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酉の市 メモ [むかしむくれて]

Otori_senzoku1鷲大明神社・台東区千束3

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☆鷲神社・おとりさま
 台東区千束3
 祭神は日本武尊とこの地域を開拓したという天日鷲命を祀る。 日本武尊が東夷平定を願って凱旋した際、社前に能手をかけて戦勝を祈ったことに初まる。 江戸時代には、浅草田甫大明神社。 
 酉の市で名高く、花畑の大鳥神社より賑わうようになり、宝暦・明和年間からは吉原遊廓とあいまって盛んとなった。 花畑を「大鳥」というのに対して千束を「しん鳥」ともいう。 (遊郭)

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☆酉の市・とりのいち
 酉は干支の十二支の十番目。 十一月の酉の日にあたる大鳥(鷲)の日は、神社で酉の市がひらかれる。 昔は日本武尊を祀るように武運を祈る神社であったが、江戸時代商人が力をもつと、開運・商売繁盛・家内安全などの祈願が盛んになった。 江戸では花畑大鳥神社から初まり、やがて吉原を控えた浅草鷲神社の方が盛んになった。
 境内で売られる熊手には・宝船・金箱・米俵・矢的・注連縄・お多福仮面・えびす大黒・鶴亀など縁起物がついているが、元来熊手は神社から出されるもので一種のお守りとして「かっこめ」又は「掻っ込む」という意味があり・幸福をよび込むとされている。 また十一月の三回目の酉の日を「三の酉」といって火事が多いという俗信もあるが、一方では鶏のトサカの赤を連想するからだともいわれている。

 江戸時代までは長国寺の境内社である鷲大明神だったが、明治維新の神仏分離に際し独立し社名を鷲神社と改称した。 創建年代不明。 毎年11月酉の日の例祭は、酉の市(酉のまち・お酉さま)と呼ばれ、江戸時代から続く行事。 大小とりどりの熊手・八ツ頭芋・お多福の面などを売るので有名で、商売繁盛を祈る商人や職人で賑わった。 もともとは農具・古着・農作物・餅などが売られる農村的な祭が発祥だったが、農具の一つとしての熊手が「福を掻き込む」と考えられ、次第に農民以外に人気を博して都会的な祭となった。

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☆鷲妙見大菩薩・長国寺  
 鎌倉時代文永二宗祖日蓮大聖人が上総国鷲巣・小早川家(現在の大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を願って祈ったところ、にわかに明星が動き出し不思議な力をもってして現れ出でたと伝わるのが鷲妙見大菩薩です。 それは11月酉の日のことでした。
 七曜の冠を戴き・宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神」とか、「おとりさま」と呼ばれ、開運招福の守り本尊として親しまれています。 とりわけ、応現の日にちなんで開催されてきた、浅草「酉の市」の本尊として江戸の昔より広く信仰されてきました。

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☆鷲大明神祭・鶏小屋に鶏を奉納(鷲神社)
 応永年間に始まり、近在農民の収穫祭として生きた鶏を献納し開運を祈り・祭が終わると浅草観音堂前(浅草寺)に献納した鶏を放った。
※鷲大明神祭は鷲神社(千束吉原)の祭

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 関東の熊手は内向き・福を握っている、関西は外向き・福をかき集める、らしい。

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☆十日戎
 古く上方では各自が笹を持ち込み、バラバラに売っている縁起物・お宝を好きなだけ笹に付けて帰ったともいわれる。 その名残が「商売繁盛笹もってこい」。

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 十日戎の売り物は はぜ袋に取鉢 銭叺 小判に金箱 立烏帽子 茹蓮 才槌 たばね熨斗 笹をか担げて千鳥足


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