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玉村八幡宮 [ぐんま]

Tamamura

○玉村伝説(玉村町)
 今から約1100年前のできごと、天災や不吉なことが続いていたので、国の役人は火雷神社にてお祓いをすることにしました。 そのとき、この地を治めていた「那波八郎廣純」という武士も連れて行きました。 祈りを続けて7日目、突然怪物が姿を現し、神鏡を奪おうとしましたが、廣純は刀を振ってその首を切り落としました。 このとき、怪物の折れた角を川に投げ、後に淵になったところが、玉村町の「角渕」、切った手を捨てたところが玉村町の「上之手」(神の手)であるといわれています。

 天慶年間(938~947)、沼田(五料地域、現伊勢崎市柴町・ハ斗島町)に住む美しい娘がいて、錦野の里(玉村地域)に住む若者と相思相愛の仲でした。 しかし、彼女の美しさを知ったその土地の豪族が、平将門に差し出すことを企てました。 これを知った娘の父親は、娘を若者のもとへ走らせましたが、追手に錦野の里を流れる矢川のほとりに追い込まれ、ついに川へ身を投げてしまいました。 このとき、駆けつけた若者も同じく身を投げてしまいました。
 その後、この川に光る二つの碧玉が漂うのを見た村人は、娘が「龍人」の化身で、玉は「龍人のあぎと(あご)にある玉の精」と考え、この玉を拾い上げ、近戸大明神として祀りました。 しかし、利根川の洪水の中に龍神が現れ、竜巻を起こして祀ってあった碧玉を持ち去ってしまいました。そこで、村人は残った碧玉を二重の箱におさめ満福寺に祀りました。 その後も洪水がよく起こったため、新たに新田村(上新田・下新田)をつくり、龍の玉によりできた村であるため、玉村と呼ぶようになりました。

※玉村
 中世には玉村御厨(南玉と北玉を含む)とよばれ、中世後期には玉村七郷・玉村十五郷と広くよばれ、宿場が置かれると玉村宿となり、今の玉村町となった。


Tamamura_karai62○火雷神社・玉村


Fukushima_funabashi上福嶋船橋道

玉村町 について


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