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鳩ヶ谷うなぎ [さいたま]

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○いせ庄・川口市鳩ヶ谷本町

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○湊家・川口市鳩ヶ谷本町

☆うなぎの蒲焼
 宝暦十年、浦和太田窪・小島庄五郎が家人や親類縁者達に食べさせたのがはじまりといわれる。 その後江戸に広まり、寅吉(明治に入り鈴木)なる者が鳩ヶ谷吹上橋たもとで料理屋を開いた。 明治四十年頃、魚久の屋号で「うなぎ蒲焼屋」となり繁盛したが、1941年閉店した。

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☆鰻・鈴木うなぎ
 文久年間吹上橋たもと下宿で寅吉がうなぎ屋をはじめ、二代目卯之助の店は振るわずも、明治四十年三代目久吉がタレを工夫し「川魚・魚久」開店し大評判となった。 1941年戦争のため廃業、嫡男が戦死したため再開できなかった。

※久吉は土用丑の日は休業し、うなぎを見沼用水に放してうなぎ供養をした。

※うなぎを竹製魚篭に入れ見沼代用水の中に入れ、注文があると魚篭から鰻を取りだし調理した。 見沼代用水は藍染にも用いられていたため、藍染め洗い中は魚篭を引き上げた。

※現川口市坂下町1-1

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☆土用の丑の日
 江戸時代の鰻屋、この日は暑い時期であり・冷蔵保存もできないため、客をさばききれず休業とする店も多かった。


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