切符 (6) [あつめる]
青函連絡船
昼間の寝台は空いていて、いつも一人で一部屋だった。
(グリーン指定席¥700に対して、寝台¥1000で一部屋占有できた)
就航中はいつでも利用できたが、昼間に寝台を使う人はいなかった・・・
「昼間の便の寝台券」を発券出来ない(発券の仕方が解らない)駅窓口も多かった。
昔の連絡船(4本煙突時代)の3等は、列車甲板の下(海面下)だった。
そのため、洞爺丸以降、列車は3等(今の普通)でも連絡船は2等(今のグリーン)という利用が増えた。
2005-07-29 00:00
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コメント(2)
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わたしは(あっ地震…まだ続いてる…止んだ)次の年45年の8月に青函連絡船に乗りました。切符は残っていません。
by 杉浦 (2005-07-28 19:19)
[摩周・羊蹄・大雪・八甲田・津軽・十和田]と、全部乗船しました。
嵐の時、4本煙突時代の大雪丸に乗った時は、船がミシミシ言っていた記憶があります。
それにしても、青森の桟橋は長かった。
下りの切符は、乗換・降車駅で回収されるの事が多かったので、手元に残っているのが少ないのです。
by YAMADA (2005-07-29 07:54)