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将軍塚古墳 [ぐんま]

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○将軍塚古墳(元島名町)
 四世紀始めに築かれたグンマ最古の古墳(前方後方墳)。 古墳の形が東海地方西部のものに似ていることと、発掘された土器が東海地方西武のものに似ていることから、三世紀頃に東海地方の人達が移住してきたのではないかともいわれる。
※伊勢湾~東京湾~荒川~利根川と遡上したらしい。

○元島名将軍塚古墳
 元島名将軍塚古墳は、井野川の近くに位置する前方後方墳窟買韻。長さ96m、方部幅51m・高さ8,6m:前方部幅40m・高さ4.7mで、周堀(古墳のまわりの堀)を含めた全長は150mと推定されています。 墳丘に石は無く、周掘は不定形で深さは0・3mほどです。 造られた年代は、墳丘の構造、副葬品、土器類などから様々な説がありますが、量的にも安定している土器群の年代から、4世紀代に井野川流域で初めてつくられた大型の前方後方墳と考えられています。
※石室を作らずに粘土で郭室をつくり葬った。

☆元島名将軍塚古墳・周濠(周堀)出土の土器
 将軍塚古墳は、元島名町ある墳丘全長95mの前方後方墳で、4世紀前半に造られたと推定されます。前方部頂上には島名神社が鎮座しています。
 明治四十四年の社殿建築工事の際に前方部が一部掘削され、その時に埋葬施設である全長1.8mの粘土槨(ねんどかく)が発見されました。 粘土槨からは、鏡・石釧・木片(棺の一部の可能性がある)が出土し、現在は東京国立博物館に保管されています。 また、頭骨の破片・やりがんな・刀片・粘土の塊(粘土槨の一部か)などもみつかっています。
 1980年におこなわれた発掘調査では、後方部北東側の裾部と北東側くびれ部の裾部から、底部に孔のある壺形土器(底部穿孔壺)が出土しました。  これらは出土状況からみて、後方部の頂上に並べられていた土器が、裾部へ向けて転落したものと考えられます。
 壺形土器(底部穿孔壺)は、東海地方西部のものに形態が類似しています。 指定されている土器は、現在高崎市歴史民俗資料館に展示されています。


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