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グンマの昔:宵の山本・明けの山本 [ぐんま]

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《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着き、正月松を飾って祝いました。 しかし後行組が入山に着いたのは年が明けてからでした。  こうして、正月に松飾りをする山本家を「宵の山本」、松飾りをしない山本家を「明けの山本」と呼ぶようになりました。
(上世立の山本氏が落ちのびた時に植えたとされるしだれ栗)

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☆門松を飾らない家
 江戸時代に門松の風習が急速に広がり、古習を守ってきた家々は取り残されてしまった。 そこで、門松を飾らない理由を説明する伝説が生まれたといわれる。
※餅無し正月も同様


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