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戸田市立郷土博物館 [さいたま]

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戸田市立郷土博物館(戸田市大字新曽1707)

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木曾街道六十九次 木曾街道・蕨之駅・戸田川渡

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Toda06伊香保志・戸田橋

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○戸田橋
 明治六年東京の堀・天野両人が埼玉県庁に戸田橋架設を出願、同時に東京の市川代次郎も吊橋を出願。 明治七年堀・天野両人による木橋認可されるも、自己都合により長野士族正木誓・東京小池新兵衛らに権利譲渡。 
 明治八年五月二十日戸田橋完成するも、費用がかさみすぎたため通行賃を徴収することとなった。
 明治十七年上野~高崎間鉄道開通により徴収橋銭激減し橋銭徴収期間延長するも、橋修理補修費用がかさみ、ついには政府に没収されてしまった。
※人足は一人五銭・駕籠長持ちは三銭~一銭五厘・馬車は十二銭五厘~六銭二厘五毛・人力車は一銭五厘~一銭、など。 明治二十六年には値下げされた。

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☆美女木
 流鏑馬の飛射騎が源。 
※「美女が来た」とする説も多数ある。


☆戸田の昔話
 おんめさんとムジナ・弘法大師のゴマぼたもち・ムジナとおじいさん・日蓮上人と石芋・地蔵堂と中山道の話・狐に化かされた話・梅の木稲荷のお話・戸田の狐の話・十日夜の話・

☆戸田の伝説
 八まんさまの鐘・かっぱの金さん・鶴ではなかった話・お水もらい・かっぱの子・子安まんだら・狐の嫁入り・びくに田・蘇民将来・

☆戸田の伝説
 八まんさまの鐘・かっぱの金さん・鶴ではなかった話・お水もらい・かっぱの子・子安まんだら・狐の嫁入り・びくに田・蘇民将来・

☆弘法大師のゴマぼたもち
 大師様が修行旅の途中で立ち寄ったのは戸田の農家、ぼたもちをご馳走しようとするも小豆が不作で作れず、そこでゴマを摺ってゴマぼたもちでもてなした。

☆梅の木稲荷・下笹目
 五郎右衛門の稲荷は霊験あらたかと評判になった。 名物は「稲荷せんべい」。

☆蘇民将来・羽黒山
 武塔天神が旅の途中、巨旦将来(兄)の家に宿を求めるも断られ、蘇民将来(弟)の家では快く泊めてくれた。 そこで「蘇民将来子孫家也」のお守り札を授けたといわれる。

☆びくに田・比丘尼田
 新曽村福寿院の比丘尼「地芳尼」、大切にしていた田圃をだまし取られ・亡くなってしまった。 それからというもの、その田圃の持ち主に不幸が続いた。

☆狐の嫁入り
 狐の嫁入りが見られたらしい。

☆子安曼陀羅・長誓山妙顕寺
 新倉村領主・墨田五郎時光、妻が難産で苦しむとき、通りがかった日連に安産祈願のお札を書いてもらい・徳丸を無事出産。 お礼にと日連を追いかけ追いついたのが岸村「つきの宮」、お札が「子安曼陀羅」。

☆かっぱの子
 道満河岸にでた子カッパ、「ネネヤ、ネネヤ」と呼ぶのは母親カッパ。 その地が「ネネが淵」。

☆八幡様の鐘・水鐘
 健保年間、池の底から雷のような音が聞こえ、村人が引き上げてみると鐘。 これを祀ったのが八幡様の水鐘、この鐘をつくと大水になるといわれる。

☆戸田のお水もらいとわらびさま
 日照が続いたときは、戸田八幡様に集まり・代表者が榛名山神社へ参り・榛名の水をもらってきた。 この水を田んぼにそそぐと、たちまち雲がわきおこり雨が降った。 ただし、水をもらっての帰り道は止まってはいけない、止まるとその地に雨がふるらしい…

 「わらびさま」は村民達に慕われる殿様、戦で負け逃れるも・目前には広く大きい川、もはやこれまでと自害した。 そして奥方は侍女とともに榛名湖へ身を投げ、奥方は龍神に・侍女達は蟹となり、「村が日照のときは雨を降らせ・また雹から作物を守る」と約束した。
※広く大きく見えた川は蕎麦畑だったので、当地では畑に「そば」を植えなくなったともいわれる。  


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