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霧積温泉の昔 [ぐんま]

Hanamagari61

○霧積川
 金洞の滝を中心に三十軒ほどの宿があったが、明治末期の台風土砂崩れでほとんどの宿が流された。

※鼻曲山より浅間山
 鼻曲山(天狗山)には天狗が住んでおり、四月十五日には天狗が湯入りにくるといわれ、この日の風呂は天狗様専用となり一般客は締め出された。

グンマの伝説 について

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金湯館

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霧積館(2012年4月閉館) 

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○霧積温泉
 古くは「犬の湯」「入の湯」とよばれ、1880年碓氷温泉金湯社が設立されて大温泉地となったが、1910年水害によりほとんどを流失した。
※「人間の証明」の舞台となったといわれる。 伝説も多い。

○十一歳忌み(慈悲心鳥)
 ある昔、母が子供を連れ温泉にきた。 しばらくすると、温泉の湯がバッタリと止まってしまった。 そして天狗が現れ「山の神の祟りがあった。 11歳の子を生贄として差し出せ」 11歳の子は他にいなかった。  しばらくすると湯がでるようになり、そこには母の姿があった。「私の子供を見かけませんでしたか、その辺に居ませんでしたか、十一の子・十一の子」。 やがて母は鳥となり山中にとどまり「ジュウイチ・ジュウイチ」と鳴き続けるようになった。

※十一は歳ではなくて名前だったとの説もある。 
※また二歳の子供も連れていくなとも言われた。 伊香保温泉にも、「二歳忌み」があった。

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《グンマを話そう》
○猟師と山男(霧積)
 猟師が霧積の奥の岩場にトヤバを作って泊まり込んでいると、ある晩「今夜一晩泊めてくれ」と気味の悪い声がした。 そのうち、獣のような足が小屋の中に入ってきたので、アイクチで足を刺すと消えてしまった。  翌朝、川づたいでお湯の湧き出ている所に来ると、白髭の爺さんが足の傷をお湯で洗っていた。「悪いやつじゃなさそうだな。急いで家へかえれ。子供が火傷しているからこの湯を汲んでいって洗ってやれ」
 猟師が急いで家へ帰ると子供が大火傷をして泣いていたので、汲んできたお湯で洗うとみるみるうちに治った。  こうして「霧積の湯」は「猟師が見つけた傷によくきくお湯」といわれるようになった。

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○天狗の洗湯
 歌川国芳、天保十四年(1843年)~弘化四年(1847年)頃

☆こだま
 「木魂」が源、木の精が答えると考えた。


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