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伊香保大明神 [ぐんま]

Ikahojinjya22

○伊香保大明神
 伊香保姫に横恋慕をした国司大伴大将が略奪を企て、防戦しきれなくなった伊香保大夫は伊香保姫・石童御前(長女)・有御前(次女)らを連れ児持山へ逃げ入った。 このさい、伊香保姫の夫高光中将と伊香保太郎宗安が戦死した。

 この話を聞いた京の帝は軍勢を向け、伊香保姫を国司とした。 かくして、伊香保大夫は九十八歳・奥方は八十九歳で亡くなり、石童御前と有御前が伊香保姫と一緒に暮らし、高光中将の甥恵美僧正が別当となると高光の遺骨を収めた寺に「水沢寺」の額を掲げた。(岩滝沢の岸にあるので水沢寺)
 しばしして、伊香保姫・石童御前・有御前は伊香保沼に身を投げ、その身は水沢寺に葬られた。
 伊香保奥方は伊香保大明神、伊香保大夫は早尾大明神、大夫の妻は宿禰大明神、有御前は有御前のまま、石童御前は石童明神、中将の姫君は若伊香保大明神となった。
※伊香保大明神は赤城大明神の妹

 光仁天皇の御代、国司柏階の大将知隆が巻りで伊香保沼に馬・鹿を沈めた。 その夜夢枕に一人の女が現れ、一夜にして山を造り・伊香保沼を動かした。 恐ろしがった国司は、里へ下る途中岩滝沢の横枕で一頭の鹿を追い出し・水沢寺本堂に逃げ込んだところを射止めた。
 寺から追い出された国司は激怒し仁王堂に火をつけ・水沢寺は焼け落ちた。(三月十八日)  そこで、伊香保大明神は沼平に石楼を造り、山の神々を遣わし、蹴鞠遊びをしていた大知隆とその代官右中弁宗安を旋風とともに巻き上げ、その中へと追いこんだ。(山の神たちが大きな石を積み重ねて楼としたので石楼山ともいう) 石楼は焦熱地獄と化し、この山の北麓の北谷沢の冷水が熱水に変わった。(涌の峰)

 大宝元年三月十八日差出山に水沢寺が建てられたとき、大工の妻子が渋河保の郷戸村の湯で洗濯をしていると、老女が現れ「衆生利益の湯を洗濯で汚すとは」と言うと郷戸の湯は消え・北谷沢大崩ガ谷から里湯が伊香保の湯に合流するようになった。


○若伊香保神社(渋川市上有馬)
 976年建立、大己貴命・建御名方命・少彦名命を祀。 1528年洪水により移転、1852年焼失、再建後1947年台風で全壊、翌年復建。

☆枕
 枕は魂の敷物として扱われた。 古くに使われた箱枕(安土枕)、箱の部分に数個の引き出しがあり、貴重品などを入れて寝た。  このことから、「枕探し」や「枕絵」などとなった。


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