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群馬での暮らし:水沢観音 [ぐんま]

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○五徳山水澤観世音・水澤寺にある六角堂は、宮大工田村八兵衛の最後の作といわれている。  田村八兵衛は、他に大徳寺総門(前橋)・稲荷神社本宮(前箱田町と後家町)・地蔵神輿(箱田町)など作った。
 江戸で作られた仏像を水沢に運ぶ途中、道々で多数の寄進があり、その寄進で次々に仏像が作られかくて六体の仏像に増えたという。 その六体を回転できるように祀ってあるので、左に三度回して願をかけると運が開けるといわれている。
 

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○水沢寺再建
 水沢寺炎上に関して、柏階知隆が帝から処罰される前に、伊香保大明神は当国隣国の山神を集め知隆を伊香保沼東の窪の治平にある小山に石牢をつくり閉じ込め焦熱地獄の責苦にあわせた。 そしてこの山が石楼山と呼ばれるようになった。 そして、冷たい水の流れていた石楼山の北谷沢の水が「極熱湯」となり、人々は「湯の峰」と呼ぶようになった。

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○八兵衛
 水沢観音六角堂・清水の回り舞台・伏見稲荷・前箱田稲荷・大徳寺山門など造った。 大徳寺の山門が嵐で傾いた時に修理にきた八兵衛が一言「八兵衛がきたぞ!」 これを聞いた山門は自ら真っ直ぐになった。

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1920年代

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※上野国国司柏階大将知隆が、鹿を水沢寺本堂に追いつめて射止めた。 これに怒った寺側に押し返された国司は、寺に火を放ち山のほとんどを焼いてしまった。
 これを知った帝が柏階大将知隆を捕らえようとすると、伊香保大嶽から黒雲沸き立ち・風雨来襲し、伊香保明神が国司を石楼(石牢)に閉じこめた。 これが「石楼山」とよばれ、沢の冷水が熱湯となり「湯の嶺」と呼ぶようになった。

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