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日本橋鮒佐 [さいたま]

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☆日本橋鮒佐・中央区日本橋室町1-12-13

 大野佐吉が品川沖でシケに遭い佃島に流された折り土地の漁師に雑魚の塩煮をふるまわれ、これをヒントに文久二年醤油で味付けした佃煮を売り出した。

※当初は鮒を串に刺し・タレを付けて焼いていたので、「鮒屋の佐吉」とよばれたのが「鮒佐」となった。(鮒寿々め焼)

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横線540透明

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☆鮒佐・浅草橋
 文久二年に船橋の大野佐吉が「鮒佐」創業、「鮒の雀焼き」を商った。 明治時代に店舗拡張、1941年8月休業、1947年9月営業再開。

☆佃煮・鮒佐
 徳川家康江戸転封のさい、摂津国佃村の漁師達に家臣の賄いをまかせた。 漁師らは穫れた魚を江戸城に納め、余った魚を塩ゆでにし保存食とした。 これを知った商人が売るようになり、江戸中期千葉より醤油が入るようになり、醤油煮の佃煮となった。  文久二年大野佐吉が浅草橋で「鮒のすずめ焼き」を冬季限定で販売、その後泊めてもらった佃島漁師家の「小魚の塩煮」をヒントにエビやアサリの佃煮を考案した。

☆シラウオ
 江戸時代佃島ではシラウオが穫れ、将軍家に御本丸御用と献上された。
※シラウオの頭に「葵の紋」が透けて見えたといわれる

☆佃島、中央区佃1・
 白魚献上のため大阪佃村漁民が移住した。 出漁無制限・通行特権あり、と特別待遇だった。 
※大阪方を探る目的だっともいわれる。

Tsukuda_shirauo

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