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シャンクレール [さいたま]

Chante_clair

〇シャンクレール・Chante clair、蕨市中央

 1935年~1938年、オーナー河野静(河野静子)。
 正面テラス下には池、池にはボート、池の周りには灯ろう、踊り子約120人、常連にディックミネ・ピストン堀口・淡谷のり子など、AM1:30まで営業、アルコール飲酒可、テケツ10枚綴りで二円・一枚で一回踊れた。

※写真は、ダンサー・寺川摩耶子(Chante Clair VOL.1NO.2)

横線540透明

☆シャン・クレール
 大正九年三月横浜鶴見・花月園に「花月園舞踏場」開業、その後東京にダンスホールが増えるも1929年「舞踏場取締規則」施行により廃業続出、取締規則のない埼玉県・千葉県に進出した。
 1932年5月28日浦和前地に「フレンドダンスホール」開場、1933年3月31日浦和岸町に「浦和ダンスパレス」開場、1934年4月27日川口寿町に「ボールルーム川口会館(後にバルタバラン)」開場・当時は東洋一の規模だったらしい。
 「フレンドダンスホール」経営者森が川口進出を企てるも用地買収がうまくいかず蕨駅前へ進出、赤坂溜池「フロリダダンスホール」オーナー河野静(花月園・平岡廣高元妻)を共同経営者に迎え1935年3月20日蕨市旭町4737に「シャンクレール」開場、1936年営業全盛期となるも当局の取締りがきびしくなり・従業員の刑事事件も続いたため経営をあきらめ、1937年4月「バルタバラン」経営者富山嘉一郎に譲渡するも1938年1月31日休業。 1939年9月9日「バルタバラン」も休業となり、ダンスホールは消滅した。 その後建物は倉庫として使われたが火災で焼失した。

※新興キネマ「龍涎香」がシャンクレールで撮影されたらしい

横線540

Chanteclair佐藤武夫設計

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