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吉原 [むかしむくれて]

Yoshiwara_oiran

○花魁 (遊郭)

※吉原禿や新造が「おいらの太夫」とよんだので「おいらん」、 京都島原遊廓では「こちらの太夫」とよんだので「こったいさん」。(多説ある)

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Yoshiwara72c☆吉原

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横線540

☆吉原遊女の指切り
 小塚原で女処刑人があるたびに小指を買い求めた、といわれる。

☆ひやかし・冷やかし
 浅草周りで紙漉きをしていた職人達が、古紙を煮てと溶かし・冷えるのを待つ間、吉原遊郭に遊女をからかいに行った。 ので「冷やかし」。
※素見千人 客百人 間夫が十人 色一人

☆花魁道中
 妓楼のある江戸町~揚屋のある京町を、太夫や花魁が煌びやかに歩いた、江戸と京への往復というので「道中」。

☆郭
 古くは曲輪、遊女屋の密集した地域は城のように堀や塀で囲われ・出入り口の大門は城の大手門に似ていた。

☆ヨシが生えている地だったので「葭原」とよんだが、験が悪いというので「吉原」としたらしい。

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Kashiramoji☆遊女の三ッ子・嘉永二年五月

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☆采女塚
 寛文年間新吉原雁金屋の遊女「采女」に心を寄せた若い僧侶が師から固く制され悩んだ末、雁金屋の前で自害してしまった。 采女は悲しんで浅茅ケ原の鏡が池に身を投げた。 時に十七才。翌朝、草刈りの人たちが

 名をそれとしらずともしれさる沢の あとをかがみが池にしずめば

としるした短冊を見つけ、采女とわかり・塚に葬った。

※保元寺(法源寺)・台東区橋場1-4-7
※出山寺・台東区清川1-13-13

Hougenjic保元寺

Dayuub

Yoshiwara_takao高尾揚屋入図

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Ehon_shinyoshiwara

横線540透明

Yoshiwara_siebold新吉原大門口

Yoshiwara_daimonc吉原大門口(新吉原)

Kozukaharac小塚原石地蔵


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