安置された..

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グンマの昔:板鼻宿

Gunma_nakasendou3

○板鼻宿
 古くは若田郷藺田鼻、1604年中山道改修を機に北稜から移した。 旅籠数五十四軒は街道随一。 1845年上番と下番に分けられたのが災いし争いが絶えなかったとされる。
※群馬県唯一の現存する一里塚が、「藤岡の一里塚」。
※板鼻で悪事を尽くしていた伊勢三郎義盛が、源義経に会い改心したともいわれる。(松井田ともいわれる)
※達磨寺・糸操り灯籠人形、などある。

Itahana_sieboldc

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グンマの昔:伊香保名産

Gunma_ikaho23

○伊香保名産
 湯花、温泉染木綿真綿・温泉化石硯温石・髪洗土・籾の粉・挽物細工・氷豆腐・氷蕎麦・湯ざらし葛・湯ざらし艾・湯本焼物・滝ふたの粉・雑木ステッキ・彫盆・ちゑの板・ちゑの組木・櫛・箸・糸巻・下駄・枝折・八景かんざし・伊香保の香・塗物・黒楊枝・氷・鶉・鮎・鯉・鮒・鱒・鰻・茸・うどん・ぜんまい・蕗・蕨、など

○上特特産物・江戸時代
 生糸・下仁田半紙・麻(我妻岩島)・中野かすり(邑楽)・沼田タバコ・館タバコ(高崎)・砥石(南牧村他)・硫黄(草津)・明礬(我妻大前や鎌原)、など..

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グンマの昔:高崎宿

Gunma_nakasendou2

○高崎宿
 中山道で最も繁華な宿場町であり、越後と富岡の分岐となる交通の要地であった。  中世和田氏時代は「和田宿」ともよばれ、以降城下町・市場町・宿場町として繁栄した。
※本陣・脇本陣がないのは、諸大名が城下町での宿泊を敬遠したらしい。
※高崎の古名は「赤坂の荘」。
※高崎城主安藤重長に預けられ幽閉された徳川忠長が葬られたのが「大信寺」。

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○中山道(木曽街道)略図

YAMADA

グンマの昔:倉賀野宿

Gunma_nakasendou1

○倉賀野宿
 下町・中町・上町が、月の1/3ずつ交替で 伝馬を受け持ち宿を運営し、水陸交通の要であった。 川井河岸・新河岸・玉村河岸は三国街道方面、倉賀野河岸は上州・信州方面を扱った。 また、大名・旗本の蔵米を扱う米宿もあった。
※徳川家康の命日4月17日に日光東照宮へ幣帛を奉納する勅使が通ったので「例幣使街道」。(1646年から1867まで毎年行われた)

Kuragana35

 五世紀頃大豪族が倉賀野の地に住んでいた。 鎌倉時代に児玉党秩父氏一族が倉賀野氏を称し、十四世紀末には倉賀野城が築城された..

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グンマの昔:岩鼻監獄

Iwahanakangoku

○岩鼻監獄
 1870年、岩鼻囚獄・徒刑場が設置された。 (女囚用含む) 

Takasaki_iwahana21

岩鼻村

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グンマの昔:上野国

Gunma_map23

○上州の起源
 六世紀、東国では武蔵国までが大和政権支配地、利根川以北は蝦夷の地といわれ・毛野氏が独自の政治・文化圏を構築していた。  そのため、大和政権からは「毛野国」とよばれていたが、仁徳朝により「上毛野国」と「下毛野国」に二分された。(都に近い方が上・遠い方が下)  大化改新後、地方国名を二文字にすべしというので、「上野」と「下野」になった。  中世に入り人や物の移動が盛んとなると、国名に州を付けるのが流行り(信州・甲州・紀州など)、「上野」も負けずに「上州」とよぶよう..

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グンマの昔:新町宿

Shinmachi38

○新町宿
 1691年笛木新宿と落合新宿ができ、1724年両方を合わせて新町宿とした。 ただし、宿内は二つに分かれたままで、笛木と落合で半月ごとの持ち回りで分担した。

Okikuinari51

○於菊稲荷神社
 宝歴年間、新町宿大黒屋に於菊という売れっ子娼奴がいた。 あるとき病にかかり見捨てられた於菊を、町人達が神社裏に小屋を建て・看病した。 三年が経ち、ある夜半稲荷の霊が現れ於菊は全快した。 これに感動した於菊は社にこもり・一生涯を身明奉仕に捧げたとされる。

YAMADA

グンマの昔:倉賀野

Kuragano05

○倉賀野は舟運で栄えた町
※古くは、倉加野・倉ヶ野・倉金・倉加袮・倉兼、などと表記されている。

倉賀野河岸

横線540透明

Kuragano03

倉賀野宿

Takasaki_kuraganosugi

杉並木

Kuragano02

太鼓端

Kuragano01c

Kuragano02c

Takasaki_kuraganosugic

横線540

Takasaki_kuragano

○倉賀野城
 応永年間(1400年頃)、倉賀野光行により築城、その後増築されたが1564年武田信玄に攻められ落城。

Kuragano38c

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グンマの昔:大類城

Takasaki_ohrui

○大類城(高崎市)
 大類氏は武蔵七党の系譜、1159年平治の乱で大類孫太郎行光がデビュー(足利勢)。 武田時代は和田城の支城、天正十八年廃城。

YAMADA

グンマの昔:桐生

Kiryuu_shiro

桐生城跡

Kiryuu_yakuba

相生村役場

Kiryuu_aioimatsu

相生の松

Kiryuu_moritamura

毛里田村・丸山


☆桐生の地名語源については多くの説があるが、本当のところ解らない。
○「桐の木」・「霧」・「きり畑」・「きりかえばた」から。
○鎌倉期武士により開発された地、「きりはら」・「きりやま」・「きりさと」などの派生。
○古物語にある「切字」・「切生」・「喜里字」から。
○「きりうの矢」に因む。
○豊城入彦命の「城入り」に因む。
○「雉子が岡」に因む。
○木地師に因む。
○地名「栗生」が訛った。
○アイヌ語、「キリ..

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グンマの昔:十石峠

Jyukkoku14

○十石峠
 かつては、信州大日向へ馬子が荷(下駄など)を運び、帰りは米・酒・わら・草鞋などを持ち帰った。 小諸へ行く馬子衆は帰りに十石の米を上野村白井まで持ち帰ったので、「十石街道」・「十石峠」と呼ばれるようになった。 帰り荷は、白井の市場でトリヒキされた。 
※細い崖道で馬もろとも谷間におちてしまうのが「やきゅう沢」、供養の馬頭観音石碑も多い。

○十石街道(じっこく)
 中山道新町から藤岡・鬼石・万場を経て神流川沿いを遡り、十石峠を越え信州南佐久へ至る街道、十石峠道・山中道とも..

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グンマの昔:放光寺

Houkouji35

○山王廃寺(前橋市総社町)
 山王廃寺跡から、銘瓦・鴟尾・水注・銅鋺 などが発見された。 瓦には「放光寺」が記され上野国で最も古いものであり、鴟尾は 103cmにおよんだ。 
※塔の跡に日枝神社(山王)があったので山王廃寺とよばれるのであり、「山王寺」なる寺があったわけではない。 「放光寺(定額寺の一つ)」が正しい寺名で、681年以前に創建されたのではといわれている。

○国分寺
 741年聖武天皇が、国ごとに国分寺と国分尼寺建立の詔を発表し、上野国にも国分寺が建立されたが、10..

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グンマの昔:石投げ踊り

Ishinage3

○盆踊り唄・石投げ踊り(通称:石投げ)
 石を拾って投げる仕草をするので「石投げ踊り」。 八木節流行とともに衰退した。

※石投げ音頭ともいわれ、越後では「石投げ甚句」ともよばれ、系列唄は広く分布する。

※八木節はトチギの民謡。

サーエー
ここに過ぎにしその物語り
国は中国その名も高い
武家の家老に一人のせがれ
白井権八直則こそは
犬のけんかが遺恨となりて
サーエー
犬のけんかが遺恨となりて
同じ家中の本庄氏を
討ってたちのき東をさして
下る道にて桑名め渡し

YAMADA

グンマの昔:横樽音頭

Tamamura_sumiyoshi

○横樽音頭
 樽を横にして伴奏するので「横樽音頭」、玉村町南玉や住吉神社などでの「盆どり」でもある。

※多野では、若者男女風紀が乱れるのというので盆踊りが禁止された。(1914年7月)

横線540

Yokotaryondo38

ハアーここに名高き青物づくし
苦労白瓜 気はもみ瓜よ
好きや胡瓜で売るのもよが
ハア一手足ゃ ひびやせ
やせとうろくよ 顔もあげずに
ただまくわ瓜 人にゃひかげの
とうがんなどと
私しゃね
玉村住吉育ちよ
外にね木はない
ただ松ばかりよ

YAMADA

グンマの昔:糸ひき唄

Mayuuta10

○糸ひき唄
 かつては自分の家でとれた繭を乾燥させ糸ひきをする家もあった。 鍋で繭をゆで、枯れた竹などでかき回し、繭の糸口をからめて座操りの枠に巻く作業であった。


Mayu21

話し止めにして
歌おうじゃないか
話しゃ仕事の
州邪魔になる
糸をひくには
むらなく細く
節がないよに
切れぬよに
糸は千たび
切れてもつなぐ
主と切れたら
つなげない

Mayu22

YAMADA

グンマの昔:機織り唄

Gunma_kiryu5

○機織り唄
 狭い機台に腰を下ろしての機織り仕事は一日中続いた。

Hataori11

桐生はたおり
バッタンひくよりも
私しゃ主さんの
袖をひく
待てど暮せど
まだ紺がすり
どうせ今宵は
きはちじょう
浅間山には
煙は絶えぬ
わしの胸には
苦が絶えぬ
男だてなら
あの利根川の
水の流れを
止めてみな

YAMADA

グンマの昔:小串鉱山

Kenashi1

○小串鉱山
 1967年11月11日午後3時半、山津波が鉱山を埋め尽くし、火薬庫が爆発し火災が発生、村全体が被害を受け最終的には死者600名以上といわれる。
※御飯岳頂上の貯水池が浸透し、地盤がゆるみ山崩れとなったともいわれている。

Kogushikouzan

○小串硫黄鉱山 
 1929年、東洋硫黄株式会社から北海道硫黄株式会社に移管。 県内最大の三十一万千坪。
 山崩れは、幅30m長さ1kmに及び、死者16名・傷者28名・行方不明136名・家屋損害1000戸。
 毛無山山麓を主に嬬恋村には、「小串鉱山」・..

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グンマの昔:梨木鉱泉

Nashigi

○梨木鉱泉
 784年、坂上田村麻呂が東征のおり、湯湧出を発見した。 正徳年間に梨木裕之が持病を治したので地名を「梨木」。
 かつては、梨木館と清水館があった。

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Gunma_nashiki02

Gunma_nashiki03

Gunma_nashiki04


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Gunma_nashiki02c

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YAMADA

グンマの昔:霧積温泉

Kirizumi32

○霧積温泉金湯館(昭和初期)

Kirizumi33

Kirizumi31

Kirizumi25

○霧積川
 金洞の滝を中心に三十軒ほどの宿があったが、明治末期の台風土砂崩れでほとんどの宿が流された。


○霧積温泉
 古くは「犬の湯」「入の湯」とよばれ、1880年碓氷温泉金湯社が設立されて大温泉地となったが、1910年水害によりほとんどを流失した。
※「人間の証明」の舞台となったといわれる。 伝説も多い。

○十一歳忌み
 ある昔、母が子供を連れ温泉にきた。 しばらくすると、温泉の湯がバッタリと止まってしまった。 そして天狗が現れ..

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グンマの昔:沼田城

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○沼田城

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沼田城・西櫓跡

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沼田城・西櫓跡

○沼田領没収
 1681年11月22日、ついに徳川幕府は藩金横領・材木横流し・年貢高騰を理由に、沼田領没収 ・伊賀守追放にでた。 伊賀守は山形奥平家へ・夫人と末子千代は芝江戸屋敷へ・一族離散と なった。 1682年には沼田城郭取り壊しとなり、沼田城は消えた。

※沼田城には、お家騒動も伝えられている。
※沼田領は虐政で有名であった。

Shiro_numata1○上州沼田城絵図

Shiro_numata2 ○上州利根郡沼田城

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グンマの昔:川原湯温泉

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Kawaharayu

○川原湯温泉弁天橋(昭和初期)

Kawaharayu2

○川原湯温泉(明治時代)

Kawarayu22川原湯岩脈

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グンマの昔:四万温泉

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○四万温泉
 多数の温泉湧出口があり、日向見・新湯・山口・温泉口の四地区にわかれていた。(古くは四万山口温泉・次いで新湯)

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○四万温泉(明治末期)

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○四万温泉(昭和初期)
 温泉宿は、田村と積善の二軒だけであったが、たくさんの座敷と浴室を持っていたので数十軒の宿があるように見えたといわれる。  


Shima_kaeru

○河鹿まつり
 1951年、四万温泉では、大きなガマの姿の御輿を担ぎ回った。 これが「河鹿まつり」も、翌年からは開かれなかった。

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グンマの昔:ざる観音

Zarukannon1

○ざる観音
 ある昔、船尾山中に十二山天狗があばれていた。 山王のお祭りで千葉左衛門常将の子「相馬若」に目を付けてさらってしまった。 悲しんだ常将は、伝教大師がつくった三千百坊舎を焼き払った。 このとき一人の法師が、観音様身体を矢に結び東方へ放った。 
 この矢が漆原新田へと飛び、桑を摘んでいる少女のざるの中に入った。  この観音様をは、後に長松寺西方へと「ざる観音」として祀られた。(ここのざるは蚕が当たるとされた)
※讃岐国生まれの弘法大師(空海)の行動範囲は関西・四国が主で..

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グンマの昔:磯部温泉

Gunma_isobe21

Gunmaisobe31


Isobeame

○磯部あめ
 世界第一と称せらるるいそべ鉱泉をもって製する此あめと煎べいとは衛生上に素的めつぽふ効能の□事は諸君子よくしる所なれば多少とも御索奉願上候。
※□に\で「マス」

○清涼飲料水
 大手萬平邸園より湧出した鉱泉がサイダー風味だったので、磯部鉱泉株式会社を設立し清涼飲料水(サイダーやラムネ)を製造販売したとされる。


※地名の磯部は穴磯部(アナシベ・鉱山技術者組織)に由来。

Isobeonsen1900

☆温泉マーク
 地図記号の温泉マーク、ドイツの地図記号を模したといわれる。

..

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グンマの昔:軽井沢駅

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軽井沢駅

横線540透明

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碓氷峠

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Karuizawa1915軽井沢・1915年頃

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横線540

☆軽井沢
 地名の源は、冬寒く地面が凍るので「凍り沢」・高冷地を「涸れ沢」・浅間山が吹きあげた軽石が多かったので「軽石沢」・粟と稗しか育たなかったやせた土地の意、など多数ある。
※地元では「かるいさわ」、駅名は「かるいざわ」。

☆「軽井沢は外国人が多いため空襲の対象から外された」、といわれる。

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グンマの昔:鐵道案内

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Ryoumou22

Gunmajyoumou31

上毛電氣鐵道株式會社

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草輕電氣鉄道株式會社

YAMADA

グンマの昔:群馬県庁

Gunmakenchou11

○群馬県庁
 1871年10月28日第一次群馬県誕生、11月19日より旧高崎城にて執務開始、1872年高崎城が兵部省に接収される、1872年6月15日前橋で執務開始、1873年6月15日熊谷県発足にて県庁は熊谷となる、1876年8月21日第二次群馬県成立し9月1日より高崎で執務開始、9月21日仮県庁前橋発令、9月29日前橋で執務開始、前橋町民あげての誘致運動・巨額の寄付金により諸施設整備、最終的に1881年2月16日県庁前橋が決定・高崎町民の反対運動起こるも既に遅し。 
※蚕..

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グンマの昔:東山道

Tousandou11

○古代東山道
 東山道は、近江国・飛騨国・信濃国・上野国・下野国・陸奥国へと通じ、上野国内には坂本・野尻・群馬・佐位・新田の五駅(三十里毎)があった。 その一つが群馬駅(くるまのうまや)であり、中世に厩橋城が築城された。 後の慶安年間、厩橋が前橋に改称された。
※平安時代の前橋の人口は一万人弱といわれる。

Tousandou12

○奈良時代、平城京起点とした広域道路網として、東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道なる官道があった。  このうち、平城京~近江~美濃~上野~下野~陸奥へと続..

YAMADA

グンマの昔:鉄道馬車

Tetsidoubasya

鉄道馬車
 1893年群馬馬車鉄道会社設立、高崎~渋川間旅客貨物輸送開始、伊香保浴客にも便利となる。 1908年高崎水力電気会社と合併し電気鉄道となる、1909年伊香保電気鉄道株式会社となり高崎~伊香保間全通、1953年電車廃止してバスとなる(東武鉄道)。

横線540透明

Iizukast

○飯塚停車場
 1919年「北高崎駅」に改称。

Basyatwtsudou12

横線540

☆馬車
 明治三年新橋~横浜に乗合馬車(六名乗車・七十九銭。片道四時間)、二階建て馬車もあったが横転・人身事故で禁止、その後新橋~日本橋に鉄道馬車、やが..

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グンマの昔:高盛座・藤守座

Takasakigrkijyou

○高盛座(矢島町)・藤守座(新紺屋町)
 1869年「坂東座」開場、消失後「岩井座」として再築、移転後1894年「高盛座」に改称・高崎高盛座劇場株式会社、当初は貸し劇場。
 1880年「藤守座」創建、その後田町通りから新紺屋町へ移転、1993年株式会社世界館(活動写真)、その後「第二大和」・「高崎松竹」・「オリオン座」と変館。

Takasakishi

高崎市地図

Takasaki_shiyakusyo

高崎市役所

Takasaki_shiro

高崎城

Takamoriza

高崎・高盛座

Takasaki19

高崎学校

Takasaki_takasakigakkou21

Takasaki_shiyakusyoc

Takamorizac

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グンマの昔:榛名山噴火

Haruna_funka11

 紀元五世紀、榛名山が二度の大噴火を起こした。 一回目の噴火に伴う火砕流で壊滅したのが「渋川・中筋遺跡」、村全部が蒸し焼き状態となった。 二度目の噴火(六世紀)で村ごと数メートルの軽石に埋まったのが「子持村・黒井峯遺跡」。 その他、下芝遺跡郡・西国分遺跡・諏訪西遺跡などある。

※「伊香保」は、「怒る峯」榛名山に由来するとの説もある。

Haruna_iseki27b

○王の館:三ツ寺Ⅰ遺跡
○王の墓:保渡田古墳群、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳
○渡来系人物の墓
○ムラ:竪穴住居

Mitsudera11

○三ツ寺Ⅰ遺跡
 濠と..

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グンマの昔:木部姫

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木部姫と長年寺(下室田)
 ある夜、美女が血脈譜を授かりたいとやってきた。 蝋燭で襖に照らし出された影はまさに蛇姿であった。 そして、身の上を語り始めた 「緑野群八幡村木部城主の妻・木部姫と申し、落城とともに榛名湖に入水し大蛇となった。血脈譜を授かることができるなら、永遠に寺に水を捧げる」
 はたして、長年寺境内に清水が湧き出て絶えることがなかった。 人々は「木部の井戸」とよぶようになった。 この井戸は底なしで・榛名湖に続いているといわれている。

※木部姫に関する逸話は多数..

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グンマの昔:岩櫃城

Iwabitsu22

○岩櫃城
 鎌倉時代、吾妻太郎助亮が構築したといわれる。 1192年源頼朝巻狩りのさい、高嶺山が櫃に似ているので「岩櫃山」となづけ・城を築くに絶好の地と吾妻太郎助亮に薦めた。

Iwabitsu23

 1349年岩櫃城主五代目吾妻太郎行盛は、碓氷・里見義時父子軍に攻め入られた。 要害の地を利用した堅城は難巧不落、持久戦となりついには水源を絶つ手段にでた。 もはやこれまでと覚悟を決めた行盛は、立石河原で自害した。 このとき、自らの首を対岸めがけて投げつけたとされ、のちに「首宮」とよばれるようになった。 ..

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グンマの昔:小島鉄工場

Takasaki_kojima

○小島鐵工所
 1807年、小島弥平「鍋屋」開業。 川口の鋳物職人も修行したといわれる。

Gunma_kijimq21

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グンマの昔:伊香保温泉

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Ikaho58b

Ikaho59b

Ikaho29

伊香保御用邸

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Ikaho41

Ikaho1915伊香保温泉・1915年頃


Gunma_ikahogoyoutei01御用邸

Gunma_ikahogoyoutei02

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グンマの昔:樽沢トンネル

Tarusawa22(WEB 転載)

トンネル について

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グンマの昔:草津温泉

Gunma_kusatsu22

Gunma_kusatsu23

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グンマの昔:熊野神社

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○日本武尊と熊野神社
 陸奥国・蝦夷を平定し上野国から碓氷峠にさしかかった日本武尊は、自分の身代わりとなり海に身を投じた妻の弟橘姫を偲び「ああ、あづまやはや」と嘆いた。
 ある時、日本武尊が碓氷峠にさしかかると、悪神が城鹿に姿を変え襲ってきた。 そこでニンニクを投げつけると城鹿の目に当たり痛みに逃げ去った。 それ以来、この峠をとおる者はニンニクを持ち歩くと悪神が近づかないとされる。
 またあるとき、深い霧に包まれたとき数羽の八咫烏が現れ、くわえたナギの葉をおとして道案内し..

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グンマの昔:温泉番付

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東の横綱(大関)、草津温泉。

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Gunmaonsen31

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グンマの昔:紅地蔵

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○八塔石の紅地蔵・八城吉祥寺
 1699年甘楽郡小幡藩領地では「お伝馬負担」で苦労しており、見かねた名主八人が幕府に直訴し、村は良くなったが名主は追放となった。 やがて八城村の人々は名主の徳を慕い八体の石地蔵を彫った。 
 いつの頃からか、どんな病気も治ると言い伝えられ、やがて紅粉を供えると御利益があるというので「紅地蔵」とよばれるようになった。

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グンマの昔:カッパの恩返し

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○カッパのおんがえし(赤谷・本宿)
 日照りで食べ物が無くなったカッパが、じいさん・ばあさんの住む水車小屋にやってきたので米を与えた。 その冬、じいさんが雪道で転んで足を折ってしまったところ、助けたカッパが出てきて、治るまで背負って足代わりになってくれた。 
※ただし、カッパの背中だったので、いつもビショビショになったらしい。

(猿ヶ京カッパ公園)

○かっぱのおんがえし(相俣)
 湯の原村相俣の西川と赤谷川の合流近く「千淵」・「万淵」に、カッパが住んでいた。 ある日、小野屋のばあさ..

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グンマの昔:千代の松

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○西福寺・赤子地蔵尊
 860年頃、惟高親王が乳母の浅尾が西長岡(現太田市)に移り住み、「仏法僧」と鳴く声を頼りに松(千代の松)の根本に地蔵菩薩を堀だした。 この地蔵菩薩を西福寺に祀り、赤子地像と名付けた。

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グンマの昔:峠越え

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○峠越え
 上野国と越後国間は、清水峠・三国峠・木根宿越え(現四万湖)・野反湖越え、のいずれかであった。

Mikunitouge21


Kaidou_manza31万座山・渋峠 越え

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グンマの昔:岩井洞

Iwaidou

○岩井洞
 延久年中、山田太郎為村が白井の関門として支城岩井堂の砦を築いた。(岩井洞ドライブイン地)  この岩井洞周辺は要害堅固の地であった。  その後、貞和・観応のころ佐久間宰相藤原季長卿が、毎朝佐久間沢で塩水で身を清めたことより、塩川となづけ、近くには「塩川鉱泉」もあった 。

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○岩井堂山
 この地が、沈み続けた平野と隆起し続けた山との境目とされる。

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グンマの昔:祭文

Saimon20

○祭文
 右手にホラ貝・左手に錫杖を持ち。各家の門づけ(玄関先)で唄った。 グンマでは「デロレン祭文」ともよばれた。

デレンデレン デレレレーン デレンデーン
さては一座の御方様 
伺いまする芸題は
わずか離れた安中の 
豆腐屋の二番息子の庄三郎
中のちようの召し捕りをば 
時間くるまでつとめましょう
デレンデレン デレレレーン デレレレデレテレレレーン

横線540

○門付芸(門付芸人)
 一般的には下記のものがあった。
千秋万歳、 松囃子、 傀儡子(傀儡・人形回し・でこまわし)、 萬歳(門..

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グンマの昔:ピーコック遭難

Gunma_garandani

○ピーコック遭難
 1938年1月27日横手山で心中とも思える謎の遭難があり、その後1月31日には英国シンガポール駐在武官ピーコック砲兵中尉が日本人ガイドともに遭難した。 同年4月ガラン沢の洞窟で凍死体が発見された。 それは日本人ガイドであり、その上衣ポケットからは発砲した形跡のある六連発ピストル・雷管・導火線・スイス製銀側懐中時計・外国紙幣・キャバレーチケット、などが出てきた。 ピーコック中尉は、いまだ発見されていない。

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グンマの昔:飴売り

Gunma_yokayokaame

○よかよか飴
 日の丸旗で飾った飯台に飴を入れて頭にのせ、ウチワダイコを叩きながら「ヨカヨカスルセカ、 イマダニゴケダヨ…」と唄って売り歩いたらしい。

アーヤーヨー
いざり勝五郎車に乗せて
ひけよはつ花箱根山
ハハアーヤーヨー
箱根峠を越すときに
はつ花車をひきとめて

Ameuri22

アーエー
ちょいと こりゃ御免こうむりまして
なんそれ なんか一言読み上げる
アーエー
春のよ 初めのうぐいすは
日もよく はじめて都にのぼるとき
アーエー
父のよ ためとて高野山
いまそで 母のためとて羽黒..

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グンマの昔:日向見薬師堂

Shima19

○日向見薬師・中之条町四万

薬師 について

○黄金の薬師如来像(日向見薬師)
 987年源頼光の臣塩谷日向守定光(碓氷貞光)が、黄金の薬師如来像を折田村定光寺に安置した。  この像を欲しくなった上杉顕定は、交渉の末譲り受け平井城へ持ち帰った。1465年顕定の兄房能が殺されると、兜の中に尊像を入れ・越後へ向かった。 しかし四万の奥木根宿までくると、薬師仏を由緒ある地に納めて越後へ向かい、越後長森ヶ原にて戦死した。
 残された尊像は元の定光寺に納められた。(定光寺は四万..

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グンマの昔:大泉寺

Annnaka_chankororin

Annaka_daisenji11

○ちゃんころりん石(大泉寺@安中市)
 ある昔、安中の町を真夜中に「ちゃんころりん、ちゃんころりん」と鳴りながら転がり歩く物があった。 町人は怖がり、どこの家もさっさと戸を閉めて早寝してしまった。 そんななか、怖い物見たさの目撃者が現れた。「おっきな石が転がりながら大泉寺のなかへ入っていったぞ」  そこで町の力自慢が集まって化け物退治となり、転がってきたおっきな石を打ちすえ・切りつけたが、「ちゃんころりん」はいつものとおり大泉寺の中に入っていった。
 翌朝、寺を見に行くと、裏..

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グンマの昔:銃砲店

Takasakigun

○銃砲店(高崎)
 1873年創業「吉沢正則商店」、取扱商品は護身用新形ピストル銃・銃負革・雷管・詰替器・装弾指帯・火薬弾弾薬秤り器・実丸鋳物・鳥入袋、など。

☆ピストル
 明治元年の輸入ピストルは一万五千挺、明治五年取締規則が出たが物騒な世の中とて効果無し、ピストルの新聞広告多数・女性用もあり、明治四十三年取締強化もピストル強盗は残った。

☆日本製拳銃
 「ニューナンブ38口径・M60回転式拳銃」など国産拳銃の製造は新中央工業(ミネベア)だそうだ。

ピストル について..

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グンマの昔:三枚の鱗

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○三枚の鱗
 吾妻町原町・普光山無量寿院善導寺・二代目「円光上人」の母が、みんなと榛名湖に出かけたおり、湖に身を沈めると、たちまち大蛇となり湖底に消えていった。 これを嘆き悲しんでいる上人の夢枕に母上が現れ「九州筑紫の広島池の蛇身だったが、仏力により人間となり、仏に仕える子を得て願いがかなった」と。
 こうして善導寺では、湖に沈んだ四月二十日を法要の日とし、母の形見である「蛇の鱗」がのこされているという。

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グンマの昔:笠松の道祖神

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○笠松の道祖神
 名主に頼まれて道祖神を彫ることになった石屋は、悩んだあげくどこにもない道祖神を彫り上げた。 それは男女が餅つきをしているものだった。 これが気に入らない村人に責められた石屋は村を出た。 そしては、一人去り・二人去り、笠松村は消滅した。

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グンマの昔:箕輪城

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○藤鶴姫
 箕輪城落城のおり、先の城主業盛政の室藤姫は佐藤作兵衛信正とともに城を離れた。 武田勢に追われながらも湯殿山(高野谷戸)にて一夜を潜んだが、援兵の声を敵と誤り自害してしまった。 かくして、信正は墓守りとなり、土地の名主土屋蔵介に遺品の「手鏡」を託したとされる。  そしてその場所を、だれいうとなく「人声坂」or「限り坂」と呼ぶようになった。

Minowa12

○箕輪城
 1500年頃長野業尚が築城、1566年9月29日武田勢攻撃で落城。 武田信玄は箕輪城攻略に10年要した。

Minowa13

Minowashiro22

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グンマの昔:湯の小屋温泉

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○洞元湖温泉(湯ノ小屋温泉)
 藤原郷(日野里)は、文治建久の頃陸奥平泉の藤原氏一族が隠棲したところ、伝統的に美人が多いとされる。

※葦の湯・河原湯・六一九三-一湯・尾瀬の湯・六一三七の湯・六二九一の湯・六二四三の湯、がある。
※脳病・皮膚病・胃腸病・リウマチス、に効くとされた。

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○湯ノ小屋薬師
 十二の薬師様があったので、「十二薬師」とよばれた。 手に釘を刺すのは「祈り釘」と思われる。

※湯ノ小屋奥には金山(カネヤマザワとキノコイワ)があった。

Yunokoya31c

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グンマの昔:伊香保ケーブル鉄道

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○伊香保ケーブル鉄道(関東鋼索鉄道株式会社)
 1929年伊香保~ヤセオネ峠間に施設開業、1934年伊香保ケーブル鉄道に改称、戦時中は撤去されたが再建したものの、1966年廃止。(傾斜長2090mは当時最長)

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Ikaho52b

Ikaho53b

Ikaho55b

※左側の駅舎は1947年カスリーン台風で流失。

Ikaho56b

○ヤセオネ駅
 伊香保神社から峠まで約5kmの道は急峻な山道が続き馬でさえ「骨まで痩せる」といわれたところから「ヤセホネ→ヤセオネ」になったといわれている。

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グンマの昔:朝見ずの橋

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○朝見ずの橋(板鼻宿)
 泊まった人が翌朝姿を見せたことがない、といわれた。

 奥州へ向かっていた義経一行が橋を渡り宿をもとめた。 宿の主人は伊勢国大神宮の神主義連の子三郎と名乗り家来にしてくれ申し出たので、義盛と名乗らせた。 その後、義盛りは義経の片腕となって多くの手柄をたてたと伝えられている。

○朝見ず橋
 その昔、三郎義盛が軍資金稼ぎのため、宮道旅人を泊めては殺害し金品を奪っていたので、「ゆうべあの橋を渡って屋敷に入った旅人が、翌朝橋を戻るのを見たことがない」といわれた。..

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グンマの昔:お八重が淵

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○安中城(扇城)
 殿様に気に入られていた女中お八重を憎んだ女中仲間が殿の御膳にに針を入れ、これを見つけた殿はお八重の仕業と思い屋敷牢に入れた。 そして、蛇や百足と一緒に大瓶に入れて九十九川に流した。 これを嘆き悲しんだ母が胡麻の種を淵の上に蒔いた。 やがて春には胡麻の花が咲いたが、みな逆さに花をつけていた。 そしてはこの淵を「お八重が淵」とよぶようになった。

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グンマの昔:お市姫

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○お市姫(松井田)
 坂本城が敵方に攻められ、お市と家来は城から逃げ延び、霧積・川浦山の洞窟で一夜を過ごした。 翌朝、霧積川方向から軍勢が来るのを見て、これまでと家来ともども自害した。
 かくして川浦山洞窟にいる多くのコウモリは、お市と家来達が身内を探しているといわれている。  

※軍勢は味方だったとの説もある 

Matsuida_oichi11c


Kuniyoshi_koumori

○八ッ当りどふけかふもり
 歌川国芳、天保十四年(1843年)~弘化四年(1847 年)頃。
 助六・蝙蝠の芝居。
※古くは、蝙蝠は福に通じるとして吉祥..

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グンマの昔:朝日長者

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○朝日長者(松井田町・あるなし塚)
 ある昔、下増田姥堂に長者が住み贅沢な暮らしをしていた。 この長者は金を儲けることには抜け目なくかった。 やがて、松井田城に安中忠政軍・武田信玄軍・武田勝頼軍が攻め入り、長者は古墳の中に有り金全部を隠した。
 そして、 「朝日さし夕日かがやく姥堂の あるなし塚のそのあたり 黄金千枚漆千ばい」と謎絵図も残した。

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☆ロストダッチマン金鉱
 アリゾナ州スーパーステスション山地のどこかに眠るといわれるロストダッチマン金鉱。 その手掛かり..

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グンマの昔:権田栗毛

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○権田栗毛・倉淵権田村
 熊谷次郎直実が上野国権田に名馬がいると聞き、権田村小池市助より栗毛馬を手に入れた。 熊谷次郎直実はこの馬に乗り数々の手柄をたてたが、ある時馬が傷ついてしまったので権田村へ帰すこととした。 
 栗毛馬が権田村に帰ったときには、市助の家は無くなっていた。 「名馬を出すと三代で家が絶える」と言われていた。
 悲しんだ栗毛馬は力つき、三ノ倉土城谷戸で逆さ水を飲み息絶えた。 このとき。馬の背にくくりつけられていた母衣から金の観音像がこぼれ落ち、「お母衣大明神」..

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グンマの昔:浅間坊主

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○浅間坊主・倉淵村
 矢筈山(1767m)は「川浦富士」・「浅間隠山」ともよばれている。 天明年間、矢筈山山頂に坊主が住み着き、托鉢なし・仕事なし・大男・恐ろしい・いかにも怪しい僧であった。 ある時、この「浅間坊主」が村人達に近づくと、矢筈山山頂の小屋に連れていった。 そこで坊主は、なんと酒で村人をもてなし、この話を聞いた村人達が坊主に会いに来るようになった。
 またこの浅間坊主は予言もよく当たり、それに恐れた村人達はついには坊主を殺してしまった。

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グンマの昔:浅間山

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○天明三年(1783年)7月8日午前10時頃、三ヶ月ほど前から活動を続けてきた浅間山が大爆発を起こした。 有史最大の大噴火であり、溶岩流は60km/h以上の速さで北へ流れ、土石流は嬬恋村・長野原町を壊滅し、吾妻川・利根川へと流れ込んだ。(現在の前橋市から玉村町付近まで被害が及んだ) 

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☆浅間山
 江戸時代に四十四回噴火したと記録されている。

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グンマの昔:麦播ゴジンジ

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○麦播ゴジンジ・那波の神事(玉村町・火雷神社)
 境内四方に注連縄を張り、中に入ることなく十三日間静かにすごす。 ことの起こりは862年冬近く、この地に黒雲・暴風・天地鼓動・大雪など異変か起こり、困り果てた郡司が朝廷にお願いし、僧正と武士が火雷神社で祈ること七日目、武士が現れた妖怪の首を切り落とした。 
 こうして毎年火雷神社で御神事が行われるようになり、季節は麦巻きだったので「麦播きゴシンジ」と呼ばれた。
 妖怪を退治した武士は「那波八郎」と名乗るようになり、八郎神社に祀られ..

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グンマの昔:かんむり石

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○かんむり石(磯部)
 昔、日本武尊が東国を回ったおり、石に腰かけ・冠を置いた。 その石が、「腰掛石」と「かんむり石」と言われる。 

☆腰掛岩
 古くは神聖な祭壇であったが、時代と共に信仰が減退して石に腰掛けたり・踏んだりする者が現れたので、「貴人や武将が腰掛けた石」と称して坐ることを戒めた。

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グンマの昔:じじばば石

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○じじばば石・箕郷
 箕輪城主長野氏が本曲輪築山に据えた夫婦岩であったのが、城主代々受け継がれてきたとされる。  そしては、箕輪城落城のおり攻め入る武田軍に火の玉攻撃をしたとされる。
 次の城主・井伊直政は。高崎城へ運び込もうとしたが、箕輪・青木の里で夜を過ごしているうちに、勝手に城の本曲輪に戻っていた。


○じじばば石
 箕輪城がまさに落城という時、攻める武田軍の頭上に大きな火の玉が二 つ火炎を引いて飛びかかり、武田軍勢を釘付けにした。 やがて城主自刃 とともに火の玉は飛び去り、..

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グンマの昔:おびんずるさま

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○おびんずるさま・安中市鷺宮
 石橋を通りかかると落馬するというので調べてみると、石の下に三体の仏像が彫られていた。 そこで、道端に建て直して祀ることとした。 かくして、道を守ってくれる仏様・手足の病気・どんな病気、も治す仏様といわれるようになった。

※「おびんずるさま」は釈迦弟子の「びんずる尊者」であり、「ボロを引きずっている仏様」ともいわれる。 また着物を引きずっているひとを「おびんずるさま」ということがある。

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グンマの昔:しゃべり石

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○しゃべり石(大道・囀石部落)
 敵を探していたら、石が敵討ちの相手の居場所を教えてくれた。  ある時、北越人が太刀で岩を斬ったところ、喋らなくなった。 また斬られた石は蟻川まで飛び「割石」なった。

「転寝はまた陸言をしゃべり石 浮世をたえし河と岩本」

「岩根ごしこの立草のかき葉をも 神の力ぞことわりの石」

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グンマの昔:岩櫃城

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○岩櫃城
 岩櫃城主吾妻太郎行盛は榛名山目指して落ちのび、吾妻川原の立石にて切腹し自らの首を投げた。その首は吾妻川対岸の川戸に届き夜な夜な怪しい光を放ったとされる。そこで村人たちは、この首を宮平の地に葬り祠を建て(首の宮)、胴体を矢倉鳥頭神社に祭った。

※立石は天明の浅間山噴火で流失した。

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グンマの昔:竜源寺(前橋)

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○竜源寺
 竜仙和尚が、悪さをするムジナを戒めた伝説がある。  また赤城小沼の竜が夫婦で座禅に来て、「春竜上座」・「春香大姉」なる法名を与えられたともいわれる。

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グンマの昔:沢渡温泉

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沢渡  
 この地は、菅ノ沢・大沢・砥沢・楢の沢・白石沢・権現沢、など沢が多かったので沢渡とよばれるようになったらしい。

 温泉の由来は、
①湯原が繁昌していたころ、湯元主人に恨みを持った女中「とり」が損馬の骨を源泉に投げ入れたため、湯原の湯が沢渡へ移った。
②湯原の繁昌で待遇が悪くなった女中が損馬の骨を源泉に投げ入れたため、湯原の湯が沢渡へ移った。

 ともいわれ祟りを恐れた沢渡では、正月十四日に「鳥追い」をするようになった。

※沢渡温泉には、ヌル湯・熱ノ湯・メノ湯・ナラシ・瀧ノ..

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グンマの昔:星穴岳

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○星穴岳
 ある昔、中木の山猿谷に長者がおり、その一人娘が二人の若者から婿を決めかねていた。 そこで長者は、二人の若者に言った「あの岩山に登り、大きな穴を開けた者を婿にする」
 その結果は写真のとおり。

※写真を見てもよく解らない

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グンマの昔:竜柱

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○竜柱(境町)
 昔、ある大工が神殿建築を頼まれ、上等式目前にして向拝柱を短く切ってしまい・余分な材木も無く・困り果てて家に帰った。 この話を聞いた妻「おりゅう」が、木を組み合わせ・積み上げ・高さを増す「組み物」を教えたので、立派な柱となり神殿が完成した。 それどころか柱が広く知られ評判となった。 ところが、妻に教えられた事がバレるのを恐れた大工は「おりゅう」を殺してしまった。 後悔遅く、悔やみきれない大工は必ず「竜柱」を建て、亡き「おりゅう」を祀るようになった。 これが「竜..

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グンマの昔:軍配山

Gunbaiyama

○軍配山と神流川合戦
 1582年、厩橋城主滝川一益が三千余騎の軍勢を従え玉村町角淵まで来ると、小山(古墳)に登り敵の様子をうかがうと軍配をかざし・神流川へ向けて進軍した。
 こうして神流川金久保河原(現上里町)にて合戦がはじまり、初戦は一益軍が勝ったが、第二回戦で北条軍に破れ厩橋城へと逃げ帰った。  

神流町 について

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Umayabashi61

厩橋城跡(左岸)・石倉城跡(右岸)

YAMADA

グンマの昔:錦野の里(現玉村町)

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 天慶年間、沼田の庄を治めていた地頭に美しい娘がおり、錦野の里の若者と恋に落ちた。 一方、土豪の中には地頭の娘を平将門に差し出そうという動きがあった。  そこで地頭は娘を若者のもとへ逃がした。 土豪の追手に追いつめられた娘は矢川に身を投げ・若者も続いた。  その後、夜な夜な矢川に二つの光玉が現れたので、村人たちは玉を拾い上げ「龍神」として祀った。(これが近戸大明神)
 そしてある年、利根川が大洪水となり、濁流に竜神が現れ、玉の一つを持ち去った。(1360年頃) 残った玉は、玉竜..

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グンマの昔:中島飛行機

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○太田製作所

 その他に、亀岡工場・伊勢崎工場・桐生工場・足利工場・本庄工場・田沼工場があった。(1945年頃)

中島飛行機 について

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小泉製作所

Nakajima_33

Nakajima_31

AT-2 旅客輸送機

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中島倶楽部

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ラビットスクーター試作1号車(1946年)


Usei_nakajima5a☆中島式5型機

Usei_nakajima5b

Usei_nakajiman36☆中島式N36型水陸交替機

Usei_nakajimap1☆中島式P1型輸送機

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グンマの昔:亀の子石

Annaka_kamenoko

○亀の子石
 高崎・下室田中町滑川の大石を「亀の子石」とよび、大水ごとに上へ上へと移動したとされ、いつしか「霊亀石」とよばれるようになった。

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グンマの昔:飛行機研究所

Nakajima_511917年5月、中島知久平「飛行機研究所」創業。

(中島飛行機)

Nakajima_32四型6号機

Nakajima_53軽銀号(B-6型機)

Nakajima_54九一式戦闘機

Nakajima_55神風号

Nakajima_56九〇式艦上戦闘機・三型

Nakajima_57100式重爆撃機・呑竜(1941年)

Nakajima_58二式戦闘機・鍾馗

Nakajima_59四式戦闘機・疾風

Nakajima_38特殊攻撃機・剣

Nakajima_39超重爆撃機・富嶽(1943年)

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グンマの昔:子持神社

Komochojinjya69

○子持神社(子持村中郷子持山)
 人皇五十二代嵯峨帝時代の創建とされ、祭神は木之花佐久夜毘売命、産婦の守護神であった。 伝承も多い。  

明治天皇の義母が安産を祈願したとされる。  
日本武尊が東国遠征のおり、連れの妃がお産をした。  
本殿が燃えたとき、子持様が女神となり乳のみ子を抱いたまま社殿から出た。(女神の足跡として残っている)

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グンマの昔:赤堀道元

Isesaki_dougen12

赤堀道元の妻(伊勢崎)
 赤堀村領主赤堀道元の先祖俵藤太藤原秀郷は、近江国三上山で大ムカデを退治した。 その道元の妻が赤城大明神を参拝し赤城山へと向かい小沼の畔に来ると、水面が高く吹きあがり大ムカデが現れ、妻を沼に引き入れてしまった。 そして「祖先が亡きものとした大ムカデの祟りである。これからは沼の主となる。」と言い残し大蛇となり沼に消えた。 これ以来、赤堀姓を名乗る者は赤城大明神に参詣してはいけないとされる。
※妻ではなくて娘との説もある。
※竜神を見ることができるのは赤堀家..

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グンマの昔:厩橋

Gunma_obiki

○厩橋(前橋)
 太田道灌は赤亀が尾を引きながら歩くのを見て、城の守護神として祀 り・赤亀稲荷を建てた。(後に尾稲荷として移社) 赤亀が端気川から上がってきた所が赤亀橋。
 1567年、北条三万余+武田二万余の軍勢が厩橋を攻め立てた時、手に手に松明をを持った大軍勢が現れ上杉方は城を守った。 その軍勢こそ、城に住むタヌキ達であった。

(尾引稲荷)

Umayabashi36

厩橋1988年

Shiro_umayabashi1○上州厩橋城

Gunma_obikic

Umayabashi36c


☆松明かし(まつあかし)
 古くは、松の木や根を細く割って燃やしあかしとした。 ..

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グンマの昔:片目の鰻

Isesaki_dougen16

○目っこ池と大弓湾(伊勢崎茂呂羽黒原)
 「丸池」の鮒はみな片目であったので「目っこ池」と呼ばれていた。  鎌倉権五郎が奥州清原氏と戦ったとき、敵の鳥海弥三郎に右目を射られた。 矢を抜いた権五郎が茂呂の丸池で目を洗ったので、池の鮒はみな片目になってしまった。 
 このときの矢を祀ったのが木崎・矢抜き神社、池が目っこ池となった。  目を治すとき世話になった家の娘が、形見の大弓を抱いて広瀬川に身を投げた。 その場所を大弓湾と呼び、祀ったお堂を大久庵と呼んだ。

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グンマの昔:お艶が岩

Gunma_oengaiwa

○お艶が岩(前橋):色々な説がある。
①昔、お艶が好きな人に会えなくなったのを悲しんで、岩の上から利根の濁流に身を投げた。
②大阪城落城のおり、総社城主秋元長朝により連れてこられた淀君が世をはかなんで岩の上から身を投げた。
③秋元長朝が、意のままにならない淀君を蛇と一緒に瓶に入れて利根川に沈めた。 男子の跡継ぎがいないのはこの祟りといわれている。
※淀君については、多くの話が残されている。(淀君の墓・元景寺)

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グンマの昔:榛名町

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 1955年2月、室田町と里見村が合併して榛名町誕生、3月久留馬村編入。

※室田町役場・後に榛名会館

Haruna12

里見村役場・後に南公民館

Haruna13

久留馬村役場・後に東公民館

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グンマの昔:甘酒ばあさん

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○甘酒ばあさん(境町)
 新田義貞の軍勢がこの地で休憩をしていると、一人のお婆さんが甘酒をふるまった。 しかしその最中、大館宗氏の馬に蹴られて死んでしまった。 将兵らは手厚く葬り、鎌倉目指して進軍した。
 やがて、お婆さんは石となり「姥石」とよばれるようになり、そしては「甘酒ばあさん」となり子供の病気を治してくれる仏様として拝まれるようになった。

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グンマの昔:天幕城の千鳥姫

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○天幕城の千鳥姫
 磯村・天幕城主海野丹後守の娘千鳥姫の元に毎夜若者が忍んできた。 見張り厳しい城内に入る若者を不審に思った母親が、男の着物の裾に糸のついた針をさすよう、お付きの者にに告げた。
 翌朝糸をたどると、沢川・粕川・五目牛堂山へと続き、祠の中へ入った。  そこには息もたえだえの大蛇がおり「姫に私の子供が宿っているから安心だ」と言って息絶えた。
 城に戻った共の話を聞いた母君は、姫に菖蒲酒を飲まし、たくさんの小蛇を下し、蛇の難から逃れた。

Tenmakushiro

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グンマの昔:血の池

Gunma_akagijizou

○血の池
 昔、赤城山地蔵ヶ岳の頂上には立派な社があり、地蔵追分の近くに物売りをしている老夫婦と娘がいた。 娘は器量良しだったので言い寄る若者が多く、困った娘は「水の無いこの地に井戸を掘ってくれたら結婚する」と告げた。
 すると、二人の若者が争って井戸を掘り始めたが、どこからも水は出なかった。 それでも、若者は血を吐きながらも掘り続け、ついに井戸から水が湧きだした。 これを聞いた娘は「約束だから」と言いつつ井戸に身を投げた。 そして、若者も後に続いた。 井戸の水は真っ赤に染ま..

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グンマの昔:商都高崎

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Takasaki_33

Takasaki_37

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グンマの昔:勾当内侍と花見塚

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○勾当内侍と花見塚(つつじ岡公園)
 延元年代、新田義貞が中納言藤原行房卿の妹・勾当内侍に一目惚れし妻に賜った。  藤島の戦いで、義貞が足利高経に討たれたと聞いた内侍は嘆き悲しみ、都にさらされた義貞の首級を盗み上野国へ逃げ剃髪し儀源比丘尼と称し余生を送った。 上野国では、台之郷・武蔵島・江田・高林・別所、など移り住んだとされる。
 武蔵島に住んでいた時は、ツツジの花を好み・柊を植え楽しんだので「花見塚・柊塚」とよばれた。 館林城主榊原中次が、この内侍遺愛のツツジを館林城沼の畔..

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グンマの昔:毒島城

Isesake_busujima1

○毒島城(赤堀今井)
 沼の中にある毒島城を攻めようと、三千の敵軍が沼東方より攻め入った。  すると島が西へ動いた。 それで西から攻め入ると、今度は東へ動いた。  島は沼の主の大蛇が動かしていたのだった。  そこで、沼の周りに生えているブス(トリカブト)を石臼で砕き沼に投げ込み、大蛇ほ殺し城を攻め落とした。
※沼の主は大亀だったとの説もある。

(毒島城跡)

Isesake_busujima2

○毒島城(蛇体合戦)
 毒島城(城主青木入道)へ赤石・三浦謙庭が三千騎の軍勢で攻め入るも、沼の中の毒島城は東へ・西へと移動し..

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グンマの昔:タヌキ石

Isesaki_tanuki1

○タヌキ石(境町東新井)
 雪の降る寒い夜、一匹の子狸がやってきて・囲炉裏の焼き餅をじっと見つめていた。 おばあさんが「これ食べな」と焼き餅をやると、小狸はうまそうに食べて帰っていった。 そしてその日から毎晩やっきては焼き餅をたべ・遊んで、帰るようになった。 ある夜、イタズラ心に熱い焼き餅をあげたところ、子狸はビックリして逃げていった。 翌朝、裏の流しだめに子狸が死んでいた。
 「かわいそうたことをした」と子狸を葬ったおばあさんは、小さな宮を作り・焼き餅形の石を供えた。

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グンマの昔:長手のため池

Gunma_nagate

Gunma_nagatec

○太田・長手の幽霊
 ある昔、長手の溜池に幽霊が出るとの噂が広まり、強者どもが正体を見届けようと出かたが皆逃げ帰ってしまった。 村はずれにおっかさんと住んでいた天真爛漫男が「捕まえておっかさんにみせてやるべぇ」と溜池へ出かけていった。
 はたして真夜中過ぎ、さざ波をたて振り髪姿の娘が現れた。 男が娘を連れて帰ろうとするとイヤがる娘は、「私は小判です。新田義貞の家来がヨシの根本に千両箱を埋めた後討ち死にしました。この三千両は世の中に出て使って欲しいのです。」と言いました。  こ..

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グンマの昔:妙参寺

Gunma_myousan

○妙参寺沼
 大尽が嫁を迎えてお披露目の最中、嫁の足袋が擦れる音をオナラと姑がいびったのを、悔しく思った嫁は耐えられずに沼に身を投げてしまった。 これを知った姑は、沼の傍らに小さな寺を建てた。 これが妙参寺と妙参寺沼である。

(妙参寺沼)


★屁をひる穴のすぐ隣が「へへ」

Gunma_myousan2

(妙参寺)


○屁宝
 寺で説法中、一人の婆さまが大きな屁を放った。
婆:やだよぉ、行儀の悪い。 まったくこの嫁は。
和尚:へは屁宝なり、縁起の良いもの。 迦陵頻伽の響き・伽羅抹香の香り・あみだ様の供養..

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グンマの昔:藤岡

Gunma_fujioka5

 上州藤岡は、西毛地域の絹集散地として絹市で栄えた。 そのため絹の売買・流通に関わる商人が集まり、江戸や遠く京都の影響を受けた文化となった。

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グンマの昔:黒保根

Kurohone21

○黒保根村役場1953年(現黒保根支所)

黒保根 について

Kurohone21c

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グンマの昔:でんぐり薬師

Dekkurijizo11

○でんぐり薬師・間違い地蔵・角地蔵(大間々)
 天正七年城主阿久沢能登守が戦い、桐生の援軍と同士討ちとなった霊を慰めるため宝暦二年に一丈二尺の石地蔵を建立した。 頼まれた石屋が寸法を間違えて夜逃げした・代金を払わないので頭を作らなかった、などの説がある。

他にも、猫地蔵(長尾根)・霜除観音・柿薬師・猫地蔵・子育正観音(コーモリ様)、などある。

薬師 について

Nekojizou11

○猫地蔵・猫供養(長尾根・金子家)

Dekkurijizo11c

Nekojizou11c

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グンマの昔:綾戸穴道

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○綾戸穴道
 沼田街道(東通り)は参勤交代路だったので「とのさまみち」とよばれた。 この道は標高が高く上り下りが多く・積雪量も多かった。  このため西側の脇道が利用されたが、只一箇所「七曲り・十八坂(綾戸渓谷)」なる難所があった。
 江戸時代も末、人馬の往来が盛んになるとともに難所を避けて児子岩を切り開いて道をつくろうという動きがあったが、それならいっそ「トンネルを造ろう」という人が現れた。

Ayato18

左:綾戸隧道、右:綾戸穴道。(1929年)

 子持村から渋川・高崎方面へ抜けれるよう、金剛院..

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グンマの昔:前橋城

Marbashi_shiro

○前橋城
 1767年、松平氏の川越移城により前橋城の衰退がはじまり・天明の大飢饉もあり寂れる一方だった。  そこで前橋領民は領民献金を集め、藩主松平斉典に帰城を願いでた。 こうして前橋城は再築城され、元治元年川越城から前橋城への大移動がはじまり慶応三年には城主を迎えた。 でも四年後、廃城となった。

※松平氏か前橋から川越へ移城した直接のきっかけは、明和四年の大火ともいわれている。

Maebashijyou2

Maebashi18

Maebashi_shiro35

Maebashi_shiroato

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グンマの昔:おばけ桜

Gunma_obakesakura

○おばけ桜
 笠懸野に伊助とうめ夫婦が住み着いたが、村では他所扱いされていた。 ある冬、伊助は出稼ぎにいったまま帰らず、食べ物に困ったうめ親子は村人に仕事を求めたが冷たく扱われ、とうとう伊助が掘った井戸に親子で身を投げてしまった。  しばらくして、井戸近くの山桜下に子連れの幽霊が出・村には悪いことが次々と起き・干ばつが続いた。 これに恐れをなした村人たちは、清泉寺裏の桜の木の根元に供養塔を建てた。


Saikaku_yurei

☆幽霊の足
 円山応挙が、女の幽霊を描いた際、足を省略したのがはじまりといわれ..

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グンマの昔:ブルノ・タウト

Taut1

○ブルノ・タウト
 1934年、亡命してきた建築家ブルノ・タウトが少林山達磨寺の洗心亭に住みはじめた。

Taut2

洗心亭

Senshintei22

Senshintei22c

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グンマの昔:焼饅頭屋

Gunma_yakimanjyu

○焼饅頭屋

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グンマの昔:人形芝居

Gunma_ningyou

○人形芝居

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グンマの昔:山中竜

Gunma_sancyuu

 中里村瀬林・八幡沢から発見された恐竜椎骨化石(ガリミムス・プラタス)

恐竜 について

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グンマの昔:瓦版売り

Gunma_kawara

○瓦版売り


☆瓦版
 最初は「読売」・「絵双紙」などとよばれた。 木版の代わりに瓦に文字を彫り印刷したとされるが、実際に瓦に文字を彫ることは不可能。
※京都四条河原での興行を刷ったので「河原版」、木版印刷としてはお粗末だったので「瓦版」、などの説もある

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グンマの昔:マックス

Plus21

○マックスの鉛筆削り
 ホッチキスで有名な「マックス株式会社」は、昭和17年11月群馬県高崎市東町80番地に山田航空工業株式会社を設立。 昭和20年9月「山田興業株式会社」と商号変更し、ホッチキスの生産を開始した。

Plus61

○鉛筆削り器
 1950年山田興業(後にマックス株式会社)が長井精機製作所(高崎高砂町)に切削刃を求め、1955年マックス工業から売り出された。 その後「子供に刃物を持たせるな」との風潮で爆発的に売れたが、1957年「三菱シャープナー」を売り出した三菱鉛筆の大資本には..

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グンマの昔:ところてん売り

Gunma_tokoroten

○心太売り 

※グンマの一部では、ところてんを一本箸で食べる風習があったらしい。(盆などの精進料理とされたらしい)

横線540透明

Tokoroten

☆ところてん
 テングサが「凝藻葉(こるもは)」とよばれることから、こころぶと→こころてい→ところてい→ところてん、となったといわれる。

※「こころぶと」に漢字を当てはめたのが「心太」、なので「こころぶと」と読むのが正しい読み方。
※関東は砂糖・酢醤油、関西は黒蜜が多かった。
※京阪では心太を晒したものを水飩とよんだらしい。

☆「野明亭 清滝の水汲よせてところてん..

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グンマの昔:長寿笠松

Gunma_choujyu

○亜左美の長寿傘松
 亜左美村名主赤石長右衛門の末っ子が風邪をこじらせ死んでしまった。 嘆き悲しんだ笠松は子供の墓に松を植えたところ、やがてはお墓全体を覆うほどおおきくなり、「赤石家を守る長寿笠松」と呼ばれるようになった。

Gunma_choujyuc

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グンマの昔:がまの油売り

Gunma_gama

○がまの油売り

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グンマの昔:連山

Renzan21

○連山

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グンマの昔:宵の山本・明けの山本

Yamamoto23

《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着..

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グンマの昔:甘酒売り

Gunma_amasake

○あま酒売り

※甘酒、江戸時代以前は「醴」。

Amasakeuri81

☆酒
 酒を飲んで栄え楽しむので、栄え→サカエ→サケ になったとの説もある。
※冷やしたり・温めたり、火加減が大切なので、火偏に間で「燗」。

☆急須
 「呉人呼暖酒器為急須、急須者以是応急而用也」、中国で酒を暖めるものであった。

☆甘酒
 日本書紀巻第十・応神天皇十九年冬十月「醴酒」が源といわれる。

Amazake88甘酒売り

Meiji_amazake

Amazake_meiji明治時代

Amazake_morisada

☆守貞漫稿
 喜田川守貞(季荘)が著した近世風俗書。稿本のまま残され江戸時代には刊行されなかっ..

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グンマの昔:そうげんぼう

Sougenbou

○そうげんぼう(カマツカ・鎌柄)
 高崎・烏川で穫れた。 その他、あゆ・こい・ふな・くき・がらっぱや・おばさんばや・せいたんぼう・ぎゅうた・うなぎ・なまず・ぎのめどじょう、などいた。

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グンマの昔:伊香保温泉道中絵巻

Gunma_ikaho

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グンマの昔:錦絵売り

Gunma_nishiki

○錦絵売り

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グンマの昔:はみがき膏売り

Gunma_hamigaki

○はみがき膏売り
 歯磨き売りがコマを回して人々を引き付けている。

Mitsuwa_sekken86

ミツワ練歯磨・ミツワ練石鹸(1930年代)

Edotokyo_mitsuwaミツワ石鹸

☆石鹸
 明治五年国産石鹸。 餅かと、網で焼く者・鍋で煮る者、乾燥牛乳かと食べる者あり。

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グンマの昔:じんだんぼう

Jindanbou21

○ぢんだんぼう
 独楽の一種、桧の木でつくり・「しっぺ」で回した。 両端が尖った「つむじんだんぼう」というのもある。

Jindanbou22

横線540

○グンマ子供の遊び用言集
おたまとり→お手玉
かくねげしょ→かくれんぼ
かけりっこ→かけっこ
きしゃごっこ→おはじき遊び
しんごすもう→ケンケン相撲
せんとぴーたー→カードゲーム軍国版(※現段階では詳細不明)
たま→ビー玉
ちっか→じゃんけん
ちっかきゅ→じゃんけんぽん・あいこでしょ
ぢんだんぼう→独楽の一種、桧の枝で作り「しっぺ」で廻す
つむじんだん..

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グンマの昔:だるま売り

Gunma_daruma

○だるま売り

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グンマの昔:谷地の磨崖仏

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○磨崖仏(川場村谷地)
 観音磨崖など34
基・弁財天磨崖が揃っている。 秩父路を巡拝できない村人のために、まとめて一回で巡礼できるようにと作られたらしい。

※グンマには、自然の岩面に刻まれた磨崖仏が30体以上あるといわれている。

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グンマの昔:水牢

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○水牢(中之条町横尾字桃瀬ほか東毛に多い)
 江戸時代年貢米を滞納した者を寒中水の中に入れた(本人ではなくて家族を入れた)とされ、沼田城主真田伊賀守信利が利用したのが有名だそうだ。 水牢で死ぬ者も多く、数々の伝説・伝承が残っている。

Mizurou

(東村)

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グンマの昔:吾妻七つ岩

Nanatsuiwa21

○産岩・生岩
 赤子に乳をやっていた母親が、落ちてきた大石の下敷きになって二人とも死んだ。
○囀岩
 いろいろなことをしゃべったが、ある時、旅の剣術修行者が太刀でこの石を二つに切ってからしゃべらなくなった。 切られた一片は、中之条蟻川に落ち割石とよばれ・鹿島明神として祀られている。
○割り岩
○立岩
○亀岩
○箕岩
○七尋岩
※うぶ岩は、昭和村橡久保・中之条町五反田・沼田氏新田上、にもある。(伝説はみな異なる)
※しゃべり岩は、高山村中山・中之条町大道新田・月夜野町石倉、に..

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グンマの昔:磨崖

Magai23

○磨崖・大梨子(新里村関)
 千手観音・不動明王・地蔵菩薩が彫られ、享和年間の作とされる。


☆千手観音
 千手観音の手は両手+左右40本で、1000本はない。 それは、一つの手で二十五有世界の人々を救えるから、40本あれば40×25=1000だ。

※古くは、シラミのことを千手観音といった

★千手観音が手品をしたら…

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グンマの昔:酒暖計

Syudankei1

○酒暖計
 「酒暖計」・「験液器」などとよばれ、酒の発酵状況を知るために使われた。 液体の比重を計るための浮き秤のことであり、比重計と温度計が一体化され・比重目盛りと温度目盛りが刻んである「ホクトメートル」というのもあった。

※大滝金次郎商店(時計商・本町二丁目)で売っていた。

Sakedankei

*武雄市図書館・歴史資料館

Sakedankei2

Sakedankei3


Santoukei88

※蚕室の温度を測る「蚕当計」というものもあったらしい。

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グンマの昔:顔切り地蔵

Kubinashijizou11

○顔切り地蔵(金古宿・金剛寺)
 佐渡金山の輸送路であったため、江戸時代は夜盗が多かった。 その中にむささび太夫がいた。 ある夜、村娘を追いかけていたむささび太夫が法師ケ池までくると、向こう岸に沐浴している美女を見た。 そして飛びかかると「ぎゃあ」。 それはと石のようにかたく・水のようにつめたかった。 やっとのことで大太刀で切りつけ逃げた。
 翌朝、村人が池端で血が飛び散っているのを見つけ、あとをたどっていくと金剛時境内り石仏薬師の顔が切り落とされ、むささび太夫が死んでいた。..

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グンマの昔:磨墨岩

Magai21

○線彫像・磨墨岩(榛名山磨墨峠)
 「するす岩」とよばれる。

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グンマの昔:弘法のツメ彫り不動

Magai25

○赤城寺・三夜沢(宮城村鼻ヶ石)
 弘法のツメ彫り不動。 「弘法の爪彫り」はグンマ各地にみられる。

Magai25c

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グンマの昔:氷餅

Gunma_koorimochi

○氷餅
 三が日と七日に縄で十文字に縛った餅を井戸に浸してから柄杓で水を汲んだ。(若水汲み)  この餅を年神棚につるし、六月一日に食べた。 凍餅は、マムシ除け・疫病除け・蜂除け・眼病除けともされた。

○六月一日
 「氷の朔日」といい、氷餅やあられを食べて祝った。 宮中で群臣に氷室の氷を賜った古例、そしては江戸幕府の「氷室の祝」にならったものといわれる。

☆氷室開き
 六月朔日は氷室開き。
※「雪は犬の伯母」といわれた。

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グンマの昔:於菊稲荷神社

Okikuinari51

○於菊稲荷神社
 宝歴年間、新町宿大黒屋に於菊という売れっ子娼奴がいた。 あるとき病にかかり見捨てられた於菊を、町人達が神社裏に小屋を建て・看病した。 三年が経ち、ある夜半稲荷の霊が現れ於菊は全快した。 これに感動した於菊は社にこもり・一生涯を身明奉仕に捧げたとされる。

※於菊稲荷濫觴記

Okikuinari61

於菊稲荷絵馬

☆多野郡新町の於菊稲荷、大黒屋の遊女お菊を併祀った。 霊験高く一円の信仰を集めた。 絵馬には「向い白狐」もあった。
※絵馬、古くは二枚一組だったらしい


Kuniyoshi_inari

○初牛祭
 歌川..

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グンマの昔:女堀

Onnabori22

○女堀(赤堀・東村)
 昔、尼将軍がこの地を豊かにしようと、赤城山麓ま利根川から用水堀をひこうと考えた。 そして、いく千人もの女陣をそろえ・簪で堀はじめた。  しかし西国定まで来ると夜が明け用水路はそこまでとなった。

※尼将軍については、桜姫とも北条政子ともいわれることがある。

女堀 について

Isesaki_onnabori1

赤堀町下触(しょうぶ園)

Isesaki_onnabori2

国定独古田

Isesaki_onnabori3

Onnabori29

※用水路や田圃を「おうな」とよんだので、これが訛って「おんな」となったとの説もある。

Onnabori38

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グンマの昔:鹿沢温泉

Kazawaonsen

○鹿沢の湯
 白雉元年頃、貞保親王なる者が眼疾でなかなか治らないでいると「信濃国浅間山裏にある温泉で眼を洗え」と夢の中でお告げをうけた。 そして現地におもむき沸々と湧く湯を見つけた。 これが「鹿沢の湯」である。 病の治った親王は、近傍の弥津村に永住したとされる。
 また、鹿を追って狩人が深山に入ると、手負の鹿が湯に入り疵を治しているのを見て、「鹿沢の湯」と名付けたとの説もある。

Kazawa_s

鹿沢温泉(昭和初期)

○鹿沢温泉
 1918年鹿沢温泉で大火となりほとんどの旅館が焼けた、6km下流に..

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グンマの昔:四万の痔蒸湯

Shima31

○四万温泉
 グンマの温泉効能として痔疾とする所が多く、鳩の湯温泉・薬師温泉・谷川温泉・四万温泉(痔蒸湯)、などが有名であった。 特に、四万温泉は蒸気浴(痔風呂・痔蒸し)といわれ、入浴で体全体が温まったら穴の上に座り温泉の蒸気をあてるものであった。

Shima25

○四万温泉
 碓氷日向守定光(一説には足利義満の家臣塩谷日向守定光)が野宿した際、夢の中に童子が現れ「四万の病を治す温泉」を告げられた。 そこで、守り本尊の釈迦如来像を安置し「日向山薬師瑠璃光来」となづけ・「御夢想の湯」とよんだ..

YAMADA

グンマの昔:万座温泉

Manza_66

○万座温泉
 姥湯・熊四郎山の湯・錫湯・新苦湯・塩湯・苦湯・鈴湯・新錫湯・奥万座法性の湯・銅粉の湯・ラジウム北光線の湯・琥珀の湯・三昧の湯・鉄湯・甘苦湯・松の湯、がある。

横線540透明

Manzaonsen31

Manzaonsen32

Manza1910○万座温泉・1910年頃

Manza61c

横線540

Manza99

《グンマを話そう》
 ある昔、吾妻干俣の猟師が「熊駒」と「四郎」という犬二匹をつれ狩りをして岩窟で夜を過ごした。 すると夜中に犬がけたたましく吠え・止まることがなかった。 業を煮やした猟師は、山刀で犬の首を落としてしまった。 するとそ..

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グンマの昔:報恩の水道

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○報恩の水道・吾妻町堀切
 ある昔、一人の坊さんが薬師堂に宿をとった。 しかし旅の疲れがたたり、病気になってしまった。 これを知った村人は長らく看護・世話をし、やっとのことで回復した。
 坊さんは恩返しに、水に困っている村民のために、水路をひくことにした。 それは谷から山一つ堀抜くものであり、毎日毎日少しずつ掘り進めた。 やがて村中が手伝うようになり数ヶ月経ってやっと完成した。 そしては村中喜び・お祭りさわぎとなった、そして坊さんはどこかへいってしまった。

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グンマの昔:碓氷貞光

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○碓氷貞光・松井田町金剛寺
 都を追われた橘靭負充貞兼と賓頭廬姫の間に生まれた荒太郎(後に貞光)は、七歳にして両親を失いながらも武芸学問に優れ・怪力の持ち主でもあった。
 ある時村人に頼まれ、碓氷峠の大蛇退治に行き、太刀を振りかざして大蛇と戦っていると十一面観音が現れ鎌を授けたのでこれで大蛇を退治した。  村人は「十一面観音」そして「鎌明神」を祀り、碓氷山定光員金剛寺を開基した。 碓氷峠には貞光に因む事柄が多い。(貞光梨もある)
 また安政二年には、安中藩主板倉勝明侯が藩士の..

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グンマの昔:群馬県庁

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○群馬県庁
1871年10月28日第一次群馬誕生、11月19日旧高崎城で執務開始、1872年5月27日県庁前橋移転布告、1873年6月15日熊谷県発足し熊谷が県庁となる。 1876年8月21日第二次群馬県成立し県庁は高崎、1876年9月21日県仮庁前橋発令、1881年2月26日県庁前橋決定。

※前橋全町民あげての誘致運動であり、仮県庁移転は一日で終え・その後経済力ある前橋商人をはじめとする大口寄付金で諸施設を整備して実績をつくり、高崎を退けた。


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グンマの昔:仙人窟

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○仙人窟・吾妻町大戸
 1200年前、行基菩薩が洞窟で一夜の宿を取ると、仙人が現れ言った「ここには菩薩様はいるが、仏様がいない」。 そこで行基は観音様を刻み祭った。
 また、岩櫃城主真田信幸が兵を仙人窟に隠し、敵に不意打ちをかけたともいわれる。
 そして1624年松厳が大円寺を開き、後に潮音の弟子心月が十八羅漢を作ったとされる。

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☆仙人食
 胡麻・枸杞・松の葉・昆布・椎茸・柿・よもぎ・山イモ・

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グンマの昔:お釜神社

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○お釜神社・吾妻町原町
 昔は、吾妻太郎行盛が使った産湯の釜があった。 ある時盗人がこの釜を盗み持って逃げたが、途中で「ウォーン・ウォーン」と唸りだしたので捨てて逃げたといわれる。
※釜があった所が釜谷戸、捨てた所が保成といわれている。

※前橋室沢・八雲神社の石塔も「おかま様」と呼ばれ、安産・子授けの神様として信仰されている。 願かけは小石・願果たしは洗米とされている。

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★「おかま」は、「おなべ」の対義語

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グンマの昔:嵩山

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○タケ山
 グンマでは、タケとよばれる山が多くあり、信仰の対象ととなっている。

※天狗山の天狗が鶏の鳴き声を忌むといわれ、嵩山の麓では鶏を飼わないとしていた。

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グンマの昔:利根銀行

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○利根銀行・新治村
 1900年設立、1926年沼田商業銀行と合併、1930年群馬中央銀行に買収。

 グンマでは、1877年第三十九国立銀行が開業したのが最初、「国立銀行条例」に基くものであり後には群馬銀行となった。

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(WEB転載)

その後

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○上毛貯蔵銀行高崎支店
 1915年開業し日曜も営業、1933年高崎積善銀行・高崎銀行と合併して上州銀行、やがては群馬銀行となる。


○上州銀行(大正8年~現在)
 1915年9月「上毛貯蔵銀行」が本店を九蔵町に・本町・田町・あら..

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グンマの昔:尻高教会

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○名久多教会・吾妻郡高山村尻高106
 1887年県内最古の教会建築。  1881年カトリック信者の林寿太郎が尻高小学校に赴任したことから始まる。 1884年高崎に西群馬教会が創立された際有馬俊平が参列し、1887年教会堂新築が発議され9月30日に献堂式が挙行された。

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Nakuta名久多教会

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グンマの昔:堤ケ丘飛行場

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○堤ケ丘飛行場・堤ケ岡飛行場(旧群馬町)・前橋飛行場
 1943年起工、1944年開場、現高崎市棟高町・イオンモール。

※1934年10月16日、佐波群に坂東国際飛行場完成。

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グンマの昔:アプト式草津鉄道

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○幻のアプト式草津鉄道
 1963年碓氷新線開通にともないアプト式が廃止され設備が撤去された。 そこでこれらを再利用して、羽根尾~草津(全長9.8km)にアプト式鉄道を敷設しようと草津鉄道株式会社が発足した。 このため現地では、軌条・ラックレール・サードレールなどは再利用を考え丁寧に撤去された。
 これに対する国鉄高崎局の回答は「ダメ!」。 すべてが終わった…

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○幻の中山道線
 1871年、東海道線に先立ち中山道線が立案され、まず東京~高崎間が計画された。 その理由は、..

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グンマの昔:麺棒・メンバ板

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 うどんやそばを伸ばすときにつかった、餅を伸ばすときにも使った。

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グンマの昔:金山城址

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○金山城址・太田市
 標高239mの金山山頂の実城を中心に、四方に延びる尾根上を造成・曲輪とし、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城。 石垣や石敷きが多用されていることで、従来戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆されました。  主な曲輪群は実城・西城・北城(坂中・北曲輪)・八王子山の砦の4箇所ですが、山麓にも城主や家臣団の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していたと見られる。

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グンマの昔:電気製品

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村には、こんなものだってある…

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ラジオ

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テープレコーダー

レコーダー について

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グンマの昔:伊香保沼

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榛名湖

(伊香保志上巻、大槻文彦、みやま文庫109、1988年)

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伊香保沼(伊香保志)

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伊香保神社(伊香保志)

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グンマの昔:伊香保町中央石坂の景

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伊香保温泉石段

(伊香保志上巻、大槻文彦、みやま文庫109、1988年)


○伊香保温泉
 33年(垂仁天皇の御代)に発見されたとされる。ただし、たびたびの大火で記録・資料は消失している。

※「二歳忌み」:湯が止まった時に、二才の子供を人身御供したとされる。

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グンマの昔:電化

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村で見たもの…

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こんな物もあった…

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グンマの昔:玉の井

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○十一屋本店・中之条
 「中之条銘酒・玉の井」を売っていたらしいが詳細不明。

※十一屋酒店については「近江国から来た11人が始めた」との説もある…

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旧廣盛酒造

Tamanoic

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グンマの昔:伊香保町全景

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伊香保町全景

(伊香保志上巻、大槻文彦、みやま文庫109、1988年)

Ikaho_52伊香保町(伊香保志)

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グンマの昔:グンマデンワ

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村に行ったら見かけた…

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グンマの昔:コンニュクイモの天日乾燥

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渋川市・1960年代

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グンマの昔:高崎城

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高崎城

(伊香保志上巻、大槻文彦、みやま文庫109、1988年)

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高崎城(伊香保志)

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グンマの昔:丸沼温泉ホテル前館

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○丸沼温泉ホテル前館・1935年頃
 かつては「沼入の湯」ともよばれていた。

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グンマの昔:伊香保の温泉・旅行必携品

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○伊香保の温泉・旅行必携品
 (徒歩者の為めの趣味の登山、朝枝利男著、東京啓発舎事務局、1923年)

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グンマの昔:輪タク

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○輪タク
 バスやトラックに拡声器を付けた街頭放送車「ニュースカー」というのもあった。 

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グンマの昔:多野群

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○多野群
 1896年、多胡・緑野・南甘楽の三群が合併した。 この結果、藤岡町・神流村・新町・小野村・八幡村・美土里村・平井村・三九里村・鬼石町・三波川村・吉井町・多胡村・入野村・日野村・美村・神川村・中里村・上野村、が含まれた。
 その後離脱軍が続出し、現在は「上野村と神流町」が残るのみとなった。


☆どこまで解るグンマのことば @多野群(カッコ内は由来)

 あさっぱか→朝仕事(朝作)、 あぜうにも→何としても(何篠に)、 あちゃ→それなら(あぁそれで)、 いしい→悪い(え..

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グンマの昔:焼饅頭

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○焼饅頭(味噌附饅頭)
 アノ豊艶な容積! アノ細かに包む砂糖味噌! 図らざる垂涎に思はず訊く値の、僅かに一銭なるに顧眄、『隣の店に並べてあるアノ小さな団子でさへ、やッぱり五つの一銭だのに、能くまァ此度に安く売れるわい…』
 初めての旅人は、莞爾一番、つい手を出す、口にする。 其の時、否その刹那、其の内容、其の味質、其の価格の孰れに於いても、却と隣在の団子の遥かに優越し居るを知り、其の余りに見かけ倒しなるに、何人と雖も喫驚せぬ者はなからう。
(あゝ宗教の危機!:即上州気質の危機..

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グンマの昔:浦倉鉄山

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○浦倉鉄山(嬬恋村)
 浦倉山の標高1500m~1600mの赤沢川左岸に分布し、露天掘り褐鉄鉱で、川崎製鉄へ輸送した。(1953~1963)

Urakura62

○浦倉鉱山
 関東鉱産株式会社浦倉鉱業所、地元では元山とよばれた。 本来は帝国硫黄株式会社の鉱区であったのを譲り受けた。

Urakura61

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グンマの昔:根利林業所

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○根利林業所
 伐採した用材を銀山平製材所(足尾銅山小滝坑)へ運ぶため、1898年赤城村砥沢に根利林業所(古河)が開設された。 当時、皇海山西麓一帯は根利山(練山)とよばれていた。

Neri21

 銅精錬に石炭が使われる以前は木炭が使われ、足尾近辺の山林を伐採しつくしたため、周辺の国有山林の払い下げを要求し、1882年頃には根利村へ達した。
 根利林業所は1910年頃の最盛期には1500人を超える従業員がいたといわれる。(砥沢集落・平滝集落)  根利地区から銀山平製材所までは、架空線(砥沢線..

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グンマの昔:足尾銅山(2)

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 1877年、古河市兵衛が買い取り、最先端技術を導入し機械化され、産銅量は安定した。 足尾銅山の四大工事(古河橋架設・鉄架空索道・間藤水力発電所・水套式溶解炉)とよばれる。
 1880年頃の生産量激増が、渡良瀬川沿岸への鉱毒・煙害・伐採・洪水・有毒廃棄物・河川汚染となり、1896年の洪水で反対運動がピークとなり翌年操業停止命令となった。(松本村と谷中村が滅亡した)
 その後、鉱毒予防工事が行われたが、最終工事が終わったのは60年を経た1956年であった。

※備前楯山

横線540透明

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 江戸時代「足..

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グンマの昔:足尾銅山(1)

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○足尾銅山
 1550年足尾銅山発見(古川鉱業会社発表)・1610年足尾銅山発見(地元発表)、1627年日光東照宮支配下となる、1648年公儀御用山となる、1844年休山状態となる、1868年明治政府が没収、1878年古河直営となる(民営化)、1891年馬車鉄道、1896年大通洞(運搬坑道)完成・渡瀬川大洪水で鉱毒問題、1897年鉱毒予防工事命令、1905年日光精錬所稼働、1907年足尾暴動、1912年足尾鉄道開通、1918年古河鉱業株式会社設立、1973年閉山、1989年精..

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グンマの昔:石合戦

Inji

○渡良瀬川の石合戦
 小石を投げ合う石合戦を印字(石撃・因陣・印地)と呼び、多くは河原で行うので「河原印字(印地)」と言います。 はじめは子供の遊びでしたが、だんだん儀式化し一月十五日と五月五日には印字(印地)が行われるようになりました。
 これで収まらないのがグンマです。 だんだん大人が加わり、ついには渡良瀬川をはさんで敵国トチギとの石合戦となりました。 特に桐生団・太田団が激しく、当然ながら多くの負傷者が出たので禁止になりました。

Morisada_inji

Edo_ishiuchi

横線540

○石合戦の由来
 太..

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グンマの昔:箱膳

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○ハコゼン
 昔は、箱膳がフツーであった。 献立はおおよそ下記。
アサハン→ご飯・味噌漬けか沢庵・白菜漬け・味噌汁
昼飯→ご飯・おかず(野菜の煮物・油炒り味噌)
コジュハン→ジリヤキかイモ
ユウハン→うどんなど

※ご飯は麦飯のこと(良くても麦七分に米三分)。
※水の便が悪い地域では、食べ終わったら湯で器を順番にすすぎ、洗うのは十日に一度ぐらいだったらしい。
※一部の地域では、立膝で食べるのが作法とされた。

○箱膳
 昭和初期まで続いた。  食事が済むと、ご飯茶碗に湯茶がそそがれ・そ..

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グンマの昔:記念切手

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 群馬が描かれた切手は、日光国立公園シリーズの菖蒲平・ひうち岳(尾瀬)が最初とされる。(1938年)

○尾瀬
 「ワセ沼」が変化して「尾瀬沼」となった。 「ワ」は川のまがっている所・「セ」は浅瀬の意。

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グンマの昔:デ・レテケ巨石堰堤

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○デ・レテケ巨石堰堤(オランダ堰堤)
 幕末期からの森林乱伐で荒廃した榛名山麓復旧のため、1880年代には榛名山周辺で防砂工事がヨハネス・デ・レイケ指導のもとに行われた。 

※堰堤120ヶ所・石垣134ヶ所、といわれる。

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グンマの昔:悲恋地蔵

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○悲恋地蔵(湯ノ小屋)
 1970年前橋惣社町から湯ノ小屋にお地蔵様が貰われていったとされる。 別れ別れになった恋仲の男を探し求めて力尽きた女を偲んだ「悲恋地蔵」といわれている。

※現在未確認

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湯の地蔵(湯原)の事かと思われる。

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グンマの昔:牛なべ

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 群馬初の「ぎゅうなべ」は、前橋・赤城亭ともいわれている。(1880年頃)

※写真は、高崎・なべや。

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Nabeya11


○すき焼きの信田(のぶた)(明治20年代~平成20年頃)
 前橋での牛鍋屋開店につづき、高崎でも鞘町に赤城亭支店が開店。

※1882年高崎嘉多町に「いろは」・鞘町に長谷川肉店。
※鍋屋は嘉多町通りにあり・信田は東隣だったが、鍋屋が柳川町に越した後信田が鍋屋跡に移った。
※戦時中「信田の鍋」は、すき焼きが食べられなくなると困る将校たちにより、供出を免れた。 
※..

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グンマの昔:前橋

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○前橋電気館
 1913年4月1日開館。 1915年キネトホン(発声活動写真)、それまでは無声映画だった。 活動写真検閲(1919.1)。
 1922年になると客足が遠のき、女給仕などあらゆる手段での客争奪戦となった。

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○前橋小柳町通り柳座

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○1845年頃の映画館・劇場

前橋市:前橋オリオン座、前橋宝映画劇場、前橋会館、前橋銀星座、前橋テアトル、前橋電気館、前橋文化映画劇場(文映座)、銀勝座(旧木瀬村駒形)
高崎市:国際映画劇場、高崎銀星座、高崎松竹映画劇場、電気館、..

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グンマの昔:雷電神社

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○雷電神社の松並木・大正時代
 雷電神社は三十三代推古天皇時代聖徳太子の開基といわれ、関東地方雷電神社の総本宮である。

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グンマの昔:湯ノ沢温泉

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○湯の沢温泉(大正期)
 勢多郡宮城村・湯の沢渓谷(滝沢鉱泉の上)にあり、昔は江戸に近い温泉として繁昌した。(天領として治外法権的に公然と賭博ができたとの説もある)

※草津にも「湯之沢温泉」という所がある。(現国立療養所栗生楽泉園)

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グンマの昔:榛名神社

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○榛名神社
 みすずの滝(瓶子滝・おんな滝・女陰滝)

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○女陰杉

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○ヌボコ岩

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○天神峠の男根岩

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グンマの昔:公田の渡し

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○公田の渡し
 江戸時代まで、利根川は前橋より下流はすべて渡舟に依存していた。

※646年大化の改新により土地を国有とし、その田を「公田」とよんだ。

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○烏川の渡し

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Torigawa1935c

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グンマの昔:中小坂鉄鉱山

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○中小坂鉱山・製鉄所(下仁田町)
 幕末から明治にかけて,わが国初の蒸気機関による洋式の木炭高炉による製鉄が行われた中小坂鉄山は、1878年から1884年にかけては官営の製鉄所として東京のガス管鋳造などにもあたってきた。
 しかし、その後は軽営者も転々と代わり1908年に生産を中止したが、操業中止後も1961年まで経営者は代わりながらも採鉱(元山鉱区・近江山鉱区)は続けられた。

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○中小坂鉄山
 六千五百万年ほど前、南蛇井層に平滑花崗岩のマグマが貫入し、冷えていく中でマグマ..

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グンマの昔:新町屑糸紡績所

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○新町屑糸紡績所・高崎市新町2330
 明治初期、蚕糸業に関連した官営工場として、富岡製糸場と新町糸屑紡績所があった。  1877年創業、1887年三井家へ払い下げ、現カネボウフーズ新町工場。  屑糸や屑繭を使って絹製品を作ることを目的とした。

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☆新町紡績所
 明治20年5月、農商務省から三越得右衛門に払い下げとなる。 明治35年京都絹糸紡績へ譲渡された。
※明治31年三井工業部廃止により、新町紡績所・前橋紡績所・富岡製糸所などが三井呉服店へ移管された。

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グンマの昔:白岩南泉坊

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○白岩南泉坊・福守大明神
 榛名町白岩山長谷寺観世音、六坊の一つ南泉坊に福守大明神がある。

※右:福守様、左:福守大明神。 本件は調査待。

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グンマの昔:金龍寺

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○金龍寺・太田市昭和初期
 大田山義貞院金龍寺、応永年間に建立された。 新田義貞の霊殿があるらしい。

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Nitta59○新田神社

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グンマの昔:群馬蚕糸

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○群馬蚕糸原市工場・安中市1958年
 碓氷社本社が淵源、その後日本蚕糸原市工場から群馬蚕糸原市工場(グンマサンシ)、1937年解散。

☆生糸(ヨーロッパ式機械製糸工場)
 生糸の製造は「座操」とよばれる手回の木製機械だったが、明治に入り前橋藩がスイス人シーベルトによりイタリア製水力製糸機械を導入し、技術者ミューラーを雇い入れ細ケ沢町武蔵屋を借りて創業した。

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○群馬蚕糸室田工場(1955年頃)

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グンマの昔:本谷事業所

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○本谷事業所(営林署)・上野村
 1933年開設、20年ほどで閉鎖(廃村)。 本谷は、営林署従業員らの生活の場であった。(ランプ生活だったらしい)  木材搬出はトロッコをガソリンカーが三岐まで牽き、トラックで輸送した。 また「トロッコ道」もよばれ生活路でもあった。

※トロッコ単体は1960年代まで使われていたらしい。

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○本谷周辺は日航機墜落現場でもある。

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グンマの昔:へそ抜き観音

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○東国分のへそ抜き観音
 上野国分寺遺跡付近にへそ抜き観音の祠がある。観音像の穴の中に指を入れると腹痛を起こすともいわれているが、お産の神様として指を入れる人が多いらしい。

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グンマの昔:操翁式三番

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○下長磯の操翁式三番・前橋長磯稲荷神社
 1780年にはすでに上演されていたらしいがその後途絶えた、1883年復興後一時途絶え・戦後復活した。
 翁・千歳・三番の人形三体が謡曲に合わせて舞う、黒と白の面が御神体といわれている。

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☆差し金
 操り人形で、腕を動かすためについている長い棒。

☆芝居
 芝生に坐って見たのが芝居。

☆楽屋
 雅楽で楽人が演奏する場所が源。

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グンマの昔:山王猿

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○棟高の山王猿
 堤ケ丘小学校東隣・真言宗大乗寺奥、雌猿の石像が棟高の山王猿。

※一部赤いのは、願掛けにべにがら(べんがら)を塗る風習があるため

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☆山王権現、明治の神佛分離にて日吉神社となった。
 館林観昌寺の山王権現、群馬郡堤ヶ岡村棟高・大乗寺の石造山王猿、勢多郡荒砥村石山観音の山王猿、群馬郡久留馬村の山王猿。
※願掛けには紅をつける

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グンマの昔:みそか饅頭

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○みそか饅頭・前橋立川町1927年
 「片原饅頭(志満屋)」に対抗して売り出したが3年ほどで消滅。  志満屋は1996年閉店したが、現在、復刻「片原饅頭(ふくまんじゅう)」を売っている。

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グンマの昔:落合の産泰大明神

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○落合の産泰大明神
 下三ノ倉・中原道祖神近くに。落合の産泰様が祭られている。この辺では、女修が集まり安産・健康を祈願し・飲食歓談する「産泰講」が盛んであったらしい。

※落合の産泰大明神

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グンマの昔:根利林業所

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○根利林業所
 伐採した用材を銀山平製材所(足尾・小滝) へ運ぶためにつくられた。 架空線(砥沢線・ 平河線・円覚線・不動沢線・広河原線)を設け 、根利地区国有林材の払い下げを受け、1901年 伐採を始め、やがては皇海山裾まで及んだ。

※南郷から根利へのトロッコ軌道(欅沢作業所のインクライン・土橇巻き上げ装置)

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グンマの昔:榛名山

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○榛名くらかけ岩(大正期)

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○榛名山・九折岩

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グンマの昔:根羽沢鉱山

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○根羽沢(ねばざわ)金銀鉱山・片品村大清水
 1902年発見、1916年探鉱開始、1971年閉山。

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グンマの昔:片品の鹿追猟

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○鹿追い猟
 片品では、雪の中で鹿を谷間に追い詰め槍で突いて鹿を射止めた。(セコと呼ばれる) 時には、一頭の鹿を数日追い続けることもあったそうだ。 射止めた鹿は、その場で脾臓(タチ)を十二様に供え、その場に居合わせた者で平等に等分した。
 こうして片品の猟師は、鹿の皮や肉を売って生計を立て、残った肉はみそ漬けにして保存食とした。
※鹿は蹄に雪が固く詰まり走れなくなり、谷間に逃げ込んで川で溶かそうとするそうだ。
※谷川の水を利用して、山から木材を流し出す「さ流し」というのもあった。
※..

YAMADA

グンマの昔:松井田の闇鉄砲

Yamiteppo

○松井田の闇鉄砲
 松井田入山地区のほとんどの家には猟銃があり、狩猟以外に銃を撃つのは非常時に限られていた。 実際に泥棒が入ったときは、猟銃の知らせで村人が鉈・鎌・木刀など持ってアッと言う間に集まったそうだ。   また村には「青年夜学」があったが授業が終わっても寄り道をする者が多かったため、夜学終了の合図に猟銃を撃ち村中に知らせた。 この合図は、夜なべ仕事の終わりとしても重宝がられた。

Yamiteppoc

横線540

☆泥棒封じラッパ・天王寺村清水坂(伶人町)明治十八年
 各家庭にラッパを常備、夜..

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グンマの昔:山王大権現

Kanaihara31

○金井原のタイコノボー(山王大権現・長光寺)

 左右に眷族猿を従えている。 かつては上金井原にあったがのが下金井原に移して祭祀したとされ、子供の欲しい人・下の病の人に信仰厚い。(タイコノボーの祭日4月12日)

 ある昔、榛名山で鉄砲ぶちしていると孕んだ雌猿を見つけ撃ち、背負って帰るといつの間にか石になっていた。  これは山王様に違いないというので、山王大権現に祭ったとされる。

※本件は調査待ち

Taikonobo21

○金井原のタイコノボー
 山王大権現・
長光寺

※写真はタイコノボーの御神木

Tatebayashi_gongen8館林観性..

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グンマの昔:ヨウカンパン

Youkanpan21

○ようかんパン・松浦パン (羊羹パン)
 高崎・上和田の八軒長屋にあった「松浦のヨウカンパン」(上田第一中学校前)が人気だった。  

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グンマの昔:諏訪神社

Tsukiyono_suwa

○諏訪神社(三峰神社)・月夜野町師(現みなかみ町)
 養蚕をしていたころ、ここから蛇を借りてくればネズミ退治ができると言い伝えられていた。
※月夜野の源は、河岸段丘によって土地が築きあがった上の野、の意だともいわれる。(かつては「桃野村」であった)

横線540透明

Tsukiyono_moro

○月夜野町河内歌舞伎
 かつて、回り舞台があり、地芝居(地元若者中心の素人芝居)が行われた。 群馬の地芝居は、警察の激しい弾圧を受けながら育った。(江戸時代から藩役所に届けが必要だったらしい)  そのため、観客は石やマキを隠し持ち..

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グンマの昔:大日向神社

Ouhinata_nanmoku

○大日向神社@南牧村大日向
 御神体は諏訪湖の大蛇の尻尾とされる。 ある昔、石垣が崩れて修理しようと大きなテコを差し込んでこじったら、下にいた大蛇の片目を突いてしまった。 それ以来、大日向の人は片目が小さくなったといわれている。(尻尾が御神体なので家系が切れるともいわれる)

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グンマの昔:産泰様

Gunma_mingu02

○産泰様
 安産の神様(前橋市下大屋町が有名)。 子供の欲しい人は底のある柄杓(軽くぬける・生まれる)、安産祈願の人は素早いお産(よくたまる・妊娠する)を願って底の無い柄杓を奉納した。

※祭礼は四月十八日、祭神は木花咲耶姫。
※柄杓の大きさは、一合(コビシャク)・二合半・五合・一升・二升とあった。
※木花咲耶姫は山の神でもあった。 

横線540

Toriageuba

☆洗母・産婆
 胞衣未だ下りざる時、隠婆、竹刀を用いて臍の帯を切る。 長さ九寸、但、土器一丁枚、重ね覆いて、其の上に於いて之を切る。 苧(麻糸)..

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グンマの昔:揚げ船

Gunma_agebune2

○揚げ船(板倉町)
 利根川と渡良瀬川に挟まれた邑楽郡板倉町は、川や沼が多く低地であるため大雨が降る度に洪水にみまわれてきた。 いったん洪水になるとなかなか水は引かず、いろいろな洪水対策が施されてきた。 そのひとつに「揚げ船」があり、軒先や納屋にそこを上にして吊るしていた。 洪水については、「蛙が小便をしても水が出る」とさえ言われていた。

Gunma_agebune1

 西長尾は船底が下、東長尾は船底が上に吊るされたとされる。 地域によっては、水塚と呼ぶ盛土上に非難小屋を建てたりした。

○水塚(板倉町)
 一階..

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グンマの昔:白井宿楢原集落

Narahara31

○上野村楢原
 「奈良原」が語源との説もある。 
※ならすので緩い傾斜地を示す。

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グンマの昔:まむし捕り

Fujiwara_hebikannon

○みなかみ町藤原のまむし捕り
 古くこの地は無医村であり、医者にかかることができないので、野草やマムシを薬としてきた。(マムシの生息地でもあった)
 マムシを焼いて保存し、解熱剤・下痢止・整腸剤として利用し、皮は腫れ物の特効薬でもあり、「まむし酒」が多飲された。 そして、蛇観音を祀りマムシの供養をしてきた。 

※蛇観音については現在未確認 
 


○藤原
 この地藤原、山中にもかかわらず早くから水田が開け、ほぼ自給生活ができ、食生活も他地域と比べ物にならないほど豊かだったらしい。 ..

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グンマの昔:地下石牢

Chikarou

○金井宿の石牢
 金井宿本陣跡にある石牢(江戸中期とおもわれる)。 吾妻川が増水して渡れないときに、佐渡送りの罪人を留め置いたとされる。

横線540

Kamakurac鎌倉宮土牢・東光寺

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Kamakuragu2c

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グンマの昔:川原湯温泉

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○昭和初期
 1200年頃、上湯原の不動院に治癒旅の道心僧(川原朝臣光林)が宿をもとめた。 その夜、枕元に薬師如来が現れ温泉の場所を教え、光林は健康を取り戻した。 こうして「川原湯」と名付けられ、光林が持ち歩いていた薬師像は川原湯神社に祀られた。
 その後しばらくして、湯の元がバッタリと絶えた。 困り果てた村人たちが鶏を供えて祈ると、また温泉が勢いよく噴き出した。 村人たちは大喜びでお湯をかけ合った。 こうして「湯かけまつり」が生まれた。

Dankyu36

○段丘・川原湯

Kawarayu31

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グンマの昔:高橋でん

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○高橋お伝
 1850年利根郡下牧村に生れた。1867年親戚の高橋代助の二男波之助と再婚したが波之助はハンセン病を患い、療養のために1872年神田馬喰町の武蔵屋治兵衛方に止宿した。ここでお伝は姉のかねと出会い、姉の知人の内山仙之助からもらった薬を波之助に服用させたところ容態が急変し1872年8月18日亡くなった。

Oden8

 その後お伝は小川市太郎と同棲生活を始めたが、姉のかねが内山仙之助に殺害されたことを知る。 一方波之助の療養費などが嵩んだ結果生活は苦しく、止むなく古着屋の後藤蓄蔵か..

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グンマの昔:倉賀野神社

Gunma_kuragano

○倉賀野神社
 大国魂大神の御霊代として神宝亀石が伝えられている。 祀られたのは崇神天皇の四十八年九月十九日、祭主は豊城入彦命とされる。 ひの周辺を宮原とよぶのはこの宮に由来するらしい。

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グンマの昔:糸操り灯籠人形

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○糸操り灯籠人形・安中市中宿
  1660年頃始まったとされ、明治時代に全盛期を迎えたが、1929年を最後に途絶えた。 和紙で作った灯籠人形であり、「ガンドゥ人形」とも呼ばれ中のロウソクが灯る吊り人形である。 しかしながら、手間隙・費用がかかるので公演されなくなった。

Tourou79

Tourou78

Annaka59

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Tourou79c

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グンマの昔:おに五郎柿

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○おに五郎柿@南牧村星尾
 ある昔、山奥の小屋にならず者の「おに五郎」が住んでおり、村人たちに悪行の限りを尽くしていた。 これに怒った村人たちが、「おに五郎」を深い穴に落として埋めてしまった。 すると、大雨・大風が続いたので、墓を建て毎年供養をした。 やがて墓の上に柿の木が育ち、甘い柿がいっぱい実った。 これを「おに五郎の柿」とよび、やがて「尾根柿」とよぶようになった。

(WEB転載)

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グンマの昔:八城人形

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○八城人形・松井田町八城先倉神社
 幕府の道中奉行に直訴を企てた村人八名が妙義神社の牢に幽閉された。 村は過酷な圧政から開放されたが、この犠牲者のため「八塔石紅地蔵」を建立し霊を慰め、人形芝居を上演した。(1711年)
 その後人形芝居は途絶えたが、1885年悪病が流行したおり祈祷師の占いにより人形芝居が復興した。


☆のべつ幕なし
 芝居で幕を引かずに場面を進行させるのが「延べつ」。

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グンマの昔:沼須人形

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○沼須人形・沼田市沼須
 1860年頃、巡業中の阿波の旅芸人が金に困り人形を質入れした。 これを伝え聞いた金井仁左衛門が買い取り、森田類三の指導のもと人形芝居を始めた。 ともいわれている。
 明治時代が全盛期であり、長野や新潟まで巡業に出かけたらしい。
※一人使いの小振りな人形なので、「豆人形」とも呼ばれている

Numasu28

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グンマの昔:ももの缶詰

Momocan

○1875年、柳澤佐吉(高崎出身)が日本初の缶詰として桃の砂糖煮缶詰を試作した。 翌1876年、大藤松五郎がトマトの缶詰をつくった。

※明治製菓・果物の缶詰
 1936年6月13日ビワ缶詰製造開始、7月4日桃缶詰製造開始。

Mandarinorenge

☆外皮つき丸みかん・輸出用
 みかんの缶詰、温州みかんが丸ごと入っていた。

Matsutake_kan松茸の缶詰

横線540

☆缶詰の缶マーク(1948年)
 かつては、中身により英字マークを分類していた。

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グンマの昔:チンゲ

Chinge21

《グンマの号令》
【手をあげて、前の子のチンゲを見ろ!】  グンマでは整列させるとき、こう言ったそうな。

○チンゲ・トトゲ・トトクイゲ・トトッケ・トトクッボ、(ぼんの窪の毛)
 後頭部盆の窪の毛を剃らずに残しておく。 こうすると、何かあった(転んだ・溺れた・炉に落ちた)時に、神様がこの毛を引っ張って助けてくれると言われていた。 また、子供の鼻血にはチンゲを抜く、魚の骨が喉に刺さった時は一本抜いて喉をさする、とよいとされた。

 坊主でないことを示すために盆の窪にひとつまみの毛を剃..

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グンマの昔:太田市

Gunma_ohta1

 日光例幣使街道の宿場であり・太田呑龍の門前町であった太田宿は、中島飛行機製作所ができてから急激に人口が増加し・県内産業の核となった。

Ohta51

太田大光院

Ohta31呑龍上人墓

Ohta_daimon62○大門・太田市(解体前)


Gunma_donryu

《グンマを話そう》
○呑龍上人
 村の龍神様に「すぐれた子供がうまれますように」と願うと、龍神の森から黒雲が湧き家の屋根を包んだ。 こうして生まれたのが曇龍であった。  修行を続けた曇龍はある夜夢をみた。 それは、龍宮城へ行き龍王を前にしていると一匹の悪龍が邪魔しに出てきた。 ..

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グンマの昔:小八木人形

Koyaginingyou

○小八木人形
 高崎市小八木・鏡宮神社に保管されていた人形かしらであり、1721年頃には始まっていたとされる。

※グンマで確認された人形芝居は下記など、
 下長磯人形(前橋)・唐堀人形(吾妻)・尻高人形(高山村)・木村人形(利根)・
以下は三人遣い人形:
 下牧人形(月夜野)・津久田人形(赤城村)・羽場人形(新治村)・星尾人形(南牧村)・小沢人形(南牧村)・楢原人形(上野村)・小八木人形(高崎)・泉沢人形(前橋)・清水人形(黒保根村)・
☆人形芝居補足:現存7座・廃絶17座・記録のみ..

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グンマの昔:前橋

Maebashi_romen

○路面電車・前橋堅町(大正時代)
 1891年上毛馬車鉄道:岩神停車場(後に前橋駅)~渋川、1910年前橋電気軌道に改称電化、1910年利根発電へ移管、1920年東京電燈へ移管、1957年東武鉄道へ移管、1954年廃止。

横線540透明

Maebashi_komagataz

○駒形座1908年

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○成光堂書店・1920年創業

Maebashi31

鉄道馬車・1909年

Maebashi_basya51

前橋電気軌道前の馬車鉄道

Jyoumoubasha上毛馬車鉄道

Maebashi1903前橋堅町・1903年頃

横線540

Maebashi_m18

群馬縣上野國東群馬郡前橋町・明治十八年

Maebashi1903c

Maebashist_meijic 前橋駅

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グンマの昔:猫石・猫絵

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○猫石・猫絵(新田猫)
 猫石は養蚕の神様であり、蚕室において置けばネズミを除けになると信じられていた。 
 やがては、猫絵を貼るようになった。 この猫絵を得意としたのが岩松新田の殿様であり「八方にらみの猫」・「万次郎の猫」と呼ばれていた。 明治初年には、海外へ輸出する蚕種に猫絵が添付されていた。

※猫石信仰は、新治村相俣山王社・藤岡市上日野坂野厳島神社・富岡市七日町蛇宮神社などある。
※グンマ外では、猫が描かれた「鼠除け札」がある。

Nezumiyokeneko

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グンマの昔:白根硫黄鉱山

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○白根鉱山・万座鉱山(業業人硫黄株式会社)
 鉱脈発見時期不明、古くより白根釜として採掘されており、1886年精錬開始、1896年株式会社となる。(冬が厳しいので4月~11月だけの操業であった)  1897年7月草津白根山噴火で破壊・埋没した。

※嬬恋村には、吾妻・石津・小串・白根・万座などの硫黄鉱山があった。

Shirane37

○万座鉱山
 1955年万座硫黄鉱業所入道沢採鉱諸飯場に雪崩 で14名死亡。

○白根硫黄鉱山株式会社谷所採鉱所(草津)
 1936年2月4日、大雪により雪崩で飯場街が埋ま ..

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グンマの昔:千明旅館

Gunma_chiaki

○千明旅館・伊香保(現千明仁泉亭)
 伊香保を愛した明治の文豪「徳冨蘆花」が常宿として贔屓にした旅館。 悲劇の物語小説『不如帰』はここで生まれた。 その後は、新婚旅行のメッカとなった。

※千明[ちぎら]は群馬(伊香保)に多い苗字の一つ。
☆千明仁泉亭(伊香保温泉)、1920建築。

Gunma_ikaho6

○伊香保は古くから外人客が多かったため、グンマで一番文明開化が早かった。 1979年にはマッチ(瑞典製)を売っていたらしい。

○ベルツと伊香保
 ベルツは、たびたび伊香保を訪れ理想的伊香保像を求めたがかな..

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グンマの昔:四万温泉

Gunma_shimaonsen1

○日向見の湯・四万温泉
 碓氷日向守定光(貞光)が日の暮れた四万奥地で童子の夢をみた「四万の病をいやす温泉を与える」。  目を覚ますとそこには熱湯が湧きだしていた。 そこで、日向山薬師瑠璃光如来を祀り「御夢想の湯」と名付けた。  

※四万温泉の名称は「四萬の病を治す霊泉」との伝説に由来する。

Gunma_shimaonsen2

積善館
 昭和初期は、農閑期の湯治客であふれかえったという。

Shimaonsen2

Shimaonsen51

Shimaonsen52

Shimaonsen99

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グンマの昔:オキヌサン

Okinusan21

○オキヌサン
 養蚕労働者をカイコビョウ(蚕日雇)とよび、各地からやってきた。 その一人にお絹さんがいた。 彼女が蚕手伝いに行く先々では蚕が当たるので、蚕種製造家は競ってお絹さんにきてもらった。 ところがある時から、お絹さんがやってこなくなった。
 その頃、お絹さんを毎年雇っていた家で白蛇が出てきたので「お絹さんは白蛇になった」といわれ、以降はオキヌサン人形を作り養蚕を祈るようになった。

※グンマでは蛇を大事にする。 「死んだ人が蛇になってくる」との信仰もあり、特に屋敷蛇は殺..

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グンマの昔:千貫松

Senganmatsu

○千貫松・片品
 源義経が、頼朝と争い奥州へと落ちていく途中、みごとな松をみて都を懐かしんだといわれている。

※登場人物は、上野国白井城主白井玄人道や沼田万鬼斎だったりすることがある。 千貫松は、枯死して今はない。

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グンマの昔:尻焼温泉

Shiriyaki2

○尻焼温泉(新花敷温泉)
 花敷からの道が急峻であり・周りにおびただしい蛇が生息していたため、長く人を寄せ付けなかった。 川床から湧き出る温泉に尻を焼かれるので「尻焼温泉」という。

※湯本館

Nanmokuonsen99

※「尻明の湯」・「新花敷温泉」ともよばれ、昔猿が入浴し尻を焼いたともいわれている。

Shiriyaki2c

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グンマの昔:鎌原城

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《グンマを話そう》

○鎌原城と羽尾城
 1560年、羽尾氏(上杉謙信派)対鎌原氏(武田信玄派)の戦い始まる。 1562年、羽尾氏が万座温泉で遊んでいる間に羽尾城が乗っ取られる。
 羽尾氏が奪還にでる。 鎌原の家来・樋口からの裏情報では「鎌原氏は黒馬に乗っている」とのこと、鉄砲名人が黒馬に乗る武士を撃ち落とした。
 この日、鎌原氏は乗っている黒馬が進もうとしないので樋口の馬と取り替えていた。 鎌原軍は勝利に酔いしれていた羽尾軍に攻め入り勝利した。

Kanbara36

○鎌原城三の丸追手口

Kanbara37

○鎌原..

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グンマの昔:天明の浅間焼け

Kanbara11

○嬬恋村鎌原(かんばら)
 1783年7月8日10時、日本有史最大規模の浅間山噴火、全村火砕流に流され、残ったのは観音堂と秋葉神社を含めて四町歩(東京ドームより狭い)。  477人が死亡・観音堂に逃げた93人が助かった。 残った村人は全員平等の基に家族を構成して新村建設し、鎌原村がよみがえった。 そしては「八日の念仏」として念仏和讃が唱えられ、毎年鎌原観音堂で供養際が行われている。(毎月7日と16日にも行われている)
※大笹村黒岩長左衛門・干股村千川小兵衛・大戸村加部安左栄門など..

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グンマの昔:花敷温泉

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○花敷温泉
 建久三年源頼朝が浅間狩り(三原野狩)に出て西山まで猪を追い込み、「山桜夕陽に映える花敷て 谷間にけむる湯にぞ入る山」と詠んだので、花敷温泉と入山と名付けたと伝えられる。 かつては「草津温泉の上がり湯」といわれ、草津温泉入浴でできた爛れを癒した。

Hanashiki1927

○花敷温泉(1927年)

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Gunma_hanashikic

Hanashiki68c

Hanashiki1927c


 源頼朝が草津帰りに「山櫻咲きしこずゑのはなしきて いろは深みの湯にぞ入るやま」と詠んだ。  かつては「したし湯」ともよび、菅などの植物を浸して加工(ねどふみ)した。

※..

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グンマの昔:白石石灰採掘場

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○白石石灰採掘場・下仁田町1957年頃
 下仁田から南牧村にかけては、良質の石灰石「上野石灰」が掘れた。

 青倉村では、1900年石灰製造合資会社設立、1901年西毛石灰製造株式会社設立。 1938年白石工業(本社広島)が「群馬工場(白艶華工場)」開設準備、1932年世界最大の化合反応槽を持つ工場として稼動。
※主に肥料用として使われた。

Shiroishi13

 南牧村でも、1933年青倉石灰工業株式会社稼動(秩父セメント系列)、1994年有垣鉱業株式会社に吸収される。
※吾妻川の中和剤として使われた..

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グンマの昔:中島飛行機製作所

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中島飛行機製作所太田呑竜工場(1935年)

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Nakajima_60b

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グンマの昔:堀口商店・鉛銭

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○堀口商店・店蔵保存館(渋川市渋川2335)
 1629年堀口商店(金物商)創業、1850年頃「上州切手銭」なる鉛銭発行(~1872年)、……経歴略……現株式会社ホリグチ。

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Horiguchi3

○鉛銭・上州切手銭
 鉛で作られた私銭、四角形・長方形・楕円形・円形などの形をしており、16文・20文・24文・25文などの額面であった。 早い話が古い「グンマ地域振興券」だ。

※鉛銭は、渋川・子持村・北橘村・吾妻町などにもあった。

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グンマの昔:少将桜

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《グンマを話そう》

 ある昔、酒井阿久波守親本(前橋藩)という殿様がこのしだれ桜を見て、あまりの美しさに一本譲ってもらい城内に植えたが咲くことは無かった。 そしては、枕元に【花の精】が夜な夜な現れ、「帰りたい」と悲しく泣くので、元あった慈眼寺へ戻すこととなった。 この殿様は享保13年(1728年)酒井少将となり、それから「少将桜」と呼ばれるようになった。

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横浜弁天通り

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ヨコハマ…、グンマとは軸が異なるようだ…

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○グンマの昔:グンマ観光ツアー(外国人向)
 1870年、外国人向けグンマ観光ツアー始まる。(安中宿泊アサマヤマ)  その後は、「前橋生糸観光コース」と「伊香保温泉コース」が人気。

※1879年、ヴェガ号航海記・ノルデンシェルド
 伊香保から沢渡温泉に駕籠に乗ったが、胡座をかけないのでこうなった。 23.6kmを約十時間で着いたといわれる。

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○籠
 「can go」なるも乗り心地悪し。

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○乗合馬車
 横浜居留地にて危険!

..

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グンマの昔:スカンポ

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○スカンポ(スイバ)
 まさに学校帰りの道草、そのままかじったり・塩をつけて食べたりした。

※天日乾燥させた虎杖根には、緩下作用・利尿作用がある。また、若葉を揉んで擦り傷などで出血した個所に当てると止血作用があり、痛みも和らぐとされる。 これが「イタドリ」(痛みとり)という和名の由来でもある。  

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グンマの昔:高崎製紙

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○高崎板紙株式会社・上毛製粉株式会社・東洋製粉株式会社
 1914年麦ワラなどを使った板紙会社として高崎板紙創設(1949年高崎製紙 ・1975年閉鎖転業)、1918年小麦を原料とする製粉業を担う上毛製粉設立(翌年日清製粉と合併・1988年撤退)、1913年京都製粉所創立(後に日本製粉高崎工場・2012年閉鎖)。

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☆日本製粉
 1896年、館林出身の南條新六郎らが東京製粉会社を継承し・日本製粉株式会社を設立。

☆館林製粉
 1900年、館林..

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グンマの昔:渋うちわ

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○前橋名産・渋うちわ
 生活が苦しい武士たちは、赤城の竹・利根の柿渋を使って「団扇」の手内職をはじめた。  「よく風が出るうちわ、上州の空っ風うちわ」としてよく売れたそうだ。(七輪全盛期なので、団扇は消耗品だった)


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○前橋の旧地名
 一毛町、栄町、榎町、横山町、萱町、岩神町、曲輪町、琴平町、桑町、向町、紅雲町、国領町、紺屋町、才 川町、細ヶ沢町、小柳町、神明町、諏訪町、清王寺町、前代田町・市之坪町、大塚町・百軒町、竪町、中川町 ・片貝町・天川原町、天川町・新町・高田町、田中町、..

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グンマの昔:箒

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○箒作り
 川場村・昭和村は、箒蜀黍を材料に箒作りが盛んであったが、箒蜀黍を作る農家が無くなり、現在は海外からの輸入材料で座敷箒作りを続けている。

 ホウキは物を掃き集めるだけでなく、払う道具でもあるので、人間の霊魂・邪気・けがれを払う神聖な呪力があると崇拝されてきた。 そのため、言い伝え・俗信も多い。


☆箒を逆さまにすると
 ホウキで掃き出すように客を掃き出し、長居をひっくり返す意味で、箒を逆さに立てたといわれる。
※「箒」の文字を逆さにすると、出ヨと読めないこともない

YAMADA

グンマの昔:ガラン渓谷

Gunma_garandani(WEB 転載)

○ガラン渓谷@六合村
 笹川支流切畑の上流をガラン谷とよび、人跡未踏・千古斧鉞の地であった。 長らく「魔の谷」とよばれ、流域の山に入っても谷に近づく者はいなかった。 ピーコック事件をはじめ遭難が多発した。

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グンマの昔:ガラメキ温泉

Garameki11

○ガラメキ温泉(我楽目嬉温泉)・榛東村
 ガラメキ温泉は、2世紀末仲哀天皇のころ発見されたとされる。

Garameki21

○ガラメキ温泉源泉
 1900年代には三軒の温泉旅館(富士見旅館・阿蘇山旅館・扇屋)があり参拝客や湯治客で賑わっていたが、元々が国有地を借りて営業していたため、1946年米軍が相馬ヶ原演習場を接収し更地にしたため消滅した。

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Garameki11c☆我楽目嬉温泉阿蘇山館

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グンマの昔:赤谷湖に眠った村

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○赤谷湖(相俣ダム・みなかみ町)、1959年竣工。

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○赤谷湖に眠った生井

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○赤谷湖に眠った相俣


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Akaya11c

Akaya12c

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Gunma_sarugakyo04c

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グンマの昔:藤岡市

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○藤盛座
 1909年芝居小屋として開業。

藤岡市 について

Fujioka12

○上信バス藤岡営業所
 1920年、藤岡~新町の乗合自動車営業開始、藤岡自動車輸送株式会社。 1932年の自動車運輸事業統合令により上信電鉄と合併。

Fujioka11c

Fujioka12c


○藤岡事件
 1923年9月3日、鬼石町自警団が朝鮮人をつまえ藤岡署につきだしたことから、警察署に乱入し二日間で十七名の朝鮮人を虐殺した。  流言飛語の発生源は不明だが、上毛新聞記事も影響
したともいわれる。

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グンマの昔:ロウ石山・下仁田

Rouseki21

○ロウ石山・上信鉱山(嬬恋村干俣仁田沢)
 草軽鉄道嬬恋駅からアルミ鉱山ロウ石山まで索道(約6.3km)を架設する計画があり、開削工事が終わりレールを敷こうとしたところで終戦により中断放置された。  鉱山でも軌道はできたが、鉄道がないので操業できず、鉱山そのものが忘れられてしまった。

Rouseki22

 1940年頃新鉱床が見つかり、小規模ながら馬ソリで運び出していた。 まもなく酸化アルミ36%鉱石だとわかり、ジュラルミンの原料として需用が見込めることから、日窒鉱業が開発をおこない大鉱山となっ..

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グンマの昔:黒澤家住宅

Kurosawake51

○黒澤家住宅・上野村楢原200-9

Kurosawake52

江戸末期/1830-1867
桁行21.8m、梁間15.9m、二階建、切妻造、正面及び背面庇付、板葺、 風呂場及び便所附属
1棟
群馬県多野郡上野村大字楢原200番地9
重文指定年月日:1970-06-17

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グンマの昔:板倉の里神楽

Itakura61

○板倉の里神楽
 かつては、板倉雷電神社の神楽殿で「板倉のひょっとこ」演じられていたが、神楽殿老朽により定期的に上演されることはなくなった。 
 「ひょっとこ」と「おかめ」が道化と卑俗に満ちた踊りを演ずる。 由来は、館林羽附町長竹耕地の里神楽をまねたともいわれるが定かではない。

☆ひょっとこは、火男の訛。

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グンマの昔:水上駅

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水上駅雪捨て貨車

 1931年清水トンネルの完成で上野~新潟間が全通、信越線に比べて98km・4時間短縮された。 

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Shimizu22c

Shimizu23c

Shimizu24c

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横線540

Yuzawa18c湯沢停車場

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グンマの昔:神代文字

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○神代文字碑
 復古神道の遺物として明治3年3月に建碑された。 碑文は平田鐵胤(平田篤胤の養子)、神文は延胤(鐵胤の子)による撰文。 神文「マナヒトコロノナレルコヱヨシ」は対馬の阿比留家に伝わる阿比留文字で書かれている。

Gunma_jindai1


Cascajal

☆カスカジャル・ブロック(Cascajal block)
 解読できた者はいない。

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グンマの昔:楢原・浄瑠璃

Narahara_jyoururi

○楢原人形(上野村、楢原・中越・小春)
 1931年楢原・中正寺にて芝居人形一式が見つかったが、その後の保管が悪くほとんどが壊されてしまった。

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グンマの昔:野栗の材化石

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○野栗の材化石
 1983年8月都立杉並高校田中邦幸教諭が発見。 当初は針葉樹の化石と考えられていたがその後の研究の結果、髄線(放射組織)が針葉樹の2~3倍の多髄質であること・木部と師部が交互に同心円状に配列していること等のソテツ(蘇鉄)独特の特徴から、世界最大のソテツの樹木化石で約1億年前のものと断定された。

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グンマの昔:迎賓館

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○臨江閣・貴賓館(前橋市)
 1885年落成、左が臨江閣・右が貴賓館。

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Geihinkan2

 臨江閣は本館・別館・茶室から成り、本館は1884年9月群馬県令・揖取素彦や市内の有志らの協力と募金により迎賓館として建設、茶室は京都の宮大工今井源兵衛により1884年11月に完成、別館は1910年一府十四県連合共進会の貴賓館として建設された。

☆臨江閣本館(前橋市)、1885年建築(茶室も)。  臨江閣別館、1909年建築。

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Gunma_maebashi08

横線540

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Gunma_maebashi08c

Maebashi51c

横線540

○共進会(1910年9月1..

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グンマの昔:牛乳瓶

Gyunyubin

牛乳用(左21.8cm)・山羊用(左21.5cm)

Gyunyu97

横線540透明

Milk10b

牛乳の量り売り・明治十年頃

Milk12

横線540透明

Gyunyu85

※明治三十三年四月、牛乳配達はブリキ製から硝子瓶となった。(牛乳営業取締規則)

横線540透明

Okadagyunyuc岡田牛乳

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グンマの昔:法師温泉

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○法師温泉・昭和初期
 810年頃、弘法大師が東国巡錫のおり発見したとされる。 平安時代に坂上田村麻呂が東国蝦夷征伐の折に祀った三坂神社に、半身不随の田村小太夫が平癒祈願をしこの温泉に入湯したところ全治したともいわれている。

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Houshionsen21

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Gunma_houshi09


Gunma_houshi01c

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Houshoonsen22c

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グンマの昔:味噌付饅頭

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○味噌付饅頭
 原嶋屋総本家の初代が、小麦粉・餅米・濁酒で饅頭和を作り、長い竹串に五個挿して焼き味噌を付けて売り出した。  これが「素饅頭が数万両(饅頭)」に変わるので縁起がよいと評判になった。

P style="LINE-HEIGHT: 9pt"> ☆「す饅頭」は下記ともいわれている。
①チョット酸っぱいから「酢饅頭」
②中に鬆が入っているから「鬆饅頭」
③中に何にも入っていないから「素饅頭」
※葬式にまず持っていくのも味噌であった。

※沼田には、焼き饅頭屋が多い。 東..

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グンマの昔:鍋屋旅館

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○鍋屋旅館・中之条
 1675年創業。 十辺舎一九や、牢を脱走した高野長英が泊まったと言わている。

※戦時中は学童疎開に使われていた。

Nabeyaryokan2

○鍋屋の陰陽石
 中之条・鍋屋旅館裏庭の陰陽石、夫婦石もある。

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○鍋屋(1887年)


Nabeya32c

Nabeya71c

Nabeyaryokan2c


☆陰陽石
 碓氷郡九十九村日枝神社の大通さま(陽石)、甘楽郡南牧の陽石、大胡町滝窪の開姫さま、群馬郡権田村字至沢の夫婦石、吾妻郡大戸の女陰石、山田郡梅田村の陰陽石、北群馬郡白郷井小河原の陰陽石、群馬郡三ノ倉水沼の女陰石、勢多郡..

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グンマの昔:イボ

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【いぼ】
 子供の間では「イボイボうつれ」と言いながら他の子の手をさわると、自分のイボは治って相手にうつるとされた。 その他、たくさんのマジナイがある。

○「いぼいぼ渡れ 一本橋、渡れ」と唱える。
○神社の石でイボをこする。
○いちじくの汁をつける。
○テッコハッコをイボの数だけ屋根に投げ上げる。
○カマキリに味噌を塗ったイボを噛ませる。
○米三粒でイボを三回つついて、流しの下に埋める。

 

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グンマの昔:赤見軽便鉄道

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○赤見軽便鉄道
 1913年赤見軽便鉄道設立(出流原の石灰石輸送の人車鉄道計画)、1915年富田~出流原開業、1921年赤見鉄道に改称、1923年出流原~彦間川貨物営業、1927年廃止(石灰石輸送業績上がらず)。

※磯山前停車場

Tobu91

○宇都宮石材軌道

Utsunomiya_1897○宇都宮石材軌道(1897年開業)

Shimonokidou_meiji○下野軌道


Akami51c

Tobu91c

Utsunomiya_1897c

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グンマの昔:オサキ

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○オサキ
 グンマに伝わる憑き物。 名前の由来は、オサキ狐・御前・ミサキ・オサキ・オオサキ・尾先(狐)・おふさ紀・カンザキ・コウザキ・ゴンゼン、など数々あるがはっきりしない。  どうも、信仰上の動物であり、山で正体不明の小動物を見たときに「オサキ」とよぶようだ。

 オコジョは「山オオサキ」とよばれ、山の神様の召いとされている。
※夏は背側が茶色で腹側が白、冬は全身が白になる。

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Osakikitsune

☆尾崎狐・尾先狐・尾裂狐
 狐より小さく・鼠と鼬が混ざったような姿・体色は様々。 尾崎狐が憑いた..

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グンマの昔:処女会

Seinendan

 1918年頃より青年団体育成の訓令により市町村ごとに「処女会」の結成がはじめられ、1931年にはその数全県で215団体となった。 主な事業は修養会・バザー開催などであり、その後「女子青年団」と改められ、1940年「青少年団」に一本化された。

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グンマの昔:とびっこ

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○とびっこ
 かけっこ(徒歩競争)のこと、短距離・長距離・マラソンなど区別せず一まとめに「とびっこ」だ。

※タケニグサの切り口から出る汁を脹脛にぬると速くなるというウワサもあった。

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グンマの昔:吾妻温泉馬車軌道

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○吾妻温泉馬車軌道
 吾妻地方の繭糸麻・硫黄・薪炭・および旅客の輸送と水力発電による産業発展を願って、地元有志により創立された。

※渋川~鯉沢は、利根軌道と線路共同使用。

Agatsuma_basya52

 明治43年吾妻温泉馬車軌道創立、45年鯉澤~伊勢町林昌寺開業、大正1年鯉澤~渋川中塚町利根軌道に乗り入れ開始、2年吾妻軌道に改称、7年利根軌道が電化されたため乗り入れ中止、9年電化、13年群馬電力、14年東京電力、昭和2年渋川新町~渋川駅前開通・伊勢崎林昌寺を中之条に駅名変更、1928年東京電燈、1933~1..

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グンマの昔:足尾鉱山

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○足尾鉄道
 1888年足尾銅山主古河市兵衛が足尾~大間々に電気鉄道を計画するも実現世ず、1890年細尾峠に鉄索運搬稼動、1889年に日本鉄道日光開通したため細尾~日光に軽便馬車鉄道敷設、1914年足尾線全線開通。
 足尾鉱山経営の馬車鉄道としては、地蔵坂~掛水・掛水~本山・掛水~切幹~小滝・切幹~沢入があった。

Gunma_ashio56

 1896年両野鉄道計画でるも足尾以北の敷設計画が膨大すぎて不認可となる。 その後も大間々~足尾などいくつか計画があったが実現しなかった。
 1902年足尾鉱業鉄道株..

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グンマの昔:みなかみ町藤原

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○藤原
 奥州前九年の役の後、阿部貞任の子孫一族がこの地に住みつき、周囲と隔絶した生活をおくっていた。 ところがある時、下流の幸知に「藤とわら」が流れ着いたので、「上流に人が住んでいる」と沼田候が兵を送ったとの伝説がある。 (奥州藤原泰衝十六代の子孫が移住したとの説もある)

※藤原の産業は、木材・木炭・ワラビ粉であった。 ワラビ粉は、織物にかかせない糊の原料となった、また経師屋・傘はり提灯屋でも使われた。

Minakami_fujiwarac☆みなかみ町藤原


○幸知(コウチ)
 水上町にあった地名、「耕地..

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グンマの昔:名産品

Meisan12

上毛十二名産(1931年版)

横線540透明

Gunmameisan12

1 上州蒟蒻 下仁田 上州蒟蒻粉同業組合 下仁田こんにゃく
2 伊勢崎西瓜 佐波 佐波郡農会 紅小玉すいか
3 詰合すまんじゅう 前橋 前原島屋本店 原嶋屋総本家
4 銘酒誉国光 沼田 土田酒造店 土田酒造株式会社
5 片原饅頭 前橋 志満屋本店 復刻
6 銘酒巌 藤岡 高井本店 高井株式会社
7 家伝腹病の薬 碓氷 遠間平一郎(乗横野村)
8 白太の鍋蓋 渋川 小澤鉄工所
9 西毛木炭 碓氷群馬 西毛木炭同業組合
10 糸之瀬沢庵 利根 ..

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グンマの昔:尻高人形

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○尻高人形(高山村)
 かつては「伝さん人形」ともよばれ、豊松流伝三がこの地を訪れた際に村人山田与平らにに教え、1886年豊松与伝次としてデビューした。 その後、豊松座として公演された。 人形は一人づかいで「差金人形」とよばれている。

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Shiridaka27

Shiridaka29

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○造林王国高山村(尻高村・中山村)
 村有林を守り続けたのが高山村、県下第一の富 裕村であった。

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グンマの昔:聖石

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○聖石
 赤城または榛名の噴火によりもたらされた火成岩とされる。 聖町の名前はこの石に由来するらしい。

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グンマの昔:神流川のあわこ

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○神流川のあわこ
 三波石48個を「三波石四十八石」と銘打ち、いずれの石にも名称・云を付けている。  神流ではカジカが産卵し、カジカの卵を「あわこ」とよび、カジカは焼いて保存してうどん汁のダシに、あわこは煮付けにして食べたそうだ。(下久保ダムが出来てからはカジカが消えたそうだ)  

※写真は2石目「日暮石」、終日見ていても飽きないので日暮石。

Kannagawa3c


《グンマを話そう》

○髪洗川(神流川)
 平将門が藤原秀郷に追われ上州多野の山中に逃げ込んだ。 将門を見失った秀郷が神流川で休..

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グンマの昔:高崎絹市場

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○高崎絹株式会社(田原町)
 高崎は蚕繭・生糸・絹織物などの集散地として市が立った。 その売買取引を統制するため、絹市場を設けたとされる。

Gunma_kinuichibac


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生糸

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グンマの昔:カッパピア/こども博覧会

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○フェアリーランド・カッパピア
 「新日本子供博覧会(1952年@観音山)」の跡地を利用して、1961年上信電鉄が「高崎フェアリーランド」として開園した。 開園当初は子供相手の小動物園があり・スケートができた時期があったが、やがてプールができ「カッパピア」と改称した。
※園外にも「スケート場」があったそうだ。

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新日本高崎こども博覧会@観音山(1952年4月から50日間)

Kodomohaku12

Takako

象の高子、名前は高崎の高とされる。(密かには高島屋という説もある)

Kodomohaku21

お猿の電車

..

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グンマの昔:観音山

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○観音山
 観音山丘陵には、金井炭坑・興亜亜炭礦業・乗附礦業所・長坂礦業などの亜炭採掘所があり、鉱内からトロッコで亜炭を運び出していた。 1875年頃に始まった亜炭採掘は、富岡製糸場などの需要で発展し、金井炭坑・興亜亜炭礦業にいたっては1955年頃まで操業していた。

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○高崎炭田
 明治初期、片岡郡乗附村(現高崎市乗附町)蛇場見の炭田で寺尾村の田嶋元七によって亜炭の採掘が行われたのが最初といわれ、この高崎の亜炭が官営富岡製糸場・新町屑糸紡績所で燃料として用いられた。
 19..

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グンマの昔:スケート

Geta_state2スケート

Geta_state1

Geta_roller1こちらがローラースケートとなります。

横線540

Skeat3000

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グンマの昔:上野鉄道

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○軽便鉄道・上野鉄道(こうずけてつどう)
上野鉄道設立(1895年)、高崎~下仁田間開通(1897年)所要時間二時間半・26人乗り、現上信電鉄株式会社。 さらには、下仁田から余地峠を越えて佐久鉄道羽黒下駅まで延伸する計画を立て、社名を上信電気鉄道に改称したが、実現できなかった。

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1921年「上州電気鉄道」と改称、1924年全線電化。

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○烏川鉄橋


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グンマの昔:高崎城天守閣

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○高崎城天守閣(模型)
 廃藩置県後高崎藩は高崎県となり、やがて高崎城は廃城となった。 その後は、残っていた城建築物等は、行政により次々破却された。

※グンマには300城以上あったが、現存・復築された城はない。 「新し物好きなグンマ人に城はいらない」といったところだ。

YAMADA

グンマの昔:佐野の渡し場

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○佐野の渡し場・佐野窪橋
 渡し場があったりなかったりという時代を繰り返したとされる。

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○佐野の船橋

☆かみつけの佐野の舟橋とりはなし 親はさくれど吾はさかるがへ (万葉集東歌)

 ある昔、烏川を挟んで、佐野の里の飯野主馬の一人娘那美と片岡の片岡民部の一人息子小治郎が恋い慕い、夜になると船橋を渡ってあう瀬を楽しんでいた。 これを知った那美の乳母が仲をさこうと、密かに橋板を幾枚か取り外してしまった。 何も知らない二人は隙間から川に落ち暗い流れの中へと消えていった。

☆五十音
 ..

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グンマの昔:弘法の井戸

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○弘法井戸(甘楽)
 弘法大師が水を求めたところ、一人の女が遥か遠くまで水を汲みに行った。 これを見た弘法大師は、錫杖を地中に突き刺し泉を湧出させた。

※弘法大師が大盤振る舞いしたらしく、この話・この井戸はグンマ各地にある。

Gunma_koubouidoc


グンマで今までに発見された「弘法の井戸」は下記、

○藤岡市日野高井戸・弘法井戸
○松井田町坂本・弘法井戸
○榛名町間野・弘法井戸
○利根村石戸新田・弘法井戸
○利根村根利・弘法井戸
○新治村・弘法井戸
○片品村花咲千貫松峠・清水
○新里村赤城..

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グンマの昔:高崎号

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 1933年「高崎航空普及会」が設立され、乗附練兵場を使い飛行機「高崎号(2機)」が飛んだ。  その後は、会費を取って市民を乗せ毎日高崎上空を飛んだとされる。

Aikokugunma

愛国群馬号


★飛行機からのビラ撒き
 1964年子供がチラシ拾いに夢中になり・交通事故にあったので、航空法で規制された。

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グンマの昔:高崎駅

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Gunma_takasakist

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Takasakist11

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Takasaki61

○鉄道開通式
 日本鉄道株式会社の上野~高崎開通式典が、1884年5月1日高崎駅にて天皇臨席のもと挙行されることとなった。 一方、明治政府転覆を狙うグループが、本庄停車場で列車襲撃・高崎鎮台分営を襲撃を企てた。   5月1日、開通式典は挙行されなかった。 代わって6月25日に厳重な警備のもと開通式が行われ、臨席した天皇は駅から一歩も出ることはなかった。

Takasakieki_meiji高崎駅(明治時代)

Tobu72

Takasaki_1917○高崎停車場・1917年

Takasaki1956

Takasaki1884c

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グンマの昔:今井の子宝神

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○オトコシさま(沼田・今井)
 地域により、金精さま・大通龍さま・ごもっともさま・福守さま・男石さま・お種神さま・麻良さま・珍鋒さま・男石尊さま・道祖神さま・立石さま、なとどもよぶ。

※鎌倉時代、今井四郎兼平が落ちのびて住みついたのが今井部落であったとされる。
 


☆利根郡沼田町の神明宮境内末社・鹿島宮の石宮(獅子追かけ)

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グンマの昔:藪塚石材軌道

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○藪塚石材軌道
 1909年藪塚石材鉄道設立(東武鉄道太田停車場~両毛線大間々停車場を藪塚石運送計画)、1911年太田~藪塚工事開始、当初は馬車鉄道を計画したが「軽便鉄道法」による敷設に変更し人車鉄道で旅客も運んだ。 同年、太田軽便鉄道に改称、設立当初から東武鉄道資本であったため1912年東武鉄道に線路敷設権を譲渡し太田~藪塚本町で蒸気化・軌間変更、1913年東武鉄道として蒸気鉄道線(太田~相老)となった。

Yabuzuka11

○藪塚石材鉄道
 1903年藪塚石材株式会社設立、1908年藪塚石材軌道..

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グンマの昔:滝窪の開姫さま

Akagikami36

○開姫さま(瀧窪・八柱神社)
 開姫さま(貝姫さま・さね石さま)  1874年、村人が赤城荒山鍋割から持ち帰り寺沢川辺に祀り、後に八柱神社に移転祭祀された。 お願生果しには旗をあげた。 

※「荒山のただ石こそはイヤハーノ里に出て、里に出て開姫様にまつられる」と田植唄にもある。

  大胡町は赤城山南面に位置し、古くは大児臣の居住地であり、大胡城が多くの支城を支えた。(地名の由来も大児臣といわれている)   大胡町には下記の信仰もある。

○ひいらぎ薬師・河原浜
 慈覚大師巡錫の折、柊を..

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グンマの昔:ミコト牛乳

Mikoto

(WEB 転載)

○ミコト牛乳
 かつて嬬恋村農業協同組合が経営していた牛乳、日本武尊の「ミコト」から名づけたらしい。 1954年、嬬恋ではニュージーランドとオーストラリアから一千頭のジャージー牛を入れ、濃くて味の良い牛乳を供給していたのだが、牛が病気(嬬恋ゼンソク)にかかり衰退してしまった。 

※嬬恋農協は、北軽井沢のスズラン牛乳(現在のすずらん牛乳とは違うらしい)も管理していたらしい。 

Meiji_agatsuma

※現在、明治・吾妻牛乳というのがある。

YAMADA