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廓信寺 [さいたま]

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〇廓信寺
 さいたま市浦和区北浦和3-15-22、048-831-6963

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 廓信寺は慶長年間に、岩槻城主高力清長の家臣中村弥右衛門吉照が建立したものです。 本尊の木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代のもので、大坂城より伝来したものです。 境内には、文久四年に中山道の針ヶ谷で仇討ちにより討たれた河西祐之助の墓があります。 この仇討ちは、口論のすえ命を落とした父の仇を息子の水戸藩士宮本鹿太郎が、三人の後見人と共に一本杉の下で討ったものです。 現在は、当時の大杉があった場所(廓信寺より北へ約700mの中山道端)に「一本杉」の碑が置かれています。

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☆廓信寺木造金剛力士立像
 元和二年に中村弥右衛門が願主となり、安房国の仏師によって造立されたことが像内の墨書銘により明らかになった。 寄木造、朱漆、彫眼、差首、内刳りを施す。

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☆廓信寺鳳凰文欄間
 江戸時代、木造彩色、中央:幅300cm・高さ129cm、鳳凰浮彫り、左右:幅172cm・高さ161cm、波頭・瑞雲・巌浮彫り、裏面明和二年墨書銘。

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☆廓信寺紙本着色釈迦涅槃図 服部尚匡筆
 釈迦入滅の光景を描いた仏教絵画。 箱書きによると宝暦十三年瀬ヶ崎村の住人から寄進されたもので、縦212.4cm・横130cmの本紙に、緑青・群青・金箔・金泥などで鮮やかな彩色が施されています。 沙羅双樹のもと、北を枕に横臥する釈迦を中心に、多くの弟子や動物などが歎き悲しみ、上方には、飛雲に乗って駆けつける摩耶夫人の姿が描かれています。 画面右下には「尚匡 拝画」の落款が捺されて、同寺本堂欄間の作者「與野住 服部尚匡」と同一人物が描いたものと考えられます。

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☆廓信寺板石塔婆
 元亨四年、阿弥陀一尊種子、高さ120.0cm。 収蔵庫に入っている。

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☆廓信寺のカヤ
 墓地内にある高さ16.5m・幹まわり2.46m(指定時)。 樹形は乱れているものの、西面は美しい壮大な傘状を呈しています。 大きな樹冠から自然に垂れ下がる枝の様子には、大樹の趣があり、古木の風格を備え・樹勢も良好な雄株です。
 カヤは雌雄異株で、花は4から5月に咲き・雌株は翌年10月に熟します。 葉は枝に左右2列に綺麗に並び、鳥の羽の形に似ています。 材は水湿に強く・弾力にも富むので、風呂桶・将棋盤などに利用されるほか、種子やその油も利用されるなど、かつは身近な有用植物でした。


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