グンマの昔:佐野の渡し場 [ぐんま]
○佐野の渡し場・佐野窪橋
渡し場があったりなかったりという時代を繰り返したとされる。
○佐野の船橋
☆かみつけの佐野の舟橋とりはなし 親はさくれど吾はさかるがへ (万葉集東歌)
ある昔、烏川を挟んで、佐野の里の飯野主馬の一人娘那美と片岡の片岡民部の一人息子小治郎が恋い慕い、夜になると船橋を渡ってあう瀬を楽しんでいた。 これを知った那美の乳母が仲をさこうと、密かに橋板を幾枚か取り外してしまった。 何も知らない二人は隙間から川に落ち暗い流れの中へと消えていった。
☆五十音
万葉集では八十七音、古事記では八十八音が使われた。
2014-03-08 00:00
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コメント(2)
ホームページはありませんが記載された画像を転載させて頂きたく、書き込みさせて頂きます。佐野舟橋に登場する朝日の長者・飯野主馬は本姓三宅(三家・屯倉)で、国特別史跡『山の上碑』を顕彰した僧長利の同族と学説で認められています。更に、謡曲鉢木の舞台、上佐野町吹屋に鎮座する常世神社は長者屋敷跡と伝わり、茶釜やおびただしい数の数種類の古銭も見つかっています。つまり古墳時代から鎌倉時代までの歴史が流れている場所と言うことになります。現在出版予定で執筆中ですが、差し支えなければ上記画像の使用をお許し頂きたい。木曽路名所図會は解像度が低く、文字が読めませんのでご協力を御願い致します。
by 井上正明 (2016-08-10 11:30)
ドンドン載せるべし!
木曽路名所図會は、国立国会図書館デジタルコレクションで探せば見つかる。
by YAMADA (2016-08-10 17:42)