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群馬での暮らし:デーラボウ [ぐんま]

Derabo

《グンマを話そう》
○デーラボウ
 ある昔、日野山奥にデーラボウという大男がおった。 ある時、富士山と榛名山が背比べすることになった。 助っ人を頼まれたデーラボウは、御荷鉾山から山を一つ持ってきて榛名山に乗せようと、山を背負って歩き出した。 印地の朝谷まで来たら疲れたので山をぶちゃった。 これが子王山である。 そして歩き続けた、この時の足跡に水が貯まり緑埜の竹沼・七輿山の池・南八幡の木部の池などができた。
 またある時、大神山に腰をかけて新田川原で足をあらったので大神山は頂上が平らになった。
 鬼石では大男の神様を「デーラボッチ」と呼び、「デーラボッチの足跡」と呼ばれる窪地が多数ある。

横線540

○デーラボウ
 ダイダラボッチ・ダイダラボウ・ディランボウともよばれ、法師・坊といわれている。 古くは「常陸国風土記」に登場し、大洗海岸に住み山や沼を築いたとされている。 一般には山々を造ったり・背比べをさせたりなどの伝説が多い。 代田・太田窪などの地名もこれに因むといわれている。

※ダイダラボッチ伝説はグンマ各地にあり、特に太田地域に多い。 
※ダイダラボッチが縄をひきずった跡が「利根川」と「渡良瀬川」との伝説もある。

※ダイダラボッチについては、ダイダラ法師・大太法師・道場法師・大太発意・大鵬説・アイヌ語説など、諸説ある。

☆山の背くらべ
 二つの山の高さ勝負では、頂上に樋を架け渡して水を流す、という噺も多い。


☆桟俵法師(ダイダラボッチ)の源は、桟俵法師(サンダラボッチ)とも。
※桟俵は、米俵の両端にあてる、わらで編んだ円いふた。 神饌しんせんの台盤とし、疱瘡ほうそうの神や流し雛びなをのせて川に流し、また胞衣えなをのせて埋めるなど、神と人との交わりの道具としてさまざまに用いられた。

横線540

Daidarabochi7

☆手洗鬼
 四国辺の入海で三里の山を跨ぎ・大海にて手を洗う、大魔大太郎坊の使い手洗鬼。
 白隠禅師の大太郎法師の絵の賛「うみを呑む茶のこか雪のふじの山」が源。

※大太郎法師→ダイダラボッチ


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