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群馬の古墳 [ぐんま]

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○群馬の古墳
 三世紀中頃から古墳が造られ、四世紀~六世紀は古墳時代となった。 古墳は、その土地を治めた有力者の墓であり・階級社会のシンボルであった。
 群馬では肥沃な利根川水系を中心に水田耕作が広がり、近畿地方から多くの人々が入植し、やがて人口が増えると階級社会が確立し・各地に豪族の出現をみた。 これら豪族達は大和・中央政権とつながりを持ち続けたので、大和国に匹敵する古墳群が築造された。

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○金銅製飾履
 箕郷・谷ツ古墳から出土された、銅板細工に金メッキを施し・ガラス玉を銀輪留したとされる。 実際に履くことはできず、儀礼用・葬礼用といわれている。
※谷ツ古墳は、一辺が約20mの方墳・部分的に石だけで築かれた積石塚なる構造でをしている。

Kofun12

Mitsudera35

三ツ寺遺跡


○東国一の古墳国
 四世紀に入ると東国にも古墳が築かれるようになり、八世紀初頭まで続いた。 グンマには一万基以上の古墳があったといわれる。  東日本最大の古墳は「天神山古墳」墳丘210m、他に「倉賀野浅間山古墳」171.5m、「白石稲荷山」175m、がある。

○岩宿遺跡
 1946年発見された岩宿遺跡は、日本列島における人類活動の歴史が縄文時代から始まったという通説を覆し、旧石器時代の遺物と認められた。


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