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泣虫稲荷 [さいたま]

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○泣き虫稲荷
 志木市中宗岡1・せせらぎの小径 

 昔、隣村から宗岡に嫁いできたお嫁さんに、男の子が生まれましたが、この赤ん坊の夜泣きが激しく、それが原因で体をこわしてしまい、実家で養生することになりました。 ところが、実家への帰り道、草むらの中の小祠を見つけたので、赤ん坊の夜泣き治癒を祈願して帰ったところ、不思議にもその晩から赤ん坊の夜泣きは止み、お嫁さんも健康を回復したということです。 それ以後、夜泣きを治すお稲荷様として、あつく信仰されてきたといわれています。

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☆泣虫稲荷
 となり村から宗岡村に嫁いで来たお嫁さんに、1年後に男の子が生まれ家族から祝福されたが、この赤ん坊の夜泣きには家中が閉口した。 苦情に困りはてたお嫁さんは、赤ん坊を背負って家をぬけ出し、暗い野道で夜を明かす日が続き、睡眠不足から体をこわしてしまい、実家で養生することになった。 実家への帰り道、草むらの中にあった小さな祠が目にとまったので、「この子の夜泣きがどうか治りますように」と心からお願いして帰ったところ、不思議にもその晩から赤ん坊の夜泣きはピタリとやんだのである。 おかげで熟睡もでき、すっかり健康を回復したお嫁さんは、嫁ぎ先へ戻る途中、白い米のだんごを買い求め、その祠にお供えして心からのお礼としたのである。 その話を聞いた同じ悩みを持つ母親達が、この祠にお参りをするようになり、夜泣きに苦しむ家もなくなった。 そしていつしかこの祠を、泣き虫稲荷と呼ぶようになったという。

☆泣虫稲荷・大熊稲荷
 古くは大熊家屋敷神、農地解放で内田太郎家の屋敷神となり・おビシャ講ができた。 子供の夜泣き・カンノムシに験あり、お願生果しはメザシだった。

※正式な祈願方法は、油揚げを供え・蝋燭を灯し・香を焚き、祠床下の土を一握り持ち帰り・土を紙に包んで手拭いで包み・夜泣きは枕の下に敷き・痛みは痛む所の下に敷いて寝る。 お願生果しは、自宅の土を倍にして元に戻す。

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○一里塚
 志木市中宗岡3-1

 奥州街道(甲州道)に設置されていた。

 四基の石塔を根元に置いて榎の老樹が枝を張っていたが、平成10年8月6日に倒れ、今はその姿はない。

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☆三つ子稲荷・三ツ子稲荷
 志木市本町3-2-30・角長商店

 安政年間、森田長太郎(角長)が仕入れの帰りに白子坂でうづくまっている狐を連れ帰った。 翌朝子狐が三匹生まれたが、産後の肥立ちが悪く、子狐は次々と市に・母狐も死んでしまった。 これを哀れみ、家人が「正一位三つ子稲荷大明神」として祀った。 大正七年六月に祠改築。


☆西川の地蔵・延命地蔵、志木市本町3-2-29
 イボとり地蔵ともよばれる。

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