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グンマ地名伝説 [ぐんま]

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○地名伝説、あくまで伝説

○明戸坂(あけとさか)
 小倉季氏がこの坂を通ると日輪が輝いたとか、鹿島・香取の神がこの坂を通ると夜が明け始めた、ともいわれる。 ※アクト・アクツが源らしい。

○稲含山
 神が唐から種籾を口の中に隠して持ち込んだとされる。

○入の湯
 猟師が山中深く犬が傷を癒している湯をみつけたので「犬の湯」が源。

○歌川町
 藤原定家と藤原家隆が、烏川を渡れず歌を詠み合ったとされる。

○姥が懐(うばがふところ)
 平井落城で上杉憲政の嫡男竜芳君が姥もろとも自害した。

○海老瀬(えびせ)
 弘法大師が渡良瀬川を渡ろうとしたら。大海老が橋代わりになった。

○老神(おいがみ)
 日光の神との戦いに敗れた赤城の神が傷を癒したとされる。

○大渡
 豊城入彦命が渡った。

○小倉
 白滝姫が相生峠で休んだおり、風景が京都の小倉に似ていた。

○乙父と乙母(おっち・おとも)
 木曽義仲の四天王の一人今井兼平の遺児を忍んで夫婦が別れ住んだといわれる。

○鬼石(おにし)
 弘法大師が御荷鉾山のカシャ鬼を退治するさい、鬼が石を投げて抵抗した。

○小野(おの)
 小野小町が源。 ※小野子は「男(おのこ)」が源との説もある。

○笠懸野(かさかけの)
 源頼朝が流鏑馬の際、笠が風に吹かれて飛んだので射手が弓で射ち落とした。

○迦葉山(かしょうさん)
 中峰様が天狗とともに現れ、迦葉仏の生まれ変わりだ、と言った。 ※カシオ・カシウが源との説もある。

○鎌倉
 最妙寺入道時頼が、風景が鎌倉に似ていると言った。

○神流川(かんなかわ)
 上野村楢原・高天原の神々が戦い死んだ神様が流されてきた、ともいわれる。

○袈裟丸山(けさまるやま)
 弘法大師が寺建立をあきらめたさい、着ていた袈裟を丸めて投げた。

○五大(ごだい)
 碁が大好きな男が仙人と碁を打っているうちに、五世代経てしまった。

○五目牛(ごめうし)
 源九郎義経が牛に乗ってきたところ、牛が死んで石となった。 その牛には目(模様の意)が五つあった。

○子持山(こもちやま)
 子持御前が源。

○鹿田(しかだ)
 笠縣村では鹿に田畑を荒らされたので、鹿餌専用の鹿田をつくった。

○塩売原(しょうじっぱら)
 武田勢と上杉勢が戦っていたとき、原で塩を売っていたとされる。

○高崎(たかさき)
 井伊直政が放した鷹が留まったので城地とし「鷹崎」。

○高墓(たかはか)
 源頼朝が愛犬高白を葬ったとされる。

○只上(ただかり)
 藤原秀郷に首を切られた平将門が最後に一言「ここまで来たのにタダアガリになった」。※唯明が古名との説もある。

○橘山
 日本武尊命が弟橘姫を忍んで「あづまはや」と言った。

○月夜野
 源順が山の端にかかる月をみて一言「ああ、よき月夜かな」。

○那須
 那須与市宗高が住んだとされる。

○仁王階戸・入階戸
 観音堂には仁王様。

○箱田(はこだ)
 木曽義仲の遺臣が御神体を運ぶ途中、村人にその箱の中は何だと問われて一言「ただの箱だ」。

○花咲(はなさく)
 日本武尊命に討たれた悪者の妻一行がこの地で死に絶え石となり花が咲いた。

○花敷
 源頼朝が一首「山桜咲きし梢の花敷きていろは深みの湯にぞ入るやま」。

○伴木(ばんぎ)
 善長寺開山大雲推俊が毎日夕刻に通った橋を「晩帰橋」。

○飯米場(はんまいば)
 源頼朝が三原野狩のおり、飯米わ炊かせた。

○藤岡
 日連上人が富士浅間宮を勧請したので「富士岡」。

○藤原
 阿部貞任・宗任一族が山中に隠れ住んだが、川に流れた藤と藁で見つけられたので「藤藁村」。

○渕名(ふちな)
 垂仁天皇時代、天候不順のこの地に神々が集まり、雨を降らせ池を渕と変えた。

○三夜沢(みよさわ)
 高野辺大将家成の嫡子が、父妹を忍んで社を奉幣し三日間逗留した。

○宗高
 那須与市宗高がこの地で病疫した。

○持柏木(もちかしわぎ)
 弘法大師が一詩「湧き水にあつさをしのぐ旅衣 しばし休まん待てや柏木」。

○持倉 
 先祖がこの地に住み着いたさい、乗り鞍を持ってきた。

○米沢
 上杉勢に攻められた渋川氏が、白米を滝のごとく流し水があると見せかけた。

○竜宮
 天正十九年、阿感坊がこの地から竜宮に入宮した。


※伝説は後からできるものである。


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