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御殿前遺跡 [さいたま]

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○御殿前遺跡・西ヶ原貝塚
 東京都北区西ケ原2

☆豊島郡衙正倉
 律令時代の米を収めた倉を復元しています。 御殿前遺跡(豊島郡衙一帯)と七社神社前遺跡(七社神社南方一帯)の発掘調査の成果を元に、文献や後の時代の倉の構造等から推定したものです。

*古く石神井川(谷田川)が氾濫するため床が高くなっていると考えられる。 このため、後に隅田川へ流れを落とすため飛鳥山北端を切削したのではないか…

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○北区飛鳥山博物館
 東京都北区王子1-1-3、月休、03-3916-1133

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○赤羽台第3号古墳石室
 現在、都内で見ることのできる唯一の石室。
※もう一箇所大田区にあるが、個人所有なので見学不可。

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☆御殿前遺跡は、先土器時代から近世にわたる複合する遺跡です。 なかでも奈良・平安時代に造られた建物の跡は、武蔵国豊島郡の郡衙(地方役所)と推定されています。 古代の武蔵国には21の郡が置かれ、現在の東京都は豊島郡・荏原郡・多麻郡にあたります。 この豊島郡衙の中心部分がこの一帯です。

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☆西ヶ原貝塚は、東京都を代表する貝塚の1つで、古く明治十一年頃にはすでにその存在が知られ、これまでに坪井正五郎博士をはじめとする多くの研究者によって調査されてきた。 貝塚は東西約150m・南北約180m、平面形が馬蹄形を呈する大規模なもので、分布の中心は、ほぼ現在の飛鳥中学校の校庭のあたりにあったものとみられているが、今日では宅地化が進み、地表から貝塚の存在を確認することはできない。 これまでに行われた発掘調査によって、貝塚の形成は縄文時代の中期後半頃(約4200年前)から始まり、後期後半頃(約3200年前)まで続いていたことがわかっている。


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