SSブログ

宝蔵寺 [さいたま]

Asaka_hozouji6

〇宝蔵寺、朝霞市宮戸4-2-1

 薬師様は眼の神様といわれた。

Asaka_hozouji1

Asaka_hozouji2

Asaka_hozouji3

Asaka_hozouji9

横線540

 薬王山佛眼院宝蔵寺・宗旨は真言宗智山派、本尊は不動明王。 近世においては石神井三寶寺の末寺であったが、現在は京都府の大本山知積院の直末となっている。 もとはは経典を蔵するという意味で法蔵寺としていたが、いつの頃からか宝蔵寺と記すようになったらしい。 由緒は弘治元年の縁起「当寺元起書」にもあるが、開基以前は「此處薬師如来之霊地也」とあり、すでに存在した薬師如来と深く係わるところを受けて建立されたと窺え、また「一切経蔵之跡也」ともあることから、古くは経蔵・経塚などがあったとも想定される。さらに、弘法大師の自作による本尊「不動明王一尊」があったとしているあたりに、真言密教との関連を示唆するものがある。 『風土記稿』には、この本尊が古朽して片目を失い・のちに補ったことから、山号を薬王山・院号を佛眼院とするになったとある。 そして、開基を高橋内膳某・中興を眞能房融寂としている。 いずれにせよ、境内や付近の畑地・墓地のなかから、正中二年・応安元年銘の阿弥陀種子板碑や一二世紀のものとみられる経筒のほか、多数の板碑も出土していることから、少なくとも平安時代末期には何らかの堂宇が存在したのではないかと考えられている。
 本堂は天和二年再建・昭和三十七年に改築、昭和四十一年庫裡竣工。 薬師堂は慶長十三年に創建・寛延元年焼失・宝暦五年に再建立、その後いくどか改修・修理が施された。

横線540

Takaokou1高尾講・高尾山信仰、朝霞・志木周辺に多く見みられる。

Asaka_hozouji5高尾山参詣

Asaka_hozouji6

Asaka_hozouji7

横線540

★施餓鬼供養
 実蔵院(志木市中宗岡)では旧暦八月十六日・宝蔵寺(朝霞市宮戸)では旧暦八月十二日ごろに施餓鬼供養が開かれた。 昼間から境内参道に出店が並び、近在から多くの参詣者で賑わった。 六ツ刻になると子供や子連れ親子は家に帰り、若い男女の出逢いの場となった。
※実蔵院はボボ施餓鬼・宝蔵寺はボボ薬師寺、ともよばれた。
※神社で催された「お籠もり」、一万人を越える若い男女が集まった神社もあった。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント