SSブログ

桐生・金山城伝説 [ぐんま]

Kanayamashiroc

○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

横線540透明

○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入った瓶」三つを、塩之瀬のどこかに隠したらしい。

○梅田・西方寺には大力和尚がいた。寺の大梵鐘は、武州熊谷まで届いたといわれる。

○天平宝字年間、山田舎人が白滝姫を嫁とした。 この白滝姫が山をみて京小倉山に似ているといったので「似田山」、その地を「小倉」とした。 そしては、養蚕・糸操り・機織りを似田山の人々に教えたのが桐生織物の始めといわれる。 亡くなったのち骨を大岩の下に埋めたので、この地を「大岩」とした。 この大岩は「降臨石」とよばれ、天から落ちてきた岩とされる。

○日限地蔵(石造延命地蔵)には、日にちを決めて願掛けする。

○暗闇沢の合戦  1503年、家老萩田備後守が野州小俣城(城主渋川相模守義勝が参勤で留守であった)を暗闇沢より攻め入ったが、未の刻突如一天かき曇り・大暴風雨となり、萩田備後守勢は投石・投丸太に当たって全滅した。

○貯めたお金を床下の金壷に隠し、毎晩一升升で計っていたのが「九升坊」。 ある晩、修行僧が一夜の宿を求めて戸口を叩いたのを泥棒と間違えショック死した。

○瀧澤山長泉寺の六算大士は、評判の六算除け(易)の大家だった。

○桐生城主奥方が鏡代わりに用いたのが、大形山の鏡岩。 落城のさい、奥方が愛用の手鏡を大石の下に入れ自害した、との説もある。

○大入道か出たのが「入道ヶ窪」。

○火あぶり地蔵
 徳川時代に下久方村で不審火があり、一人の男が冤罪で火あぶりにされてしまった。 その後村人達が地蔵尊を建てたが、次第に赤色となり「火あぶり地蔵」とよばれた。 この地蔵を移動した物には祟りがあり、火あぶりのあった場所にも祟りがあるといわれる。

○関ヶ原の戦いをはじめ、多くの戦いで使われたのが「桐生御旗絹」。 
※源氏の白旗も桐生絹。

○幡随院長兵衛は、少年の頃を桐生ですごした。

○三宝荒神を背負い全国行脚の行者が桐生で一泊したところ、尊像が千貫と重くなったので雷電原坊主山にお堂を建て安置したのが、中央山長福寺の始まり。

○新川畔の弁天の池には白蛇が住んでいたが、大洪水で池が無くなりただの原になってしまった。 それからというもの、変事が続いたので、浄運寺に宮を再興して守護神として祭った。

○吾妻山・とんび岩で天狗に投げられたのは桐生男。 床堀に使った草鞋が神山を汚したので天狗が怒ったとされる。 
※桐生の吾妻山のこと、伊勢崎の鬼門ともされる。

○永正年間、桐生城主八代重綱が休憩をしたさい、清水で茶をたてて献上したところ、この地の水が気に入ったので、この地を「今泉」とした。(岩崎観音・旧小川屋敷)

○光性寺のの愛染明王は、三つの目と六本の手を持つ愛欲の神様。

○1516年、桐生城主桐生重綱が荒戸野で狩中に愛馬浄土黒が倒れ死んでしまった。 その地を「浄土野or焦土谷戸」、重綱の嫡子祐綱(大炊介)が植えた柳が「浄土黒の墓」・伐ると祟りがあるので「人食い柳」ともいわれた。

○干ばつのとき、仲町・常祇稲荷で白狐がケヤキのご神木に現れ雨が降った。

○流された了清坊の本尊阿弥陀様が流れ着いたのが足利・小俣、取れた左手が見つかったのが境野、そこで1854年建立されたのが本燃寺。

○境野町は刑場であり、病田・死田と忌み嫌われていた。 ある時、鎌で怪我をした男が「福田八幡(若宮八幡)」に向かい言った、「この傷を治してくれないとお宮を壊すぞ」。 すると、傷は一週間で治った。 「これは霊験あらたかな福徳の神だ」、というので福田と呼ばれるようになった。 
※境野町には長者塚とよばれる古墳跡がある。

○菱町・塩之宮神社の大石の下にある古井戸には金の瓶が沈んでいるらしいが、井戸を掘ると祟りにあう。 塩之瀬(朝日沢)にも、金の瓶が埋まっているらしい。 ヒントは「きらきらと朝日てっかり山のもと 水はしんしん 雀ちょんちょん」。 
※この田は「雨降り田or三角田」とよばれ、田植えには必ず雨が降るといわれる。

○鎌ヶ淵・跳瀧・長泉渕・御不動渕には、あずきばばがすんでいた。

○「釈迦の湯」は病に効く温泉だった。 あるとき、この露天風呂に入っている女人を覗いた僧侶が、寺を追われ・やがて寺も朽ち・釈迦像だけが残った。

○菱町のホトトギスは「ぶっとつっきった」と鳴く。 菱の里に住む兄弟のうち、兄が食べ物の恨みから弟を切ったところ、腹の仲はアケビがいっぱいだった。 そして自害した兄はホトトギスとなり、弟はアケビとなった。

○天から一匹の竜が降りてきて、村の女衆に竜文織りを伝授すると再び天に昇っていった。 このときの踏み台となったのが「けんずれ石」、爪跡も残っている。 
※後に織物の「茂倉竜紋」となった。

○菱川にあるのが「三年坂」。 昔は急な山道で、ここで転ぶと三年で死ぬといわれた。

○安政年間、菱村の名主山越源右衛門が盗賊に斬られた、と思ったら観音様が真っ二つになっていた。 ので「身代わり観音or胴切り観音」、1848年泉竜寺に奉納された。

○桐生大炊介祐綱が、菱の領主細川内膳の愛馬小雀をわが物としようとしたところ、小雀が下を噛みきって死んだので、その忠誠心を哀れんで「小雀観音」を祀った、その地を「雀谷戸」。

○病に苦しむ人が油揚げをあげると、寝ている間に白狐が飛び越して病巣に黒い印を付けるので、その灸壷にお灸をすえると病が治る、のが菱町黒川「灸点稲荷」。

○大雨の中、稲刈りを終えた村人達が拝んでいたが、刈り取った稲は濡れてなかったというのが、「普門寺・藁干観音」。

○今泉蔵之助が石田三成方として戦ったとき、髻の中に入れていたのが、「宝徳時・薬師如来」。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント