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伊勢崎伝説(現伊勢崎市) [ぐんま]

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○七夕にはメズラ畑に入ってはいけない。
○子供に新しい着物を買ったらまず七夕様に供える。
○権現山頂上の石に刻まれた文字が読めれば、金の鞍をつけた白馬が飛び出してくる。
○五郎兵衛墓場(石宮)は虫歯の神様。
○半夏の日には笠をかぶるな。
○広瀬川・タネン淵にはカッパが出た。
○広瀬川に流れ着いた矢を祀ったのが太田町・五郎神社。
○八坂堰近くに生える蘆が片葉なのは落人の怨念。
○宮子町にキリギリスがいないのは宮子大明神の髭をかじったから。

○平家一族がヤナギの箸を地に挿したのが「逆さ楊」となった。
○神宮皇后が菖蒲・蓬で産湯を使わせたので、節句には菖蒲湯に入る。
○山繭の着物を着て船に乗ってはいけない。
○大鬼が赤城山に腰掛けて利根川の水を飲んだときの足跡が「アシッコ沼」。
○丑という名の子供が落ちたのが「丑が淵」
○宗高町に那須余市を葬った墓がある。
○「剣崎の池」で「オケンサン」と叫ぶと泡が出てくる。
○鍛冶塚は、生きながら墓穴に入った鍛冶屋孫兵衛の墓。
○石田光成が妖怪を退治したのが退魔寺であり、光円橋は光円和尚の名。
○北条氏政が羽黒権現を祀ったので羽黒原となった。
○那波城主が集めた馬を眺め見て選んだ塚が馬見塚。
○淵町・日限地蔵には、「□□日までに治してください」とお願いする。
○1600年頃靱負という人が作ったのが靱負河岸。
○前九年の役を終えた源頼義一行義家が建てたのが柴・八幡神社。

○現代版伊勢崎の七不思議
 住居表示法による新付町名により、緑の少ない緑町・お城の裏門大手町・お城の外だよ曲輪町・町のはずれの中央町・本音のない町本町通り・光の乏しい三光町・坂のない町八坂町、となった。


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