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三ッ井戸 [さいたま]

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○三ッ井戸
 所沢市西所沢1-26-20

 弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。

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 旅の途中の弘法大師が水くみの大変な状況を見かね、教えてくれた場所に掘った井戸だといわれます。

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 ある夏の暑い日、旅のお坊さんに水を求められた農家の娘は、わざわざ遠い井戸まで出かけ、冷たい水を汲んできてあげました。 娘の苦労を見ていたお坊さんは立ち去る前に三つの場所を示し、ここに井戸を掘るようにと言い残していきました。 不審に思いながらも村人たちがそこを掘ると、深く掘ることもなく水がこんこんと湧き出たのです。 のちにそのお坊さんは弘法大師であったという話が広まりました。 三つの井戸のうちひとつは、西所沢駅にほど近い「弘法橋」のたもとに今も残されています。

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Takorozawa_1937c1937年

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☆所沢市名の由来
 所沢市の市章は、中央にヤマイモ科の「ところ(野老・薯蕷)」の葉三枚、その回りに三つの「ワ」を図案化している。

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☆サツマイモ始作地・所沢市南永井439-7
 寛延四年、吉田弥右衛門が息子の弥左衛門に上総国の種いもを購入させ・栽培したのが周辺へ伝わった。 以降、集散地名をとった「川越いも」として全国に知られるようになった。

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Saitamakansyo埼玉甘藷

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☆福猫塚・所沢(現存しない)
 桶屋職人喜平次が飼う猫、夜には手拭いをかぶり踊っていた。 そこでエビス講の日に、猫にご馳走して家を出てもらった。 家を追い出された猫、やがて料理屋・和泉屋に棲みつくと、店は大繁盛し・福猫とよばれるようになり、まわりには松葉屋・坂口屋・武蔵屋など料理屋ができ繁昌した。 福猫が死んだあと、所沢の弥五郎が塚を築き・堂を建てると、商売繁昌の守り神となった。


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