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長野原伝説 [ぐんま]

Ishinashi

(石梨の木)

○「おきゃくまんま」とは米の飯。 お客専用だった。

○「三杯汁は馬鹿がする」といわれた。

○「女のもつべき穴一つ ささんとすれば毛がもじゃもじゃ つばきをつけてねじりこめ」、は針のこと。

○お供えを射ったら中から白い鳥が飛びだし・その家は貧乏になったので、「お供えを射てはいけない」。

○お熊野様の洞窟に鶏を放したら、鶏は越後へ出たといわれる。

○カッパが法印さんに教えたのが「骨接薬」、女人だけが作れたらしい。

○ダイダラボッチが高くしたのが浅間山・残った一もっこ分の土が小浅間・丸岩と有笠山はおむすび。 
※丸岩と王城山を天秤棒でかついできたという話もある。 折れた天秤棒が棒岩とも。

○つけもんの味をほめてはいけない。

○どうしん(ホイト)が死んだのがどうしん岩。

○まつば沢など多くの地域でには「アズキトギ」がでた。 
※地域によっては、アズキサラサラ・アズキアベロ・アズキアライ、などともよばれる。

○よそから来た七人の浪人を斬ったら祟りがあったので、供養したのが「七人神」。

○温泉が出なくなったので鶏を生贄にしたら、再び湯が湧きだした。 「お湯わいた、お湯わいた」と湯をかけ合ったのが→「お祝いだ、お祝いだ」と変化したのが、川原湯・湯かけ祭り。 
※ゆで卵が温泉の匂いなので生贄にした。

○何でもかんでもいらないものをぶちゃったのが六合村赤岩須川の「じじいっかけ」。 じいさんもぶちゃった、はいあがってくれば「丈夫で働き者」と歓迎され・はいあがれなければそれで終わった。

○咳の神様といわれたのが「しょうづかばあさん」、こうせんを供えるのて「こうせんばあさん」ともいわれた。(奪衣婆・葬頭河婆)

○干ばつで入定したのが「おつかさん(そばがら塚)」、塚の上に上がると祟りがある。 
※行者が入定した「行人塚」・法印が入定した「入定塚」もある。

○京都から来た人々が住み着いた地が「六合村・京塚」、美人が多いといわれる。 
※京都から持ってきた「金の茶釜」があるといわれる。

○琴橋のカッパの淵・六合村赤岩・仙峩滝などで、カッパの目撃情報あり。 
※大蜘蛛のはなしもある。 ※カッパに川に引き込まれないようにするには、「カワマグレ餅」が有効。

○犬がお伊勢参りをしたのが「犬塚」。

○犬が単独で、お伊勢参りをしたのが「犬塚」。

○見張台として使われたとされるのが「丸岩城」。

○源頼朝が顔を洗ったの地が「須賀尾」、素顔のダジャレ。

○源頼朝が喉が乾いたので、弓(槍)の先で掘ったのが「こじりの水(こわしみず)」。 首をかしげたのが「はてなの茶碗」。

○源頼朝が狩りで泊まった地が「狩宿」・多くの馬を連れて通った地が「万騎峠」・殿様が住んでいたの地が「御所平」。

○源頼朝が川原湯に来て、風呂に入るのに脱いだ着物を掛けたのが「敬業館前にあった石」。

○弘法大師が杖を地面にさして水を涌かせたのが「弘法井戸」、酒が出た所もあった。

○弘法大師が木になっている梨を一つ求めたが、おばあさんが「石のように固くて食べられない」と拒否した。 その後、本当に食べられなくなったのが横壁の「石梨」。 
※食べても美味しくないらしい。 
※石芋バージョンもある。
※ここでの弘法大師とは、大子(大師様)とよばれる神の子のことらしい。 弘法大師(空海)三十三歳で支那にて仏法の修行・帰国後高野山を開き・ほとんどを京都人々に尽くした。 弘法井戸の多くは御大師様によるものともいわれる。
※弘法大師(大師様)は怒りすぎ・やりすぎ、との噂もある…

○時計代わりにしたのが「昼岩」、山頂に太陽が見えればお昼。

○人身御供のはなしも伝えられている。

○西行法師が詠んだのが「萩のはねぐそねこれも初なり」。 
※もっとキワドイversionもある。

○昔、丸岩と王城山が喧嘩をして、丸岩は片方の耳をとられた。 
※丸岩の欠けている部分のこと。

○昔、浅間山と富士山は姉妹だった。 あるとき高くしようと競争し、終わりの合図で妹は止めたが・姉は土を盛り続けた。 このとき妹が次にと用意した土が小浅間。 
※猿と鬼(または狐)が競争したという地域もある。

○昔、白根さんが里芋の殻ですべっり胡麻の殻で片目を傷つけたので、里芋と胡麻は耕作禁止。 
※キュウリが作れない地域もある、食べるのはOK。

○川原湯の不動様は金でできていた。

○浅間山を造るとき、もっこに入れて運び上げるために用意したのが小浅間。 
※山を造ろうとしたのは、ダイダラボッチ・天狗様・狐など地域により異なる。

○草津電鉄のスイッチバックだったのが「二度上駅」。

○損馬をぶちゃったのが「獅子の廊」。
※ソンマオトシともいった。

○大臣家のお手伝い「おたけ」は自分の食べ物をけずり困っている人を助けた、「おたけ如来」ともいわれた。

○大石が子を生むのが「生石伝説」ツブラッコ様。 地域によっては、子授け信仰となっている。 

○槌谷の滝の主はヤマメ、つり上げたヤマメが「シロソウヤ」と呼ぶ声で滝へ飛び帰った。 
※「槌谷のせんへオレをかえせ」と叫んだとのはなしもある。

○天狗が貸椀をしていたのが「堂山」。 
※出岩や天狗山にも天狗が住んでいたが、迦葉山の天狗とは不仲だったらしい。 
※貸椀伝説は、林と長野原の二カ所に残る。

○白根の神が怪我をしたので、里芋と胡麻を作ってはいけない。

○白米を流して水に見せかけたのが「岩櫃白(白米城)」。 善導寺のおばあさんが、吾妻太郎を裏切ったので落城した。 おばあさんは五月五日に榛名湖に入水したといわれる。

○半夏(ハゲン)には、ネギ畑に入ってはいけない。

○比丘尼さんが殺されたのが「比丘尼塚」。

○与喜屋には、キノコのお化けがでた。

○林の空通りに住んでいたのが力持ち「よじゅうどん」、飯四十人分とおつけ二十人分食べて動かしたのが「よじゅう石」。 この地に広く伝えられている。

○六日年(一月六日)に一番はじめのご飯を便所で食べる一族があるらしい。 
※一月二日に鬼が年始の挨拶に来た地もあったらしい。

○六里ケ原には追いはぎがでた。


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