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グンマの昔:群馬鉄山 [ぐんま]

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群馬鉄山
 1941年六合村入山で発見された鉄鉱石は群馬鉄山として採掘が計画され、搬出用に渋川~長野原間(44.7km)に鉄道が敷設され、三か月で完成した。 
*当時の戦況下で商工省では地下資源を欲しがっていた。

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 鉄鉱石は空中ケーブルで太子駅に運ばれ貯鉄されたが、採掘量が輸送量を上回り鉄鉱石の山となった。(太子鉱山ともよばれた) さらには、水分・不純物を取除き純度の高い鉱石を送り出そうと、焼結工場か建設された。 この焼結工場の煙突から出た赤黒い煤煙・亜硫酸ガスは、地上を赤く染め・植物は枯れ・山林は赤く・村人は咽喉を痛め・家畜も倒れた。 1952年、焼結工場は停止された。  

 1945年吾妻線開通、渋川~長野原は国鉄、長野原~太子は日本鋼管線。 実質的には鉱石列車であったが、戦争が終わると鉄鋼石輸送は途絶え・客車がないので貨車で人員輸送を行うようになった。 突貫工事だったため線路脇に余裕がなく・沿線火災が相次いだため、「放火列車」ともよばれた。(四年間で百五十五件といわれ、大火になったこともある) その後、長野原線と改称・ディーゼル化され、1959年には吾妻線:長野原~大前まで着工がむ決まった。 
※当時は「吾妻鉄道株式会社」をつくり、信州上田まで結ぶ「吾妻縦貫鉄道」との声もあった。

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